「数字が嫌い」は、甘えなのか。
最近ずっとスッピンで過ごしていたから少しは化粧したほうがいいかなと思ってまゆげを描いて、直後にそれを忘れてぽりぽり掻いてしまって、「アッ」ってなりました。
こんにちは。みなさまいかがお過ごしですか。
かれこれ2ヶ月ぐらい間があいてしまったnote。
あの毎日続けていた情熱は何処(いずこ)。
情熱とはとらえどころのない不思議なものですね、なんて。
これ今、まゆげをチェックしに来た洗面所で書いています。
書こう!っていうエネルギーっていつどこでスイッチが入るのかわからないのがやっかいなところ。
でもこうやって書くハードルが低くなったのは、あの苦しんだ()1ヶ月間(#note1ヶ月毎日更新チャレンジ)のおかげだなぁと思ったり。
あ、この記事のタイトルは昨日家で仕事をしていて思ったことです。
数字が嫌いで作業が進まないじぶんに苛立って、スマホのメモに残していました。くるしい。
(上の言葉しか気にならない。友達のおうちで感じたこと。)
さて。ここ数ヶ月で想像もできないぐらい世の中が変わって、周りの人の行動も変わって不思議な感覚です。
絶対に変わらないだろうと思っていた弊社の書類主義・対面主義的な慣習もあっという間になくなり過去のものに。どんなに偉い人との打ち合わせでもオンライン。みんな四角い箱の中で平等です。
平日の昼間に会社のおじさま達とZoomで喧々諤々とした議論を繰り広げるなんて、全私が想像していなかったよ。(Zoomできたぞ!って無邪気に喜んでるおじさんたちがなんだか急に可愛く思えたり。)
それと同時に、直接会えなくなるとコミュニケーションのハードルが上がる場合と一気に下がる場合、両極端に分かれるなって感じています。
もともと信頼関係があって、コミュニケーションのハードルを感じない人とはむしろ一対一の連絡が密になってやりやすいんだけど、形式的な関係にとどまっていた人とは一気に疎遠になる感じ。
私はただのペーペーで部下をもつ立場でもなんでもないけど、もし今上司の立場だったら自分が部下と信頼関係を築けているかどうかが如実に現れそう。家で一人、鳴らない携帯と部署内周知のメールだけを眺めながら孤独を感じるという、キツい体験をしているお偉いさんも多いのではないかなぁなんて思う。おお、おそろしい。
だからこそ、今は貴重になってしまった「直接会える機会」にしっかり信頼関係を築いておくことが大事なんだな、とヒシヒシ。
この変化の中にあって、変わらず私の周りにいてくれる人、いつでも連絡を取り合える関係の人たちは大切にしようと思えました。
はい。
という、とりとめのない話を。
最後に、ずっと外に出られない週末が続いている中で、やってみてよかったことを共有します。月並みですが。。。。
① 実家と密に連絡をとるようになった
コロナが心配なので、外出しちゃダメだよって親に連絡したところから。ほぼ毎日LINEをやりとり。
先日は、いっこうに芽を出さず家族から詐欺疑惑をかけられながらも父が大切にしていた「しいたけの木」(ふるさと納税でゲット・ほんとうに見た目はただの木片)から、初しいたけが生まれたそうです。
(めでたい。)
② みようみようと思っていた映画をみた
時間があるので、「Amazonプライムサーフィン」をシュンシュンと。
そこで、いつかはみようと思っていた映画を見つけました。
『少女邂逅』(監督・枝優花)
よかったです。眩しかった。
芸術作品を鑑賞している感覚。それでも所々にリアルがあって。
監督の年齢に驚愕。すっごいなー、いつか直接お話聞いてみたいな。
③ よもうよもうと思っていた本をよんだ
とうとう積読たちを片付けはじめました。
ソファーの横で、ピサの斜塔ばりに不安定に積み上がっていた本たち。
中でもこれ。約1年前、神保町の古本屋で上巻だけ見つけて買ってきて、下巻は父の書斎からくすねてきた『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』(著・白石一文)。
ヨシこの機会に、と思って読み始めたら、思いがけずいい言葉に出会うことができましたので共有。
そもそも全方位的に世界の諸事情を伝えてみたところで世の中の本質は見えてこない。ある特殊な一つの現象の中にこそ世界のすべてが映り込み、凝縮している。
(考えさせられますね。小さな日常から世界を切り取って眺められるようになりたい。)
そんな感じです。
ではまた会うときまで。元気で過ごしましょう!
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しほ
*つらつらと書きます。海に行きたいOL。