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わたしが文字を扱う理由

思えば、中学受験のための模試で国語で90点台を叩き出した時、算数はその半分にも満たない数字だった。

ありがたいことに塾に通わせてもらってコツコツとそれなりに勉強をしていたが、算数はほぼついていけなかった。計算や解き方のパターンを頭に入れて、ほぼ当てずっぽうに何かしらの解法を試すしかなかった。もちろんそんなことで点は取れるはずもなかった。

一方の国語は、授業をふんふんと聞いてなんとなく時間を過ごしていても満足いく点数が取れた。とはいえ塾なので、算数や他の教科と同じように解き方のコツやある種の方程式のようなものを教えられ、私はそれを駆使して解くようになっていった。


だんだんと私は点数が取れなくなっていった。

ある日、先生との面談で「国語はもう考えないで解いて」と言われた。

そう、私は、国語にしろ算数にしろ、頭を使った解き方がまるでできない人だったのだ。

頭を使ったほうができなくなるとは何事かと思うが、思い出すと、文字を読むのはめちゃくちゃ速く(今もそうだが速読に近い気がする)、国語はだいたいのことはだいたいを読めばわかるから、という教師をナメた、かつ非常に大雑把な取り組み方をしていた時の方が圧倒的に高得点を叩き出していた事実がある。

あの時の先生の判断は勇気のある提案で、英断だったと思う。その後、ちゃんと志望校に受かったのだから。そして20年以上の時を経て、文章を扱う仕事をしているのだから。


先日、さくっとプロの方に占ってもらう機会があった(占いの話はまた追々)。

「あなたは直感で生きる人で、視覚が優位の人ですね」

この結果を聞いて脳裏の蘇った、20年以上も前の中学受験のよもやま話。

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