しほみ

関西在住。アラフォーなのにまるで中学生(まる中)な元オリーブ少女。 夢か現か、日々あれこれの記録。 すきなたべものは、おすし。 しあわせって、なんだっけ。

しほみ

関西在住。アラフォーなのにまるで中学生(まる中)な元オリーブ少女。 夢か現か、日々あれこれの記録。 すきなたべものは、おすし。 しあわせって、なんだっけ。

最近の記事

安息

(あの日からもう3ヶ月) 人間は身体のなかに、臓器とは別に壺のようなものを抱えてうまれてくるのだという。そのなかには「真気」というものが入っているらしい。いわゆる生命エネルギー、「気」というやつで、うまれたときは満杯。少しずつ使いながら生きていって、からっぽになると死んでしまう。 真気はとてもデリケートで、文字通り〈気を使いすぎる〉ともちろん減るし、びっくりしたり、肉体的にも精神的にも激しいショックを受けると、壺から大量にだだだっとこぼれてしまう。それはたいへんもったいない

    • 日記5/17

      雨の月曜。蒸し暑い。裸族になりたい気持ちを抑えながらなるべくさらさらした軽い服を選んで着る。淡々と一週間のはじまり。 職場のデスクに、書類の山が増えてきた。緊急事態宣言中は時短勤務なので、なかなか仕事が捗らない。紙が大量にあるのを見ると落ちつかないのでなるべく早く片付けたいのだけど。まずはお茶を入れようと給湯室へ行くと、今度は水切りカゴのぬめりが気になる。軽く洗ってハイターにつけておく。ひとつずつ、身の回りをさっぱりさせていくのだ。お茶をいれにきたTさんと少し話す。Tさん、

      • 日記5/16

        朝起きたら身体が全体的にしっとりするくらい汗ばんでいた。まだ冬用の羽毛布団で、蹴飛ばしてはいたけど暑かったらしい。急いでシャワー。ドラッグストアでもらった、すーすーするシーブリーズのボディソープを使うと本当にスーッとして、部活終わりの男子高校生のような気分になり、元気がでた。さっぱりとして、すがすがしい。その勢いでシーツとふとんカバーを外して洗濯機に放り込み、布団乾燥機をかける。夏用の薄い布団もクローゼットからひっぱりだした。 朝昼兼用のごはんを用意しながら、Mおばちゃんに

        • 今度、君にいつ会える。

          不穏な日々。寝込むほどではないけれど体調がいまひとつ。頭がぼわぼわするようなめまい。Twitterのタイムラインを追ってスクロールすると、酔うようなめまい。週末は携帯を触らずに過ごそうと思っていても、radikoや、Spotifyや、インスタライブなど、結局たくさん使ってしまう。ひとりの空間で誰かの声とつながれて、とても助かるのだけど、このちいさなメカの発光さえ疲れる気がして、裏返して使う。 GWの最終日に、いぐさのラグを買った。冬の間使っていたもこもこのラグを片付け、夏仕

          社会生活とは。

           (2020年10月。下書き保存されていたメモ)  こう言ったらこういう印象与えられるかなとか思いながら会話するの最悪だなー。そういうの嫌いなのに、職場では結構やってる。というか、話しかけられたら無意識に明るいトーンで返している。全然気分じゃなくても反射的にそうしている。いつのまにか身についてしまった癖のようなもの。まぁ、それはマナーと思っているところもある。職場では、一定の情緒を保つということ。話しかけられたら、機嫌よさそうにする(・・・とまではいかなくても、少なくとも機

          社会生活とは。

          ラジオで深呼吸。

           月曜の朝は、いつもより呼吸が浅い。週末の時間は、溜めていた洗濯やら家事やら歯医者さん通いやらであっという間に過ぎてしまった。そしてまた、いつもの朝だ。なんてこと!と思いながら、勇気をふりしぼって、ふとんからずるりと抜け出す。  顔を洗って、おにぎりを握って、適当なおかずをタッパーにつめながら、シャツの色に合わせた靴下をひっぱり出しながら、豆乳をあたためながら、ラジオをつける。ニュースを読み上げる平坦な声(昔から、ラジオでニュースを読み上げるアナウンサーの声を聴くと「ああ、

          ラジオで深呼吸。

          生きている、そして生きたもののすべて

           5年前に亡くなったイラストレーター・漫画家のフジモトマサルさんの著書『いきもののすべて』が復刊されたことを知った。仕事が終わったら、すぐに本屋に行かねばならない…!自分のおしりが椅子からちょっと浮いて、もぞもぞするほどの気持ちだった。こんなことは、ひさしぶり。復刊のニュースは、そのくらい威力のあるものだった。 フジモトさんの作品を、とてもとてもあいしている。シンプルな線で、ユーモラスに、そしてちょっとシニカルに描かれる大人っぽい世界。地底の街のようにも、宇宙の街のようにも

          生きている、そして生きたもののすべて

          世間話にさよなら。

          自粛ムードもステイホームも、このままなりをひそめていくのだろうか。ウィルスはもちろん嫌だけど、私はこの状態、特に苦痛でもなんでもなかった。一人暮らしのステイホームは本当に一人なのだけど、だいたいいつもこんなかんじだし。必要以上に会わない、話さない。淡々と、ひっそりと、小さな単位で暮らす。晴れた休日に部屋にいると、用事がなくても外にでかけないと損なような、もったいないような気がして焦っていたけど、そんな気持ちとも静かに離れて。人と話したいなと思ったり、誰かの話を聞きたいと思うと

          世間話にさよなら。

          5月某日ときどき雨降り。

           夜はなかなか寝つけなかったのに、朝は早くに目が覚めた。待ち合わせのロビーに少し早めに着くと、Sはソファに座って目を閉じていた。となりにはいつも持ち歩いている仕事用の重たいかばん。両足がだらんと投げ出されているから、結構本格的に眠ってしまっているようだ。大きな黒い革靴。普段あまり男性らしさを感じさせない人だけど、この大きな革靴を見ると、Sはオトコだな、と思う。これが私の部屋の玄関に置いてあるところをふと想像する。自分とは違う人の靴が置いてある暮らし。私はずっと一人暮らしで、男

          5月某日ときどき雨降り。

          お灸を据えてやる。

          眠る前のひととき、スーッと白い煙が立ち昇る部屋。しんみりした和の香りに恍惚とする・・・私の至福のとき、それはお灸タイム。 ツボが好きだ。売りつけられるやつじゃなくて、身体にあるツボ。小3のとき、母親が椎間板ヘルニアになり、しばらくの間 鍼灸院に通っていた。私は週に2回、小一時間をその小さな鍼灸院の待合室で過ごすことになった。親や先生は、退屈じゃないかと何度も聞いてくれたが、私はこの小一時間をかなりエンジョイしていた。壁に貼ってある大きな身体の絵-赤いてんてんで全身のツボが示

          お灸を据えてやる。

          5月某日天気は晴れ(風強し)。

          (22時までは記憶があるのだが、ソファに寝転んで文庫本を手にした瞬間-といっていいと思う。だって1ページも読みすすめた記憶がないー眠り込んでしまい、目が覚めたのは午前3時だった。部屋の電気はつけっぱなしで、テーブルには飲み頃に冷めるのを待って飲むはずだったルイボスティーが手つかずで置いてある。呆けた頭で記憶を探る。今は昨日の夜の続きだ。文庫本は胸のあたりに落下していた。いとうせいこう著『われわれの恋愛』。20世紀の恋愛について、学会発表がされているところ。設定が、職場を思い出

          5月某日天気は晴れ(風強し)。

          あなたとわたしをわかつもの

           このところしょんぼり気分が続いている。非常に鬱々としていて、身体が重だるい。この大型連休に引っ越しをしたのですが、引越し鬱にでもなったのか…なんだかうっぷし気味の日々。  私はもともと、よく言えば共感力が高く、他人の気持ちに敏感なタイプ。悪く言えば、他人と自分の区別をつけにくい。人の痛みを自分のことのように感じがちだし、怒っている人、悲しんでいる人の近くにいると、なんだかその重々しい空気の影響を受けてしまって、実際に息苦しくなったりもする。昔母親によく言われた「よそはよそ

          あなたとわたしをわかつもの

          やさしいひと

          10年くらい前に、自分の書いた文章を初めて人に見せることになった。当時勤めていた美術系の大学の公開講座で、ライター・編集者のある方を講師に、文章講座というものが開催されていた。書くことは好きで、ずっと日記やら散文やら(詩やら短歌もどきやら)をこっそりノートにためていた私は、思いきってその講座に参加することを決めた。物書きのプロを目指す人たちが集まるような厳しい講座では決してなく、文章で表現する喜びをみんなで共有しましょう、というような趣旨のものではあったが、初めて自分の文章が

          やさしいひと

          春に向かう夕方。

           今の生活の中でいちばん気に入っているのは夕方、午後5時半から6時すぎにかけての時間。このころ、私はたいてい電車に揺られている。 2月も終わりに近づいてきて、夕方がずいぶんあかるくなった。のんびりと電車の中から外をみるのが、心愉しい。車窓の外を流れるのは、たくさんの団地やなんてことない家々。会社のビルや、パチンコ屋や、商店街。河川がいくつか。けれどその見慣れた景色を、私はちっとも飽きずに毎日に眺める。ひとが暮らす景色は、いつでもみていて飽きないのはなぜだろうか。 日に日に

          春に向かう夕方。