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【リブリオエッセイ】人生最期の究極の自己実現とは何か?

▼2024年5月 ふみサロ課題本

「なぜ人だけが老いるのか」小林武彦 講談社現代新書

▼本文

人生最期の究極の自己実現とは何か?

 20代。恋愛に対する憧れの感情が、まだまだ旺盛だった頃、私には彼女はできなかった。好意を伝えて、それが成就した回数はゼロ。この頃に抱いていた恋愛の上手くいかないモヤモヤした感情を、ひたすら書くことによって癒したいという想いが形になっていったのが、そもそもの私にとっての、詩作活動の始まりだった。

 30代。私は人並みの幸せに憧れていた。詩作は孤独な魂の心との葛藤。結婚は孤独とは違う、人生の共同作業である……と、当時の私は思い込んでいた。私は結婚を選択し、すべての詩作活動を止めた。婚活、結婚、長男の誕生……次々に巻き起こるイベントの中で、日々の生活と会社の仕事に追われるだけの毎日。詩の事を考えるような時間は持たない年月を、当時の私は過ごしていた。

 40代。すれ違い。仕事の失敗。離婚。私の人生に再び孤独の魂が訪れた。しかし、50代で再び訪れた私の独身生活は、20代の頃とはまるっきり違い、幸せなる孤独とでも呼ぶべき、全く質の異なる日常を私にもたらしていた。インターネットの力とSNSの力さえあれば、人は完全な孤独には、なり得ないのではないか……と言う事である。魂は目覚め、再び私に言霊を紡がせるようになった。盲目的な憧れの時は過ぎ去った。代わりに出版に取り組む事によって、価値観を「老年的超越」的世界観、新たなる価値観の創造へと、昇華させていく事に成功したからである。

 執筆作業には産みの苦しみが伴う。著者になる事、イコール、本の産みの親になるという選択である。出来上がった本は我が子である。完成した本をアピールしていくのは子育てと一緒である。人生経験を詰め込んで著した本の中には、自らのDNAが宿っている。そして、それは死後も人々の記憶の中で語り継がれ、受け継がれて行くのである。そのように考えれば、シニアにとって取り組むべき究極の自己実現とは何か?を考えれば、自ずからそれは、”本を書く事”になるのではないか?と考えるようになったのである。いつしか私の創作は俳句や短歌も加え、エッセイも含めジャンルの垣根を超えていくようになった。もしも将来、書くのを辞めたいと思うような事があれば、魂に問うてみたい。「どこまで本気で書く事に、取り組んでいるのだろうか?と……」


▼今回の作品の執筆意図

 現在、私には恋愛のパートナーはいません。(その代わり、たくさんのビジネスパートナー、著者パートナーには恵まれていると思っています。)また息子との間の親子関係も断絶しています。でも、それによって、自分の人生が不幸だったと、呪っているのか?と言うと、全くそんな事はありません。今、40代、50代で未婚の人は、どんどん増えています。生殖に関わらない生き方が増えていると言う視点から考えると、LGBTQを選択した人達も、その道を選んでいるという事になるのかと思います。従来の日本的、社会的な価値観から言えば、子供の成長に夢を託す、孫の顔を楽しみにしながら毎日を過ごす以外に、人生の幸せは無いみたいな考え方が、まだまだ根強いのではないか?と思われますが、全ての人が必ずしもそうではない・・・と言う問題について、一石を投じるものを書いてみたかった・・・というのが、今月の作品の執筆意図となります。


▼エッセイの流れ

①「起・興味」恋愛して、結婚して、子供が出来て、将来は孫の顔が見れるようになるのを楽しみに待つ・・・と言う、普通の未来像を夢見ていた頃。失恋が創作開始のターニングポイントになった。という、あるあるな過去の告白について。この頃は、まだ著者になりたい願望なんかよりも断然、結婚願望の方が100万倍ぐらい強かったと思います。

②「承・納得」全く文学や詩に興味を持っていなかった元妻と結婚し、結婚後も最初の十年ぐらいは、一切の文芸の創作は行っていなかったという告白。妻との夫婦生活やサラリーマンとしての生活、子供の教育問題等に集中していた。著者になる事など全く考えていなかった時代が、かつての自分にもあったのだという振り返り。

③「転・共感」45歳の時に会社員を辞め、最初の独立をした。独立してから、ちょうど1年くらい経ったある日、空を眺めていた時に、突然、詩が浮かんできて、再び詩を書き始めるようになった。しかし、元妻は全く文学に興味を持っていない女性だった為、人生観の話をして元妻と分かり合える可能性はゼロだった。最終的には離婚を選択。元妻に対して当時、出版の話をしたとすれば、元妻は鼻で笑っていたであろう。この時に、離婚するという決断を選択する事が出来たからこそ、著者としての自分が今、成り立っている。あの時、離婚の決断が出来ていなければ、私は多分、一冊の本も出せないまま、現在に至っていると思う。

④「結・信頼」ここの部分に私が現在クリエイターとして創作に打ち込んでいる理由をまとめた。私は”普通のパパ”として幸せになる道は捨てた。しかし、新たに50歳を過ぎてから、作家として生きていく余生の中に、老年的超越の意味を見出し始めたのである。


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