地方移住して変わったこと
2022年春、福井に移住(Uターン)して10か月近く経つ。年の瀬に、地方での暮らしを振り返ってみる。
日々のルーティン
移住してから、ほぼ週に1回続けているルーティングがいくつかある。
温泉:あわら市には芦原温泉があり、源泉かけ流しの足湯がなんと無料で利用できる。週に1回、足湯で朝活して身体をあたためてから仕事する。地元の人が集まって「ごゆっくり」「いってらっしゃい」自然と会話が生まれる交流の場。冬の寒い時期に、気軽に家族で温泉旅行に行ける贅沢さ。
トレーニング:公共施設トリムパークでは、トレーニング施設の利用が1回300円。ほぼ貸し切り状態で、年配の方と学生たちに囲まれて集中して体を動かせる環境だ。都内で月に何万もパーソナルトレーナーをつけてジムに通い、マッサージに使ってきたお金は何だったのだろう。
地域で子を育てる
日本一幸福な県(幸福度ランキング5回連続1位)、社長輩出率1位、共働き率1位と地味にすごい福井県。ずっと子育てに関して、色んな大人が関わって地域で育てたいと思ってきた。そもそも私には世界中に家族がいる。今は祖父母が散髪屋を営む実家に戻り、子どもからしたらひいおじいちゃんおばあちゃんがいて、おばあちゃんがいてパートナーがいる。大人5人がかりで、ひとりの子に愛情を注ぐなんて恵まれた環境だ。私は離婚し、いわゆるシングルマザーだが、それが何だっていうんだろう?仕事や出張で家をあける時、ちょっとみてもらえることのありがたさや安心感。子どもが独りぼっちになることはまずない。保育園や子どもの習い事の送迎を、ちょっとお願いと頼めることって本当に素晴らしい。というか、ひとりで育てるなんて無理があるよね。東京にいた頃は、見知らぬ人にベビーシッターを依頼し、朝の8時から遅いときは20時半までビルの一室に併設された保育園に通う。もはやフリーランスの私より会社員のような生活で、働くために預けなければならない申し訳なさや負い目を感じていた。
けれど、田舎の保育園はとにかく敷地面積が広く、園庭は広々と公園のようでプールがあり畑がある。採れたての野菜を収穫してカレーを作ったり、花壇の花で色水を使ったり、泥遊びをしたり、遊び方が自然の中でダイナミック。前は歩道を歩くだけでも、ものすごいスピードで通り過ぎていく通行人をかき分け、子どもの手をひっぱって肩身の狭い思いをしたが、もう手を繋がずとも危なくないので歩くのも自由だ。普通に歩けることがこんなにストレスフリーだとは!
祖父母との暮らし
80代、高齢の祖父母との暮らしは、色んな事が起こってシェアできる毎日が楽しい。お互い自営業で、自分のペースで家で仕事ができるというのが大きく、ある程度自由が利く。必要な時にちょっと車を出して買い出しに行ったり、お米や灯油のような重たい荷物を運ぶ。雨が降ってきたら、屋上までかけのぼり洗濯物を取り込む。お互いに必要なサポートをして、支え合っているのだ。身体の状況を気にかけながら、今日の晩ごはんは何にしようか?みんなで食事を囲むことは楽しい。ごはんが美味しすぎて、幸せ太りが課題。祖父母も自分たちだけじゃ絶対に食べないような献立に、これは何?なんて言うの?と興味津々で嬉しそう。テレビを見て大笑いしたり、ちょっとしたことで悲しんだり、怒ったり、そんなひとつひとつのことが尊く大切な日常だ。
ほどよい距離感
一番の懸念は、移動の不便さだった。車社会で、どこに行くにも車が必要、ひとり一台があたりまえ。運転が好きじゃない私には、大問題だった。それでも半年もすれば慣れる。雪道の運転はいつだって怖いけど、どこにでも行ける手軽さに恩恵を受けている。
東京の仕事をリモートでしながら、月に何度か出張するスタイルも定着してきた。小松空港まで車で40分、1時間のフライトはあっという間。空高くから俯瞰して地上を見つめると、自分の中で何かがリセットされるようで、モードの切り替えにもなっている。
福井での仕事も色々と試しながら、まっさらな気持ちで何事にもチャレンジできる心地よさはいい。このバランスが案外よくて、色んな顔や肩書き、居場所をいくつか持っておくと、こっちでうまくいかなくなっても、もう片方で支えられて精神的にも何かと助けられている。
幸せの定義をアップデート
ひとつ自分らしい幸せの形を見つけられた気がする。これからどう変わっていくのかはわからない。日本一幸せな場所に、ご縁があって戻って来れたことを誇りに、幸せの定義をアップデートしていきたい。