「いい発注」とは?佐渡島庸平・若林恵が語る発注業務で必要な「ケア」の概念
初めてやりとりする会社に発注したら、想像とは違ったアウトプットになってしまった。価格にひかれて発注をしたが、追加費用が何度も発生し、結局予算を超えてしまった……。そんな発注にまつわるトラブルを経験した人は少なくないはずです。
どのような仕事にも不可欠な「受発注」ですが、そのノウハウが語られることはあまりありません。
本記事では、コンテンツレーベルである株式会社黒鳥社の代表としてさまざまなコンテンツ制作を手がける編集者・若林恵さんと、漫画編集者として『ドラゴン桜』、『宇宙兄弟』などの大ヒット漫画を担当したのち、クリエイターエージェンシー・株式会社コルクを立ち上げた佐渡島庸平さんをお招きし、対談を実施。
編集者として、あるいは会社の代表として、数多くの受発注を経験してきたお二人の会話から見えてきたのは、受発注に留まらず、いま「仕事」全般に欠けている「ケア」というキーワードでした。
「持っていない側」が「持っている側」に発注をする
——まずは、お二人が「受発注」という行為をどのように捉えているかお聞かせください。
若林:受発注のポイントは「非対称性がある」ことだと思っています。僕は編集者として仕事をしていますが、編集者って基本「何もできない」存在なんですよね。デザインのスキルがあるわけでもなければ、絵が描けるわけでもない。
だけれども、ライターや漫画家、デザイナーのみなさんに発注をして「もっとこうしてほしい」と指示している。つまり、特定の領域に関する情報や知識を「持っていない側」が「持っている側」に発注をする、という非対称性がある。
そういった非対称性のなかで発注をすることは、基本的にほとんどの職種でも同じだと考えています。何かができないから、それができる人や会社に発注しているわけで。
そう考えたとき、「発注を可能にしているものって何だろう」ということが気になりました。「情報や知識を持っていない発注者には、どのような権限や資格があって、情報や知識を持っている受注者に発注をし、ああだこうだ指図しているのだろう」と。
佐渡島:おもしろい問いですね。さまざまなメディアにおけるコンテンツづくりに関していえば、メディアの希少性が発注者を発注者たらしめていたのではないでしょうか。テレビ局にせよ出版社にせよ、かつては「コンテンツを発信するメディアを持っている」だけで希少な存在だったわけですよね。だからこそ、メディア側の人間はさまざまなクリエイターたちと「発注者」と「受注者」という固定的な関係性を築き、それを維持することができた。
しかし、インターネットやSNSの登場によって「メディアを持っていること」自体の価値は下がり、これまでの固定的な関係性に変化が生じてきています。それに、そもそもクリエイターとは、「発注されたからつくる」のではなく、「つくりたいからつくる」はずなんですよね。さまざまなクリエイティブの源泉はクリエイターの創作意欲であって、「受注」ではないはず。
佐渡島:僕がコルクというクリエイターエージェンシーを立ち上げた理由もここにあります。クリエイターを「受注者」から「発注者」に変えたかったんです。言い方を変えれば、クリエイターの「こんなものがつくりたい」という欲望を起点にしたコンテンツづくりをしたかった。
クリエイターは自らの創作意欲に基づいてものをつくる。だけど、それを売ることは簡単ではないから、僕たちのようなエージェントに「一緒に売ってくれませんか」と発注し、その売上を分け合うビジネスをやろうと考えました。
「見積もり」には、仕事の何に価値があるかが反映されている
——お話を聞いていると、受発注の関係性に複雑さが生じはじめたように感じます。
若林:受発注に必要な「見積もり作成」も複雑で、難しい作業だと思います。見積もり作成って、要は「どのような作業に対して対価を支払ってもらうか」を決めることじゃないですか。
会社勤めの方であれば、仕様書や見積書のフォーマットがあって、会社としてどのような成果物に、どれくらいの対価を要求するか決まっていると思いますが、個人で活動しているクリエイターなどは、自らの「どのような業務に、どれくらいの価値があるか」を見定めたうえで、見積もりをつくらなければなりません。
たとえば、フリーランスのライターが対談記事を制作する仕事を受けたとき、基本的には「原稿料」として見積もりを出すと思いますが、実際の仕事は執筆だけではなく、取材対象者の過去の発言を調べたり、質問を用意したり、取材の現場をうまく回したりすることも含まれるわけです。でも、見積書の明細に「取材を円滑に遂行する」という項目は立てないはずで。
佐渡島:その人が「取材を円滑に遂行すること」にこだわり、そこに価値があると思っていたとしても、発注側がその価値を認めていなければ、その見積もりは通りませんからね。必ずしも、発注者と受注者のあいだで「業務のなかの何に価値を見出すか」が合致しているわけではない。
若林:そうそう。だけど、発注者目線で言えば「うまく取材をしてくれたから、次もこの人にお願いしよう」ということもありえるわけだし、受注者に支払う「原稿料」に「円滑に取材を遂行すること」への報酬は含まれているはずです。
発注者は「(依頼する企業や個人の)どの部分に期待して、そこにどれくらいの対価を支払うのか」、受注側は「自らの仕事のどこにどれだけの価値があるのか」について、解像度を上げることが重要なのだと思います。
発注を考えることで、仕事における「ケア」の価値を見直す
——受発注について考えることは、自らの仕事のどの要素に、どれくらいの価値があるのかを考えることにもつながるわけですね。
若林:最近、デヴィッド・グレーバーの『ブルシット・ジョブ——クソどうでもいい仕事の理論』(岩波書店,2020)を読み返したんですよ。そこでは「労働の価値とは何か」について語られていて、グレーバーは「マルクスが確立した労働価値説(モノの価値は、それを生産するために費やされた労働時間に規定されるとする説)には欠陥がある」と指摘をしています。
その欠陥とは、「多くの仕事に付随する『ケア』という側面を覆い隠してしまったこと」だと書いているんです。
若林:多くの仕事は、受注者(価値提供者)に対するケアが必要とされるが、労働価値説はケアという要素を考慮しないばかりか、それを見えにくくしてしまった、と。たとえば漫画編集者の仕事って、ケアの要素がかなり含まれているじゃないですか。
佐渡島:そうですね。
若林:漫画編集者は、漫画家のメンタル面はもちろん、金銭面も含めてちゃんと生活できるかを気にする必要のある仕事だと思うんです。グレーバーいわく、ほとんどの仕事にそういったケアの要素があるはずなのに、労働価値説が広がったことによって、その要素が見えにくくなってしまった。
もう少し具体的にいえば、労働価値説は労働者を機械のように捉えている節がある。いち労働者が持つ価値の大小が「モノを生産するためにどれだけ稼働できるか」によって計られる、という考えを生むことにつながったわけです。
若林:労働価値説は現在の労働観にも少なからず影響を与えていて、発注もまた、その影響を受けているのではないかと思うんです。たとえば、漫画家や小説家への発注で最も嫌がられることに、「あの作品のようにつくってもらいたい」というものがあります。
すでに世にある作品と似たものを依頼することは、そのクリエイターの独創性を考慮していないとも受け取ることができる。発注相手が機械であればいいですが、意思をもって創作している方々には失礼な発注方法です。
佐渡島:おっしゃるとおり、漫画業界では「あの作品みたいなやつを」という発注はタブーです。一方で、過去に革職人へ財布をつくってもらったとき「こういう財布がほしい」と具体的な例を示したら、「佐渡島さんはつくってほしいものを明確に示してくれるから助かる」と喜んでもらえたんです。業界によって、どのような発注が良しとされるかはかなり違う。
若林:「ケア」という概念は一元化できないですね。発注相手の職業や業界、あるいはそのときどきの状況によって、ケアのあり方が変わる。発注相手に「どんなケアをすべきか」を考え続けることはとても重要です。
発注を考えることは、労働のなかに存在するケアの価値を見直すきっかけになると思うんです。そして、仕事にケアの概念を取り入れることは、労働の喜びを見出すことにもつながると考えています。
メンバーの疲弊を招いた「社内発注」の失敗
若林:あと、個人的には佐渡島さんに「社内発注」についても聞いてみたくて。社内の人に「あれやっておいて」というのも一つの発注ですからね。
佐渡島:僕、昔から「佐渡島さんは圧が強い」って言われるんですよ。それで「圧が強い」とはどういうことだろうとChatGPTに聞いてみたら「過剰な期待をすることです」と返ってきて、腑に落ちたんです。
というのも、僕自身は過剰な期待をされて育ってきたから、それが正しい育て方だと思っている節があるんですよね。新卒で講談社に入社して、先輩と一緒に『ドラゴン桜』を担当することになり、作者の三田紀房さんと3回目の打ち合わせをしたあたりから、先輩が「お前もう大丈夫だろ」と、それ以降打ち合わせに来なくなってしまったんです。
佐渡島:それから、ドラマ化の際のテレビ局との折衝など、すべて一人でやることになった。もちろん大変ではあったのですが、そのときにすごく成長した実感があったので、僕のなかでは、仕事をまるっと任せることで人は成長すると考えていました。
それに、基本的に漫画編集者は、作家のみなさんに「僕はこんな話が読みたい」と、ある意味で雑なイメージと大きな期待を伝え、その期待を超えてもらうことが主な仕事なので、細かく依頼することがあまりなかったんです。
社内の若いメンバーに対してもそれと同じことをやっていたら、それに圧を感じて疲弊してしまう人が出てきてしまって。そこで、仕事の任せ方もその人に合った方法にしないと、成長を妨げてしまうことを理解しました。
「いい発注」をするために、業務の解像度を上げる
——お二人の話を聞くと、ケアの視点を持つことが、「いい発注」につながるように感じます。ケアの視点を養うにはどうしたらいいのでしょうか。
佐渡島:発注する業務の解像度を上げる必要があると思います。最近は、社員たちにクラウドソーシングの利用を推奨しています。というのも、クラウドソーシングは業務の背景をまったく知らない人に発注するので、発注内容をわかりやすく明確に示さないといけないじゃないですか。
「どのような業務と、どうつながっているのか」「完遂するにはどれくらいの時間がかかるか」など、発注にあたって業務のことを熟知し、言語化することが求められます。なので、「クラウドソーシングを利用して完遂する」というステップを踏むと、その業務を後輩や新人に教えるのが上手くなるんです。
そして、クラウドソーシングなどを利用するときは基本的に、業務の過程でコミュニケーションを取らないので、どうしても相手へのケアを介在させにくい。そのため、オンライン上で仕事を依頼することは、「ケアが必要な業務」と「ケアが不要な業務」を峻別することにもつながるのだと思っています。
若林:なるほどね。業務を分解して切り出しても、実際それらはつながって仕事が成り立っている。すると、分解した業務のあいだをつなげることが重要になる。だけど、業務の解像度が上がらなければ、どこが「あいだ」なのかわからなくなってしまいますね。
佐渡島:そうそう。異なる業務を行なっている誰かと誰かのあいだに立ち、円滑に遂行するには、やはり双方に対するケアが必要になります。それぞれの業務の解像度が上がれば、依頼する際、必要なケアができるようになる。つまり、いい発注ができるようになると思っています。
取材・文:鷲尾諒太郎
写真:安井信介
編集:森谷美穂(CINRA, Inc)