あなたとわたしをわかつもの
このところしょんぼり気分が続いている。非常に鬱々としていて、身体が重だるい。この大型連休に引っ越しをしたのですが、引越し鬱にでもなったのか…なんだかうっぷし気味の日々。
私はもともと、よく言えば共感力が高く、他人の気持ちに敏感なタイプ。悪く言えば、他人と自分の区別をつけにくい。人の痛みを自分のことのように感じがちだし、怒っている人、悲しんでいる人の近くにいると、なんだかその重々しい空気の影響を受けてしまって、実際に息苦しくなったりもする。昔母親によく言われた「よそはよそ、うちはうち!」ではないけれど、他人に必要以上に肩入れしない、感情移入しないと肝に銘じておかないと、自分の感情が他人のムードにすぐに引きずられてしまう。
自分のそういう性質を軸にこのところの鬱々な原因を考えてみたら、先週、通勤に使っている路線で人身事故があったこと、(人身事故とは別に)改札前で倒れている人(ブルーシートで囲まれて応急処置中)を見たこと。そんなことがこの何とも言えない暗澹たる気持ちを引き起こしているのではないかと思う。人身事故は、ホントにしょっちゅう起きている。すべてが自殺(未遂も含め)とは限らないけれど、なんらかのトラブルが日々ここまで多く起きていることに驚かされる。どれだけの人に影響があるか―それを考えると、はた迷惑な、と言ってしまう人も多いけど(それも本当にごもっともだけど)、当事者の人、その家族、友人、知人、そういう人たちにとっては単なる日常によくある『人身事故』ではなく、そのことを境に人生が変わってしまう(あるいは終わってしまう)という、とんでもない非日常な出来事だ。そう思うと、胸が痛むどころかはりさけそうになる。電車が止まってしまって帰れないのは困るけれど、それどころじゃない人たちが近くにいるんだ。どうぞ軽いトラブルでありますように、命までは失われていませんようにと祈らずにはいられない。
改札前に倒れていた人、あの人は、無事におうちに帰れたのだろうか。人々が足早に通り過ぎるその場所に、誰かが倒れ、横たわっているというのはそれだけですごく衝撃的な光景。全身が、どきりとする。しっかりとしたまなざしと声かけで、てきぱきと処置をしていらっしゃった救助の方や駅員さんが頼もしかった。原因は知る由もないけれど、私だって街にいて、本当に体調が悪くなったり、へとへとなのに、どこにも座る場所すら見つけられないことがある。それを無理してずっと移動し続けていたら、あんなふうにばったり倒れてしまうことだってあり得るはずだ。あるいは、私の友人や知人や、大事な誰かが、そうなることもある。そう考えると、あの人は決して他人ではない。<あなた>と<わたし>を分かつもの。それは本当に些細な偶然という運命。
誰だって、安心できる、やさしい日常にいつもいたい。「行ってきます」「またね」そんな何気ない約束ともいえないひとことが、実はいちばん大切な約束だということを、私たちはもう知っている。さよなら。バイバイ。そのあとに、必ずまたねと言おう。元気で、またね。たとえもう会えなくても、元気でいてね。ささやかであたりまえの約束が、ずっと守られますように。すべてのひとに、本当に、そう思う。