2023スリル・ミー ヤマコーペア感想

my楽を終えたので改めて色々と感想を……と思って書いていたらあまりに長くなってしまい、大千穐楽にも遅れそうな時期になってしまいました。
my初日が9/15、その後9/29,10/3,10/7と観劇した(ヤマコー4回,尾廣1回)のですが、忙しすぎて全く感想を書き終わらないままmy楽となりました。なので、全体的にこの公演の!どこ!のような具体的な話は特にしてないです。
山崎彼と松岡私、それぞれの心情や動機を考えながら楽曲ごとにスリルミー全体を振り返る内容なので非常に長いです。1万2千字あります。お時間に余裕のある際にどうぞ……笑
目次のリンクから各項目に飛べるようになっているので、お好きな部分だけでも(でもその1項目も長い)。

⚠️パンフレットのネタバレを含みます
⚠️ストーリーのネタバレも含みます
⚠️山崎大輝さんのファンが書いてます
⚠️1個人の妄想と幻覚の煮凝りです


長すぎるので要約

「何者にもなれない」ことが耐えられなかった山崎彼と
「誰にも選ばれない」ことが耐えられなかった松岡私。
お互いに「超人」になろうとした、2人で同じ方向を向こうとした山崎彼に対して、自分を「選ぶ」ことを迫って2人で見つめあいたかった松岡私。
2人以外には誰にも分からない孤独の中で、お互いに相手が叶えられないものを求めあってしまった2人。関係性にはどんどんヒビが入って修復できないままに壊れていく。仄暗い水の底に加速度を増しながら沈んでいくような疾走感のある破滅。

高校生~「僕はわかってる」までの山崎彼

何でニーチェに傾倒して、殺人を犯すに至ったのかな?ってことをずっと考えていたんだけど……。
まず、高校生の時の山崎彼の犯罪行為は父から愛されなかったこどもが愛や関心、承認を求めてやったことで深い意味はなかったんだろうな……。
あと、ある種の自傷行為的なものでもあったんだろうな。指を刃物で刺したことあるらしいし、多分痛みによって己の輪郭を明瞭にしたがるタイプ。知らんけど。

その後大学院に進学した山崎彼は、弟への劣等感や、(たぶん人種差別もある)、自分が他者とは異なる(優位な)存在である、という証左に飢えてニーチェに辿り着いて……愛されなかったこどもが自己同一性を持てないのってまぁわりと自明……。「何者にもなれないこども」は「何者か」になりたがった。ニーチェと言えば「超人」の概念も有名だけど、何より「神は死んだ」で知られている。山崎彼、きっと無意識のうちに「神は死んだ」って誰かに言って欲しかったんだろうな。父親からの無関心という針の筵、優秀な頭脳を持つが故の孤独、何者にもなれない不安定な自分、得体の知れない焦りと不安と恐怖、いくら祈っても消えないそれらの飢えと渇き。神が本当にいるんだったらなぜ俺を救おうとしない!?っていう絶望を終わらせて欲しかったんだと思う。
(余談:このあたりはシャニマス楽曲「神様は死んだ、って」に詳しいです)

で、都合よく(?)ニーチェが「神は死んだ」って言ってくれたからそりゃ飛びつくよね……。神が死んだ世界でどう生きていくのか、何者にもなれない自分は何に従い何を目指すのか、で辿り着いた(?)のが「超人」という概念。
パンフレットによればニーチェの唱える「超人」というのは「凡庸な者たちが強者へのカウンターとして創った既存の道徳や倫理観を超越して、新しい価値を創造する人」だとされている。
でも、ここで愚かな山崎彼は「凡庸な者たちとは全く異なる超人という存在」つまり追い求めていた「自己同一性の確立された存在」は「既存の倫理を超越して新しい価値を創造する」ということがどういうことなのか、少ない経験値で考えちゃう。愚か〜!落ち着いて!ストップ!気持ちはわかるけど!()
今までしてきたただの試し行動、あるいは自傷行為であった犯罪(なまじ頭が良いため運良くバレなかった)が、超人であることの証左に変わった瞬間。ここで、山崎彼の「超人になる」⇆「既存の倫理を超越する」⇆「犯罪行為」という世にも愚かな図式が成立した。
そして、この超人ってめちゃくちゃ彼から見た松岡私では?になった。1回目の観劇の感想で松岡私のことを「彼への執着が強すぎて倫理観の天秤がぶっ壊れてる人」みたいな書き方をしたんですけど、マジでこれ。山崎彼は愚かなので「俺は超人なので犯罪がバレなかった」▶︎「松岡私も頭いいし一緒にやった犯罪もバレなかった、じゃあ超人なんじゃ?」になる。
本当に愚かだな。
山崎彼って本当に救いようがなく愚かだけど、頭脳的に愚かなんじゃなくて、精神的に幼くて無垢であるがゆえの愚かさなんだよね。だからつい哀れで可哀想!って同情してしまう人が私含め多いのかな。あと、山崎彼って愛されたことがないから、愛し方が分からないのも同情を誘う……虐待された子が親になった時に、また虐待が繰り返されるような、そんな悲劇。

ニーチェを学んだあとに松岡私のところに戻ったことで、まぁあいつも超人だし一緒に何かするのも悪くはないか、みたいな気分になったのかな?「まぁいい、今晩は予定を変えてお前と付き合おう」にちょっと笑みというかご機嫌さのニュアンスが含まれていた気がする。

松岡私に対する基本スタンスとしては「天才」として内心認めていることを認めたくない、という感じなんじゃないかな。劣等感があるからこそ優位に立ちたくなるというか。
あと、松岡私、わりと遠慮なく正論で殴ってきそうな雰囲気があるから、自分より裕福で父親に愛されてる人に正論言われたらそりゃキレるよな~と思う。
自分が優位であることを確かめるために、何回も私の傍を離れるし、自分がいないとダメな私の様子を見て優越感を得ていたんだろうな。あと、年々友情からエロスを求めるようになってきた松岡私から逃避しようという気持ちもあったのかな?
でもそれと同時に、高いIQを持つユダヤ人系の2人にとって、お互いのことが本当に理解できるのはお互いしかいなかった。2人にしか分からない2人の孤独があって、支え合って生きていくしか社会に存在する術がなくて、まぁ単純に言えば共依存。

高校生~「僕はわかってる」までの松岡私

松岡私が山崎彼に執着した理由はわりとシンプルに「同性愛者」じゃないかなと思った。と言っても山崎彼が大好きだから!とかではなく。1920年頃のアメリカであることと、私と彼の2人が史実と同様にユダヤ人系であるとすれば、同性愛は禁忌オブ禁忌……。父から「自慢の息子」として愛情を受けている松岡私の様子を見るに、多分同性愛者であることは父は知らないんだろうな。優秀な息子に相応しい優秀な友達がいて良かった!とか思ってるかも。一方、大学や周囲からはあの激ヤバ執着っぷりを見て薄々勘づかれてそう。松岡私、友達いなさそうだし(偏見)
つまり、松岡私は「同性愛者」という理由の部分こそ違うものの、山崎彼と同じように社会から「存在しないもの」とされているんじゃないかなと思った。じゃあそれで松岡私はどうしたかって言うと、自分が山崎彼に「選ばれる」ことを望んだのかな〜と思っていて。「選ばれる」ことはつまり「愛される」ことで、でも松岡私が望んだ愛は、アガペーじゃなくてエロスだった……。

社会から無視され「透明な存在」になったこどもにとって「選ばれない」つまり「愛されない」ことは「死ぬ」ことなんだけど、このあたりがピンドラすぎてちょっとどうしよう?(?)ピンドラ履修してると松岡私の執着に完全に合点がいくんだけど……。松岡私は、本来だったら社会から受ける承認や反応の全てを山崎彼に求めているように見える。「同性愛者」という自分のパーソナルな部分が曝け出せるのは山崎彼だけだったから、保護する家族の役割も、認める親友の役割も、そしてエロスを満たす恋人の役割まで、全部山崎彼に期待しているんじゃないかな。「感情 全て私にください」状態……。だから山崎彼に「選んで」もらうためなら犯罪でも何でもするし、山崎彼が他所のお嬢様を「選ぼう」とすることに耐えられない。
「君をわかってるのは僕一人だけだ、君も同じだろう?」というように、「僕らの孤独は僕らにしか分かり合えない」という絶対的な確信があるから、山崎彼が自分を「選ぶ」ことが当然だと思ってる感じ。

あと、松岡私って山崎彼に比べて感情の発散が苦手なのかなという印象を受けた。山崎彼は父親に対して「俺を見てよ!」っていう叫びを犯罪行為として発していたわけだけど、同性愛者であることが父親に打ち明けられなかった松岡私は、いったいどこにその鬱屈とした気持ちを発散していたんだろう。山崎彼の前以外では異性愛者として振舞わなければならなかった松岡私は、いったいどれだけ苦しかったんだろう……。その分ため込まれてしまった感情が山崎彼の前で爆発しているのかと思うと「僕はわかってる」の激しさにも納得がいく。

この時点で「自己同一性のための愛(アガペー)を求める山崎彼」「自分が選ばれて生存するための愛(エロス)を求める松岡私」で決定的な違いが発生している。山崎彼は松岡私だけでも自分に真剣に向き合って、対価なしに存在を肯定してほしかっただろうし、松岡私は山崎彼だけでも自分の恋愛感情を認めて受け入れて欲しかっただろうし……。何でこんなに求めるものが違ってしまったの……しんどい……。

「やさしい炎」~「契約書」

ようやく「やさしい炎」なんですが…松岡私に「あの1本のマッチが全てに火をつけたのです」と言わせるように、山崎彼はこれまでは(たぶん)犯罪行為の先にある承認が目的だったのに、ここからは犯罪行為そのもの、犯罪でスリルや優越感を感じることが目的になってしまった。手段の目的化だね、良くないね〜!!!パンフでも広大くんから「2人は手段のためなら目的を選ばない」ことが触れられている。
そして同時に、山崎彼の自傷行為が自身の内側に向けたものから、自身の外側の社会に向けて放たれるものに変わったのもここな気がしている。契約書(その1)で「馬鹿なこの世に善などないから」と言うように「自分を認めてくれない社会が悪い」という方向にシフトした。自分ごと世界を破壊しようとする、自暴自棄の極みみたいな思想だけど、でも山崎彼にはその痛みだけが存在証明だった気がする。
(この辺りはシャニマス楽曲『神様は死んだ、って』を聴くと解像度が上がりそう、2回目の登場)

でも、松岡私にとっては山崎彼が超人ではないことなんて自明だし、超人ではない山崎彼が行う犯罪なんていつかバレる……と思っているから「あんなことバレたらどうなる」っていうんだよね。このあたりが松岡私の方が山崎彼より賢いな~と思う。
ニーチェもパラパラした程度でサクッと把握できるし、何なら松岡私なら山崎彼より先にツァラトゥストラ読んでそう(広大くんのイメージに引きずられてる)。山崎彼がニーチェを曲解していることもすぐわかるから「どこに書いてある!?火をつけろって!」ってプンスカする。

それに対して、山崎彼は契約書(その2)で「裏切りだ お前こそうわべの親友か」といって多分(超人である)松岡私も当然のように、社会へのカウンターとしての犯罪をしてると思っていたのに「こんなことしてたら僕ら法律の勉強どころじゃない」って法律、つまり彼の言う俗世間の人々が作った社会のルールに従って生きようとすることに怒る。エッめっちゃ松岡私のこと好きだし信用してるじゃん……。弱者が作り出した強者へのカウンター(倫理や道徳)にさらにカウンターする(犯罪)ことで、逆説的に自分が強者、超人であるということを示したかったのかな。
契約書も松岡私を従えるためのものであって、そこまで深く考えていないし「お前がいなきゃ、ダメなんだ」もこう言えば松岡私が喜ぶだろう、という打算の元……というのが山崎彼の意識的な部分。無意識的な部分では、松岡私が離れていくことに対する本能的な恐怖を感じているだろうし、松岡私がいなきゃダメなのも事実。でも山崎彼は自分に向き合ってないので、そんなことには気づかない。向き合って(愛されて)ないこどもは、自分に向き合うことも出来ない。
余談だけど、ニーチェは「血で書かれたもののみを愛する」という言葉も残していて、血の契約はここからきてるのかな。

松岡私は、山崎彼に「選ばれる」ためならなんだってする人なので……。契約書を作ろう、対等な立場だ、嬉しいだろうという山崎彼の言葉が、全て彼の稚拙な打算だと気づいたうえで契約を結ぶんだよね、たぶん。エッ山崎彼のことめちゃくちゃ好きじゃん……。
山崎彼に自分の望む形で「選ばれる」つまり「エロスを受ける」ことを契約書の条項にしてしまえば、山崎彼は強制的に松岡私の求めるものを差し出さざるをえなくなる。山崎彼の本当に欲しいものは犯罪というスリルを共有する人じゃなくてアガペーを与えてくれる人なのに、松岡私は本当に欲しいものである山崎彼からのエロスをここで確実に手に入れられることになってしまった。ヤバい逃げて山崎彼、めちゃくちゃ逃げて。

あと、と~っても憶測だけど、この時代の同性愛って多分違法……?だから山崎彼の犯罪という違法行為に加担させられるなら、自分の同性愛という違法行為にも加担させるぞ、というのもあるのかな、と思ったり。

「Thrill me」~「スポーツカー」

ここから厄介なのは、手段が目的化してしまった(錯覚してしまった)がために山崎彼が本来の目的(自己同一性やそれを作るアガペー)を見失って、犯罪行為をしても満たされず、犯罪を繰り返す負のループに嵌ってること……。焦りや不安は加速するいっぽうだろうし、当然松岡私からのエロスを受け入れる精神的な余裕なんてなくなってくる。
「Thrill me」の前に「今度は親父のオフィスにしようぜ」とか「こいつはスリルあるぜ」って言う山崎彼の顔がぜんっぜん楽しそうじゃない。本当は誰かにめちゃくちゃ怒って欲しかったし止めて欲しかったんじゃないかな、と思わせるぐらい。誰も自分に真剣に向き合ってくれない絶望を感じた。その後の「どうせ弟の誕生日だ!」も慟哭に聞こえる。
「このところ何も感じないんだ」という言葉は、何をしても満たされない心の飢えや空虚さに対する焦りと不安を感じたし、精神状態がギリギリなんだろうなと思う。

なのに松岡私が空気を読まず「もう我慢できない」とか言い出すからさ〜もうちょい待ってあげて???の気持ちになる。
「今はまだダメだ、そんな気分じゃない」って言っても契約書を交わしたのは自分だから、プライドの高い山崎彼は従うしかない、例えそれが耐え難い苦痛だとしても……。「Thrill me」の最後で、松岡私に倒される無抵抗な山崎彼の表情があまりにも何の感情もなくて、これは痛みを受け入れることに慣れてしまった人だ……になった。感情をオフにして無抵抗でやり過ごせば終わる、ということを経験的に知ってそう。「あれから5分後」もずっと歪な姿勢のまま固まっているのもしんどい。

逆に松岡私は「Thrill me」までよく我慢したね、という気持ちにもなるから複雑。普段は父親の「自慢の息子」でいる松岡私は、唯一本性を曝け出せる山崎彼に「選ばれない」ことが何よりの苦痛なはずで。自分は山崎彼に「選ばれる」ために犯罪に加担しているのに、山崎彼は自分を「選ぶ」ことはだんだんしなくなって、契約が履行されなくなった。強制的に自分を「選んで」欲しい!っていう溜め込んだ思いが爆発した「Thrill me」だったなと思った。その前の「今度は僕の番だ」「抱きしめて欲しい」から既にゾッとするほどの情念と執着が見え隠れしている。

「計画」は何となくだけど「弟を殺す」という目的が先にあったのかな?という気がした。「殺人」をしたいんじゃなくて、弟を殺したい、という気持ちが先行しているというか。山崎彼が「何者にもなれない」のは父親からの関心や愛が向けられていないせいで、弟を殺せば、父親が独占できる!という非常にこどもっぽい……幼い山崎彼……。ここで殺人を思いついたというより、前々から弟に抱いていた憎しみが殺意という形になってここで爆発したような気がする。そのトリガーを引いたのは松岡私だけどね!!!空気読もうね!!!あなたのせいだよ!!!
でも松岡私に「彼も家族だ」って言われて殺意の矛先が空回りしてしまう、山崎彼はこれでまた目的のない犯罪をすることになる。

ここから先はオタクの偏見強めの思想なので読み飛ばして(そもそも真面目に読んでいる人がいるかどうか)欲しいんですけど、殺意と執着は紙一重だし、情欲と殺意で言ったら殺意の方が感情のベクトルとして強いと思っている。
松岡私は、山崎彼に「選んで」欲しいから山崎彼が弟に対して自分に向けるものより強い感情を抱いていることが許せないし、ましてや「レイプ殺人」なんて言われたら嫉妬で気が狂いそうになるんじゃないかな?自分には決して向けられることのない山崎彼の情欲が、弟に対しては(たとえそれが殺意という形でも)向けられているわけで……。なので殺意の矛先を変えさせたし、でも山崎彼が殺人に失敗することも薄々分かっていて、それでも山崎彼の「友情」が必要だった……松岡私も「選ばれない」と「死んで」しまうから……。だからこそ「戻れない道」がしんどい……。山崎彼に「選ばれ」て恋人として歩む日々を夢見ていた松岡私の願いが叶うことはもうない……。

ここから「超人たち」まで本当に幸福そうな顔をしている山崎彼も可哀想で可哀想で……愚かだな、とも思うけど哀れみが勝ってしまう。道を間違えたまま、目的を見失ったまま、破滅に向かって疾走していく山崎彼……。戻れない道だと知らずに、そこに自分の痛みと希望を賭して駆け抜けていった山崎彼……。「お前はなんて天才なんだ!」も楽しそうだし、塩酸やハンマーを確認している時もワクワクしてる。いや、これから猟奇犯罪するんだけどね……。あとこれ前回の感想でも言ったけど「スポーツカー」の山崎彼が中身空っぽすぎてしんどい。人当たりの良い親しみやすいお兄さんなんて、山崎彼の周りにはいなかったはずなのに……逆にいなかったからこそ空っぽの虚像を作り出せてしまうのしんどい。

「超人たち」~「99年」

「超人たち」は公演前半は恐怖の表情が多かった気がするんだけど、公演後半からは幸福そうな表情が増えたかな?殺人のスリルでしかこの時の山崎彼を満たせなかったとしたら、本当に悲しすぎる……こういう言い方が合ってるか分からないけど完全に躁状態だよね。でも優越感(超人の実感)に浸ることができたのは本当にここから「脅迫状」までの数時間だけで、ここで完全に心が壊れてしまったり、狂ってしまったりした訳じゃなくて……。逆にそうなら、どんなに良かったか(松岡私)
ただ道を違えただけで、目的を見失ってしまっただけで、山崎彼はずっと正気で正気のまま罪を犯して、正気のまま捕まって、正気のまま99年の宣告を迎えるのしんどすぎる。「きっと何者にもなれないこども」は、最後の最後まで狂気に堕ちることもできず、超人にもなれず、何者にもなれないまま死んでいった……。

「脅迫状」の山崎彼はまだ陶酔状態というか、すこしご機嫌に見える。私に対して「俺が誘拐されたら親父はどうするだろうな」という世間話をするぐらいには。でもここのシーン、松岡私は父の「自慢の息子」であるということ、山崎彼の父が「世間体しか気にしない」ということの、お互いの父親へのコンプレックスが曝け出される、結構残酷なシーンだなと思って観てた。社会から選ばれずに「透明な存在」になってしまった「何者にもなれないこどもたち」が「親にとって無二の存在である」という「自分が何者であるかの存在証明」がありえた世界を夢想しているようで……。
(ものすごくピンドラ概念をぶん回している。すみません。)
そしてこの2人は殺人という罪を犯した以上、これから先も社会に選ばれることもなく、決定的に「何者にもなれない」。「戻れない道」も観ててしんどくて泣いちゃうときがあったけれど、後から振り返ると「脅迫状」もなかなかに戻れないポイント(戻れないポイント?)すぎるな。

「大人しくしろ/僕の眼鏡」は、ほんっとうにナンバーとしての質が良すぎて、鬼テンポなのにヤマコーとゆっぴーさんのリズムがビタビタにシンクロするのが気持ち良すぎて、ちょっと心情どころじゃないんですけど()
「僕の眼鏡」の松岡私の焦りがだんだん山崎彼に伝播していって、山崎彼自身は焦ってないつもりなんだろうけど、苛立ちが前面に出ている。大輝くんがラジオで言っていた「だんだん松岡私に対して計算が効かなくなってくる」というのはこのあたりからなのかな~と何となく思っている。

「あの夜のこと」は山崎彼による松岡私への指南ではなくて、2人で「あの夜に犯した罪」を封印しようとするように聞こえたな。特徴的な振り付けもあって、彼と私の間でパワーバランスが行ったり来たりするようにも見える。まぁヤマコーは圧倒的に松岡私>>>>>>山崎彼なんだけど。

ここから山崎彼が取調室にぶち込まれるまで、松岡私の弁護をしようとしているのは前述のとおり「弱り目の松岡私に対して優位に立つことで優越感を感じたいから」「超人の俺ならバカな警察を騙すことなど容易いと勘違いしているから」だと思うんだけど、山崎彼が「俺の名前は一切出すな」って言ったあたりから雲行きが怪しい。ここからものすごい勢いで山崎彼の保身が始まる。だってバカな警察に捕まってしまったら、自分は「超人」でなくなってしまうから。多分「超人の松岡私より優位に立ちたい」という気持ちを「己のアイデンティティの崩壊に耐えられない」という気持ちが上回った瞬間がこのあたりなのかな。山崎彼のアイデンティティって(ニーチェ曲解独自解釈)超人のゴリ押し一辺倒だから、それが崩壊するということは結局「何者にもなれない」ということで……。「何者にもなれない」ことが耐えられない山崎彼だもんね。

で、取調室にぶち込まれようが、まだ往生際が悪い。そろそろ保身をやめないと好感度が地に落ちるって。あっもう「スポーツカー」あたりで好感度なんてもんないか……。
冗談はさておき、まだ足掻くんだよね山崎彼。とっくに打算とかできない状況になっているにも関わらず。松岡私から司法取引の話をされて、ようやく諦める。山崎彼はここで「超人ではないことを認めて生きる」「超人の自認を捨てられないまま死ぬか」を迫られた、to be or not to be.
そして、山崎彼が選んだのは「生きる」ほうだった。生きるために松岡私にすがって「俺と組んで」を歌うわけで……まぁここまで全部松岡私の計算通りなんですけど……。「俺と組んで」の山崎彼は完全に生身というか剥きだしというか、松岡私に対して自分が下位であることを認めている気がする。
「生きる」ために必死にもがく、文字通りの生存戦略が捨て身のキスだったのしんどすぎる。ただの「何者にもなれないこども」になって、何より耐えられなかったはずのそれを自分で認めてしまった山崎彼が本当に愚かで哀れでかわいそうで……。

山崎彼の「死にたくない」の良さについては他の方々が沢山語ってくれてるので今更私が言及するまでもないんだけど!本当にいいな。弊アカウントはかわいくて愚かで哀れな青年を応援しています。
「起きてるか?」って聞いたのは「聞かれたくない」でも「起きていて欲しい」でもなく、何と言うか、存在確認?修学旅行の夜に「まだ起きてる?」って聞くアレ、まぁここは監獄なんですが……。押しつぶされそうな闇の中で、返答があろうとなかろうと、思わず隣の存在を確かめようとしたのかなと思った。「死にたくない」本当にいい。映像とか贅沢言わないからせめて音源ください。

「本当に俺がなりたいのは、まさに彼のような弁護士だ」がずーーーーっと理解できなくて松岡私と同じぐらい塩反応になってたけど「幼い子を残虐な方法で殺めたから死刑」という民衆の思考や、判例や法律に則って死刑という判決を下すであろう司法に対して、彼らの弁護士は「死刑では解決できない」という1枚上手の倫理観(?)を提示して死刑を免れたわけで。そういう、いい意味で既存の価値観やルールに縛られない人間になりたかったのかな。まぁあそこで言われても知らんがな‼️になるしかないので松岡私に全面同意だけど……。

そして「99年」なんだけど……。既に「俺と組んで」の時点でボロボロな山崎彼に追い打ちをかける松岡私。「君を認めよう、でもこれから君は孤独だ」と告げる山崎彼は、松岡私に対しての意趣返しでも反撃でもなく、ただただ喪失の悲しみの中にいるように見えた。世界で唯一孤独を分け合えると信じていた存在すらも、自分に向き合って(愛して)くれなかった山崎彼の絶望を思うと……。
でも松岡私も全然幸福そうじゃない(尾上私に比べると)。だって、99年一緒にいたところで、山崎彼の心はもう二度とこちらを向かないし、自分以外の存在を一切排除したところで山崎彼に「選んで」もらえるわけじゃないし……。それでも手に入れたかった、選んで欲しかった、彼の心を置き去りにしてでも……。筆者は松岡私はメガネを落としたのはわざとじゃない派閥の人間なんですが、メガネを落としたことに気づいた時点で99年までのシナリオが出来てたんだろうな。証拠品をふき取ってないのは、契約書を盾にして迫った時のように、山崎彼を脅迫するために利用するつもりだったのかな。そうでもしないと山崎彼には「選んで」もらえない……。「看守なんか金でどうにでもなる」のは歴然たる事実として言っていたように思ったけど、その後ろに「でも山崎彼の心はもうどうにもならない」というこれも歴然たる事実である言葉が続いていたようにも思えて……。

お互いがお互いに叶えられないことを求めあってしまって、エスカレートしていく欲望はどんどん取返しのつかないことになって、唯一孤独を分け合える存在だった2人は、永遠に1人で孤独を抱えたまま生きていくことになってしまった。99年、永遠に……。

54歳の松岡私

審議官がアウトオブ眼中すぎて、この人話聞いてるのかな?とすら思ってしまったぐらい、松岡私の意識は過去にあって、現在の54歳に立ち返っている瞬間が少ないように見えた。まだまだ山崎彼に執着しているし、ある種の呪縛を抱えているように思う。だから「あなたはもう、自由の身です」って言われた時に「じ ゆ う……?」ってなる、故人である山崎彼の幻影に捉われてる以上、松岡私にとっての自由なんて、この世のどこにもない。ありったけの諦観が詰まった「じ ゆ う……?」だった。
そして「待ってたよ……!」は多分「ずっと僕は待ってた 君からの言葉」と繋がってると思うんだけど、これ「Thrill me」のフレーズなわけで。最後の「スリル、ミー」も「叶わないことが分かっていながらも、もう一度彼に触れて欲しかった」みたいなニュアンスを感じた。

今「Thrill me」を見る意義みたいなもの

ここまで色々書いたけど、結局後から理由なんてどうとでもできるわけで……劇場にあったのは「物語」ではなく「事実」で、観劇した回数だけ違う「事実」があった。
何で、どうして、ああしていれば、こうしていれば、そういうものが挟まる余地が一切ない歴然とした事実。
ヤマコーと篠崎さんと栗山さんとその他照明や衣装や様々なスタッフさんが作り上げたその「事実」を目撃できたことが、ファンとしては有難くて幸せで、観客としては月並みな言い方だけどとても考えさせられた。

彼らに「同情すること」を超えて「感情移入」してることが何より怖い、1歩間違えたら自分もそっちだったかもしれないと思うと。今の筆者は20歳なんですが、年齢が近いこともあって、もし自分が彼らみたいに「透明な存在」になっていたら、ああならない自信は全くない。むしろ、特に山崎彼の満たされない気持ちやモラトリアム的な焦りには共感してしまう。

あとハッとしたのは、松岡私の「(凶悪犯罪は)今も、起きている」というセリフ。文中でさんざん使用した「透明な存在」という言葉は実際に日本であった凄惨な事件の時に用いられた言葉だし、そもそもスリルミーが実在の事件を題材にした作品だし、決して手放しにフィクションとして礼賛できるものではない。どうやったら彼らのような存在を、私たちや社会は「選ぶ」ことができるのか、どうやったら透明な存在にならずに済んだのか、どうやったら彼らが孤独なまま沈んでいくことがなかったのか、そういうことを考えてしまった。

栗山さんがパンフレットの中で「現代には対話が欠けている」とおっしゃっていたように、相手を真摯に見つめることもしないその放棄された眼差しが、誰かを彼らのような「透明な存在」にしてしまっているのかなと思うと怖い。「何者にもなれない」のなんて現代では当たり前だし。

じゃあどうやったら「きっと何者にもなれない私たち」は誰かを「選ぶ」ことができるのか、誰かに「選ばれ」て「何者か」になることができるのか。
散々カギカッコで引用してきたフレーズは全部アニメ「輪るピングドラム」からの引用なので、きっとそこに答えがあるはず(強いて言うなら劇場版の方)。最後の最後に別作品の話をして申し訳ないんですが、この作品に触れていなければ筆者が「スリル・ミー」をこういう見方をすることもできなかったので……。ありがとうピンドラ。救われる未来にヤマコーがいつか、乗り換えられることを祈って。


長い!長すぎる!ここまで読んでくださった方(いれば)本当にありがとうございました。

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