多様性について考える ③
今回は、宗教について。最近は日本でも、少し繊細な話だと思うがあえてここで触れてみるのには理由がある。私には留学先でできたトルコ人の友達がいる。世界的に見ても、トルコは宗教が入り混じる特異な雰囲気があることで有名である。彼は、イスラム教徒。
彼を含めた友達何人かとよくご飯に行く。私たちは、カフェを好んで利用する。なぜなら、彼に宗教上の理由で食べられないものがあるからだ。たまにご飯屋さんに行くと、彼だけ何も頼まなかったりする。もちろん、こちらも注意してレストランを選ぶがそう簡単には見つからない。
彼に一度、自分たちだけご飯を食べることが申し訳なくなって聞いたことがある。
「私たちと過ごすことは君にとって楽しいの?」
「僕に信仰があることで差別されるよりも、平等に友達との時間を共有できている。だから君たちと遊ぶのは楽しい。」
彼は、こう即答した。宗教の壁は、私が考えているよりも案外低かった。お互いに、純粋に過ごす時間が楽しいから宗教も人種も性別も関係なく会って、ただくだらないことを話す。
この国では、本当に多様な形でたくさんの宗教に触れてきた。先に挙げたように、日本に留学生が増えれば宗教の問題も増えるだろう。信仰している宗教が違えば、生活スタイルも食事も違う、教育も違う。知らないことは悪ではないが、思いやりもない。違う信仰心であっても、分かり合えるし、くだらないことで一緒に笑える。お互いにお互いを尊重しあう。大切なのはこんなに簡単で、難しいことだった。思いやりを持つ。
次回遊ぶときは、レストランをハラールのマークのある所にして、彼の故郷の料理を食べようと約束した。ちなみに、イスラム教(ほかの宗教も)を少しでも知ろうと、たくさん記事を読みました。興味を持たれた方はぜひ調べてみるといいかもしれません。
ここまで読んでいただき光栄です、これからもどうぞよろしく。
2022/09/06