人や動物、環境にやさしくありたい
やさしさの定義ってなんだろう?思いやりがある、親切、愛に溢れた、心が穏やかであたたかいイメージ。平安時代には、他人への配慮をふまえた、控え目である、つつましやかであるという意味合いがあったよう。至ってシンプルに、必要以上、以下でもないバランスのとれた状態なのかもしれない。権力のある者が自分勝手に得して、誰かが泣くのではなく、フェアでフラット。あまり多くを求めず、お互いを理解し、繋がる。最低限の質素な生活にこそ、やさしさが存在する気がする。
コロナ禍で、これまで見て見ぬふりをしてきた数多くの問題が明らかにされているように思う。社会問題にアンテナが立っている中で、最近頭を離れないひとつが、アニマルウェルフェア(動物福祉)。本やドキュメンタリーで知れば知る程、心が痛んだ。たとえば、鶏たちが劣悪な環境で産み育てられ、殺される。人間たちの都合で、文句を言う術もなく痛めつけられる。女性差別やLGBTQ、人種問題といった誰かが決めた上下関係において、弱い立場を利用したり、搾取するようなことと同じ構図なのではないか?目まぐるしい世の中がSTOPせざるを得ない今、大量消費しない時代に、大量生産する必要もなくなっている。少なくても必要な分だけ分け合えば、この地球のバランスは元に戻り、労働搾取したり、地球を傷つけることもないのではないか?
何も知らずに安さや食べ放題、誇大広告に惑わされ、誰かを傷つけてまでむやみやたらに消費することに疲れてしまった。今すぐケージに閉じ込められている鶏たちを解放することもできない私に、何ができるのだろう?
近所のオーガニックのお店で、お弁当に入ってる鶏肉がどんな環境で育てられているか聞いてみた。全国の個人農家から、お肉や乳製品、お野菜を購入してみた。壮大な土地で光をたくさん浴びて、自由に飛び回る動物たち。大切に愛情をかけて、向き合っている人たちがたくさんいた。ファスティングに挑戦して、食べもののありがたみを実感してみた。ちなみに、前半は生命活動を止めているかのようで恐れとの戦いだったが、山を超えるとどこまででもいける無敵感。回復食で、どれだけ出汁の旨味に感動したか!食べる喜びやありがたみを感じたし、感覚が研ぎ澄まされた。
これからは自分の消費や生産活動に責任を持ちたい。ヴィーガンとかオーガニックじゃないとだめって、完璧を求めるのではなく、まずは知ることから、そして選択できるなら取り入れていきたい。経済活動も同じで、人や動物、環境にやさしくない事業には関わりたくない。外向きにはよい事業をしていても、社内の人が疲弊していては本末転倒。関わるすべての人によって、カルチャーは作り出され、醸成されていく。一部に負荷がかかり、苦しい思いをすることがないように、透明性のある、地球によりよい選択をしていきたい。そのために、一番身近な自分を大切にして、どんな時も信じてあげたい。いかに頑張らずに、自分らしくいられるか。地球を愛で癒すことができる自分に少しでもなれるように、日々できることから向き合っていこう。