私たちの「夏の終り」
ああ、負けた。
最後の試合だった。
ぱちぱちぱち。
仲間たちからのまばらな拍手が聞こえる。
「おつかれさま。」
「ナイスプレーだったよ。」
優しい顔をしてくれているであろう、コートの外の仲間たちを見ることができない。ラケットをぎゅっと握りしめて、喜びで目を輝かせる相手とネット越しで向かい合い、一礼する。
「ごめん。」
真横から小さく聞こえたその声をたどって顔を上げると、すでにコートの白線ラインへ向かって歩き出した背中が目に映る。
筆文字みたいな字体で書かれた学校名。
前後の身頃にでかでかと入ったいかつい炎みたいな柄。
ダサいなあ。これ、3年着てたのか。
しみじみ思いながら、私たちは大人しく、次の試合の審判という敗者に課せられる役割に移る。
加奈と私。高校のあいだずっとペアを組んできた私たちは、もともと才能があったわけではなかった。たくさん悔しい思いもしたけれど、それをバネに練習して、周りを驚かせるようなプレーもできるようになっていた。
めちゃくちゃ強い相手に勝って都でベスト8になった試合のあと。誰もがそれ以上を期待する中、ベスト64で、私たちの最後の夏はあっけなく終わった。
まあこんなもんだよね。
頑張ったよね、うちら。
コートの反対側に向かった加奈と想像上でそんな会話をして、白くてガタガタする審判用の椅子によじ登る。
私たちの次の試合は接戦で、嫌味なほど長かった。おそらく2年生なのか、切羽詰まった感じは全くない。心から楽しんでプレーしているのが伝わってきて、やたら眩しい。
2年の時は、引退の時どう思うかなんて想像もしていなかったな。
まだ自分たちが立っているはずだったコートを見下ろしていると、不安定な椅子の上で感情が一気に溢れてきそうになる。もう私たちは、こうやってコートで試合することはできない。
審判なんてしたくないよ。
うちら最後だったんだよ。
無表情のまま、なるべく何も考えないようにして、眼下で躍動する知らない選手たちの姿を見つめる。
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長い試合を見届け、白い椅子から降りて仲間と合流すると、同期のみんなは私たちをねぎらってくれた。かけられた優しい言葉たちに曖昧に頷く。なんとなく気まずくて、何かものすごく感情が動いてしまいそうで、加奈の視線だけを避ける。
みんな、今日が最後。
明日からはこのダサいユニフォームを着ることもなく、制服で机に向かう日々が始まる。
「おわったー。」
「頑張ったよね。」
「達成感やばい。」
試合が終わった同期が続々と集まってくる。夕陽に照らされた笑顔たちが口々に言葉を交わし合っている。
そうか。みんなは達成感がやばいのか。
こんなぐちゃぐちゃな気持ちでいるのはきっと私と、加奈だけなんだな。
記念撮影ってカメラを向けられたけど、うまく笑えた気がしなかったし、変な顔してたと思う。でも、加奈も私と同じように変な顔をしてたと思う。
私たちは目が合わないまま、自分たちの身体に大量の制汗剤をふりかけ、慣れた動作で制服に着替えた。こうやってユニフォームから制服に着替えるのも最後。むわっと広がる嗅ぎ飽きたこの匂い。せっけんだか何のフローラルだかわからないものが混ざりあった独特の香りに、なぜか鼻の奥がツンとなる。
家出するの?ってぐらい大きなラケットバッグを背負って、みんなで会場を出る。
明日からどんな可愛いカバンを持って学校に行くか、どうやって肌を白くするか、そんな話でみんなが盛り上がっているのをBGMみたいに聞き流しながら歩く。
女子高生らしい遊びはほとんどできなかった。
毎日身体からこの何だかわからない香りをさせて、日焼け止めとスポーツドリンクばかりにお小遣いを費やす日々だった。
なんだよ。最後なのに。
最後だったのに。
あんなに練習してたんだよ。
もっとやりたいプレーあったよ。
ドーン。
「え、何?」
ドーン。
「花火?」
みんな自然と顔を上げて、口々に空を探す。
ドーン。
ドーン。
「どこ?」
「見えなーい。」
陽が落ちた紺色の空の中に、どこにも光は見つからない。
「ねえ、美穂。ちょっと。」
突然、ぐいっと腕を引っ張られた。
ドーン。
「こっち。」
顔はよく見えないけど、聞き慣れたその声。表情は容易に想像できる。
私たちは、みんなと違う方向に歩き出す。
ドーン。
「あのさ。」
「うん。」
「花火しない?」
3年一緒にいたペアから、これまででいちばん予想外な提案をされた。
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コンビニで小さめの花火セットとチャッカマンを買って、加奈と私は名前も知らない狭い公園で横並びにしゃがむ。誰もいない、遊具もなにもない公園。公園を囲むように植わった木に静かに見守られながら、私たちは手元をじっと見つめる。
ドーン。
ドーン。
カチ、カチ。
なかなか火がつかないのを急かすように、見えない花火が鳴り響く。
ぱち、ぱちぱち。
「おおー。」
「きれい。」
久しぶりに手持ち花火なんてやったな。案外きれいで見とれる。
指先の小爆発につられて、私たちはぽつぽつ話しはじめる。
「うちらさ、部活ばっかで浴衣で花火とかなかったよね。」
「うん。最後も音だけで見えないし。かなしいJK。」
ドーン。
「まあ、黒すぎてぜったい浴衣似合わないけど。」
「たしかに。」
ドーン。
ぱちぱち。
指の先から控えめに光が溢れ出す。炎が途絶えないように、私たちは黙々と、迫力ある音と静けさの間を埋めるみたいに次々に持ち替えながら光を操っていく。
「シュールだよね。」
「うん。」
ドーン。
目の前の光の量に釣り合わない音につられて、思い出が蘇っては消える。
コートの照り返しに蒸されて頭から湯気が出そうなくらい暑い日。
手がかじかんでラケットが握れないくらい寒い日。
打ったボールのコースが変わってしまうくらい風の強い日。
グリップが絞れるくらいどしゃ降りな雨の日。
ふたりで頑張ってきた日々。
ドーン。
ぱち。ぱ。
「なにこれ、みじか。」
「うける。」
ドーン。
団体戦のレギュラーに入れなかった日。
悔しくて悔しくて、練習後逃げるようにふたりでマックに駆け込んだ。せっかく頼んだマックシェイクがどろどろになるのもお構いなしで、小さなノートに何ページ分もプレーパターンを書いて戦略を語り合った。
ドーン。
試合中に使うオリジナルのサインもたくさん作った。
私は前衛だったから、相手に見えないように背中の上で加奈にサインを出す。ふたりで決めた通りの動きをして、相手のおどろく顔を間近に見て、振り返った先の満面の笑顔に駆け寄ってハイタッチする瞬間が最高だった。
こんな最強なペアいないね、って言い合ってそう確信してた。
ドーン。
ぱちぱち。
「蚊、いる。」
「うそ。」
ドーン。
「夏が来るから海へ行こう」なんてことはできた試しもなかったのに、試合前のテーマソングはYUIの『Summer Song』。
試合会場でイヤホンの線をふたりの間に渡しながら、甘酸っぱい青春に嫉妬して、声出ししすぎてかすれた声でサビを熱唱して、爆笑した。
ドーン。
ぱちぱち。
「あのさ。」
ドーン。
「ありがとね。」
ドーン。
ぱちぱち。
なにこんなタイミングで。
狙ってんの。
ぱちぱち。
目の前の光が優しくぼやける。
ドーン。
この3年、楽しかったし辛かった。
でも、加奈と一緒だから最高だった。
一瞬だった。
「ありがと。」
ドーン。
公園の隅で、猫がニャーと鳴いた。
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花火に行きたくて書いた物語です。
しほ
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