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泉鏡花作『化鳥』考察


物語りのあらすじ


廉(8-9歳くらいの男児)は、落ちぶれて橋の通行料で生計を立てている母と共に橋のたもとに住んでいる。廉は、橋を行き来する人を動物に例えて楽しんでいる。学校の先生が、修身の時間に、人間は知恵があって他の動物よりも偉大なのだと教えると、動物も人間もおんなじだ、動物も互いにお話をしている、と反論する。それは、母が、人間を動物に例えていたからだ。それを聞いた母は、そのことは廉と母だけが知っていることなので、ほかの者には内緒にしておきなさいとたしなめる。

ある日、廉は、橋の柱につながれた猿を構いに行って、足を滑らせて川に落ちてします。水を飲んで意識が遠のいてくなかで、明るい閃光が差し、明かりの中に体が包まれて地を離れる。大きな美しい目がぬれ髪をかぶって、頬のところにくっついていた。母にその話をすると、「それはね、おおきな五色のはねがあって、天上にあそんでいる美しいおねえさんだよ」と言う。

廉は、美しいお姉さんを探して鳥屋に行くが見つからない。そして、梅林に入っていく。日が暮れて辺りが暗くなると怖さが襲ってくる。カエルの声と目に怯えていると、自分が鳥になっているように見えた。そのとき、お母さんが後ろからしっかりと抱きしめてくれていた。はねのはえた美しい人は、どうも母親(おっかさん)であるらしい。

お母さんに五色のはねははえてはいない。また、猿にぶつかって川に落ちてみようか。そうすればまた引き上げてくれるだろう。でもいい。お母様(おっかさん)がいらっしゃったから。

原典のテキスト


青空文庫 「化鳥」のテキストを見やすいように編集を加えました。

(1)



愉快(おもしろ)いな、愉快いな、
お天気が悪くって外へ出て遊べなくってもいいや、笠(かさ)を着て、蓑(みの)を着て、雨の降るなかをびしょびしょ濡れながら、橋の上を渡って行くのは猪(いのしし)だ。

 菅笠(すげがさ)を目深(まぶか)に被って、しぶきに濡れまいと思って向風(むかいかぜ)に俯向(うつむい)てるから顔も見えない、着ている蓑の裙(すそ)が引摺(ひきず)って長いから、脚(あし)も見えないで歩いて行く、背の高さは五尺ばかりあろうかな、猪(いのしし)、としては大きなものよ、大方猪(いのしし)ン中の王様があんな三角形なりの冠(かんむり)をきて、市(まち)へ出て来て、そして、私のおっかさんの橋の上を通るのであろう。
 と、こう思って見ていると愉快(おもしろ)い、愉快い、愉快い。

 寒い日の朝、雨の降ってる時、私の小さな時分、何日いつかでしたっけ、窓から顔を出して見ていました。
「おっかさん、愉快(おもしろ)いものがあるいて行ゆくよ。」
 その時母様は私の手袋をこしらえていて下すって、
「そうかい、何が通りました。」
「あのウ猪。」
「そう。」といって笑っていらっしゃる。
「ありゃ猪だねえ、猪の王様だねえ。
 おっかさん。だって、大きいんだもの、そして三角形の冠を被(かぶっ)ていました。そうだけれども、王様だけれども、雨が降るからねえ、びしょぬれになって、可哀相(かわいそう)だったよ。」

 おっかさんは顔をあげて、こっちをお向きで、
「吹込みますから、お前もこっちへおいで、そんなにしていると、衣服(きもの)が濡れますよ。」
「戸を閉めよう、おっかさん、ね、ここんとこの。」
「いいえ、そうしてあけておかないと、お客様が通っても橋銭(はしせん)を置いて行ってくれません。ずるいからね、引籠(ひっこも)って誰も見ていないと、そそくさ通抜けてしまいますもの。」

 私はその時分は何にも知らないでいたけれども、おっかさんと二人ぐらしは、この橋銭(はしせん)で立って行ったので、一人前いくらかずつ取って渡しました。
 橋のあったのは、市(まち)を少し離れた処で、堤防(どて)に松の木が並んで植っていて、橋の袂(たもと)に榎(えのき)が一本、時雨榎(しぐれえのき)とかいうのであった。

 この榎(えのき)の下に、箱のような、小さな、番小屋を建てて、そこにおっかさんと二人で住んでいたので、橋は粗造(あらづく)りな、まるで、間に合せといったようなこしらえ方、杭(くい)の上へ板を渡して竹を欄干(らんかん)にしたばかりのもので、それでも五人や十人ぐらいいっときに渡ったからッて、少し揺れはしようけれど、折れて落ちるような憂慮(きづかい)はないのであった。

 ちょうど市(まち)の場末に住んでる日傭取(ひようとり)、土方、人足、それから、三味線を弾いたり、太鼓を鳴ならして飴を売ったりする者、越後獅子やら、猿廻しやら、附木(つけぎ)を売る者だの、唄を謡うものだの、元結(もっとい)よりだの、早附木の箱を内職にするものなんぞが、めぬきの市(まち)へ出て行く往帰(ゆきかえり)には、是非おっかさんの橋を通らなければならないので、百人と二百人ずつ朝晩賑かな人通りがある。

 それからまた向うから渡って来て、この橋を越して場末の穢(きたな)い町を通り過ぎると、野原へ出る。そこンとこは梅林で、上の山が桜の名所で、その下に桃谷というのがあって、谷間(たにあい)の小流(こながれ)には、菖蒲(あやめ)、燕子花(かきつばた)が一杯咲く。頬白(ほおじろ)、山雀(やまがら)、雲雀(ひばり)などが、ばらばらになって唄っているから、綺麗な着物を着た間屋の女(むすめ)だの、金満家(かねもち)の隠居だの、瓢(ひさご)を腰へ提(さ)げたり、花の枝をかついだりして千鳥足で通るのがある。それは春のことで。夏になると納涼(すずみ)だといって人が出る。秋は蕈狩(たけがり)に出懸けて来る、遊山(ゆさん)をするのが、みんなうちの橋を通らねばならない。

 この間も誰かと二三人づれで、学校のお師匠さんが、うちの前を通って、私の顔を見たから、丁寧にお辞儀をすると、おや、といったきりで、橋銭(はしせん)を置かないで行ってしまった。
「ねえ、母様おっかさん、先生もずるい人なんかねえ。」
 と窓から顔を引込ひっこませた。

(2)


「お心易立(こころやすだ)てなんでしょう、でもずるいんだよ。よっぽどそういおうかと思ったけれど、先生だというから、また、そんなことで悪く取って、お前が憎まれでもしちゃなるまいと思って、黙っていました。」
 といいいいおっかさんは縫っていらっしゃる。
 お膝の上に落ちていた、一ツの方の手袋の、恰好(かっこう)が出来たのを、私は手に取って、掌(て)のひらにあててみたり、甲の上へ乗ッけてみたり、
「おっかさん、先生はね、それでなくっても僕のことを可愛がっちゃあ下さらないの。」
 と訴えるようにいいました。

 こういった時に、学校で何だか知らないけれど、私がものをいっても、快く返事をおしでなかったり、拗(すね)たような、けんどんなような、おもしろくない言ことばをおかけであるのを、いつでも情なさけないと思い思いしていたのを考え出して、少し鬱(ふさい)で来て俯向(うつむ)いた。
「なぜさ。」
 何、そういう様子の見えるのは、つい四五日前からで、その前(さき)にはちっともこんなことはありはしなかった。帰っておっかさんにそういって、なぜだか聞いてみようと思ったんだ。
 けれど、番小屋へ入るとすぐ飛出して遊んであるいて、帰ると、御飯を食べて、そしちゃあ横になって、おっかさんの気高い美しい、たのもしい、穏当な、そして少し痩(やせ)ておいでの、髪を束ねてしっとりしていらっしゃる顔を見て、何か話をしいしい、ぱっちりと眼をあいてるつもりなのが、いつか、そのまんまで寝てしまって、眼がさめると、またすぐ支度を済すまして、学校へ行くんだもの。そんなこといってる隙(ひま)がなかったのが、雨で閉籠(とじこも)って、淋しいので思い出した、ついでだから聞いたので。
「なぜだって、何なの、この間ねえ、先生が修身のお話をしてね、人は何だから、世の中に一番えらいものだって、そういつたの。おっかさん、違ってるわねえ。」
「むむ。」
「ねッ違ってるワ、おっかさん。」
 ともみくちゃにしたので、吃驚(びっくり)して、ぴったり手をついて畳の上で、手袋をのした。横に皺が寄ったから、引張って、
「だから僕、そういったんだ、いいえ、あの、先生、そうではないの。人も、猫も、犬も、それから熊も、みんなおんなじ動物(けだもの)だって。」
「何とおっしゃったね。」
「馬鹿なことをおっしゃいって。」
「そうでしょう。それから、」
「それから、(だって、犬や、猫が、口を利(き)ますか、ものをいいますか)ッて、そういうの。いいます。雀だってチッチッチッチッて、おっかさんと、おとっさんと、こどもと友達とみんなで、お話をしてるじゃあありませんか。僕眠い時、うっとりしてる時なんぞは、耳ンとこに来て、チッチッチて、何かいって聞かせますのッてそういうとね、(つまらない、そりゃ囀(さえず)るんです。ものをいうのじゃあなくッて囀るの、だから何をいうんだか分りますまい)ッて聞いたよ。

僕ね、あのウだってもね、先生、人だって、大勢で、みんなが体操場で、てんでに何かいってるのを遠くンとこで聞いていると、何をいってるのかちっとも分らないで、ざあざあッて流れてる川の音とおんなしで、僕分りませんもの。それから僕のうちの橋の下を、あのウ舟漕いで行くのが何だか唄って行くけれど、何をいうんだかやっぱり鳥が声を大きくして長く引ひっぱって鳴いてるのと違いませんもの。ずッと川下の方で、ほうほうッて呼んでるのは、あれは、あの、人なんか、犬なんか、分りませんもの。雀だって、四十雀(しじゅうから)だって、軒だの、榎(えのき)だのにとまってないで、僕と一所に坐って話したらみんな分るんだけれど、離れてるから聞えませんの。だって、ソッとそばへ行って、僕、お話しようと思うと、皆立っていってしまいますもの、でも、いまに大人になると、遠くで居ても分りますッて。小さい耳だから、いろんな声が入らないのだって、おっかさんが僕、あかさんであった時分からいいました。犬も猫も人間もおんなじだって。ねえ、おっかさん、だねえ おっかさん、いまに皆分るんだね。」

(3)


おっかさんはにっこりなすって、
「ああ、それで何かい、先生が腹をお立ちのかい。」
 そればかりではなかった、私の児心(こどもごころ)にも、アレ先生が嫌な顔をしたな、トこう思って取ったのは、まだモ少しいろんなことをいいあってから、それから後の事で。
 はじめは先生も笑いながら、ま、あなたがそう思っているのなら、しばらくそうしておきましょう。けれども人間には智慧というものがあって、これには他ほかの鳥だの、獣(けだもの)だのという動物が企(くわだ)て及ばないということを、私が河岸に住まっているからって、例をあげておさとしであつた。
 釣りをする、網を打つ、鳥をさす、みんな人の智慧で、何も知らない、分らないから、つられて、刺されて、たべられてしまうのだトこういうことだった。
そんなことは私聞かないで知っている、朝晩見ているもの。
 
 橋を挟んで、川を遡ぼったり、流れたりして、流網(ながれあみ)をかけて魚(うお)を取るのが、川ン中に手拱(てあぐら)かいて、ぶるぶるふるえて突立ってるうちは、顔のある人間だけれど、そらといって水に潜ると、逆さになって、水潜(みずくぐり)をしいしい五分間ばかりも泳いでいる、足ばかりが見える。その足の恰好の悪さといったらない。うつくしい、金魚の泳いでる尾鰭(おひれ)の姿や、ぴらぴらと水銀色を輝かして跳ねてあがる鮎なんぞの立派さにはまるでくらべものになるのじゃあない。そうしてあんな、水浸しになって、大川の中から足を出してる、こんな人間がありますものか。で、人間だと思うとおかしいけれど、川ン中から足が生えたのだと、そう思って見ているとおもしろくッて、ちっとも嫌なことはないので、つまらない観世物を見に行ゆくより、ずっとまし、なのだって、おっかさんがそうおいいだから、私はそう思っていますもの。


 それから、釣をしてますのは、ね、先生、とまたその時先生にそういいました。あれは人間じゃあない、蕈(きのこ)なんで、御覧なさい。片手懐(ふところ)って、ぬうと立って、笠を被ってる姿というものは、堤防(どて)の上に一本占治茸(しめじ)が生えたのに違いません。

 夕方になって、ひょろ長い影がさして、薄暗い鼠色の立姿にでもなると、ますます占治茸(しめじたけ)で、ずっと遠い遠い処まで一(ひと)ならびに、十人も三十人も、小さいのだの、大きいのだの、短いのだの、長いのだの、一番橋手前のを頭(かしら)にして、さかり時は毎日五六十本も出来るので、またあっちこっちに五六人ずつも一団(ひとかたまり)になってるのは、千本しめじッて、くさくさに生えている、それは小さいのだ。木だの、草だのだと、風が吹くと動くんだけれど、蕈(きのこ)だから、あの、蕈だからゆっさりとしもしませぬ。これが智慧があって釣をする人間で、ちっとも動かない。その間に魚(うお)はみんなで悠々と泳いであるいていますわ。

 また智慧があるっても、口を利(き)かれないから鳥とくらべッこすりゃ、五分々々のがある、それは鳥さしで。 過日(いつか)じゅう見たことがありました。

 よそのおじさんの鳥さしが来て、私ンとこの橋の詰つめで、榎の下で立留まって、六本めの枝のさきに可愛い頬白(ほおじろ)が居たのを、棹(さお)でもってねらったから、あらあらッてそういったら、しッ、黙って、黙って。恐こわい顔をして私を睨(ねめ)たから、あとじさりをして、そッと見ていると、いきもしないで、じっとして、石のように黙ってしまって、こう据身(すえみ)になって、中空を貫くように、じりっと棹をのばして、覗(ねら)ってるのに、頬白は何にも知らないで、チ、チ、チッチッてッて、おもしろそうに、何かいってしゃべっていました。それをとうとう突つッついてさして取ると、棹のさきで、くるくると舞って、まだ烈(はげし)く声を出して鳴いてるのに、智慧のある小父さんの鳥さしは、黙って、鰌掴(どじょうづか)みにして、腰の袋ン中へ捻(ねじ)り込んで、それでもまだ黙って、ものもいわないで、のっそりいっちまったことがあったんで。

(4)


 頬白(ほおじろ)は智慧のある鳥さしにとられたけれど、囀(さえず)ってましたもの。ものをいっていましたもの。おじさんはだんまりで、そばに見ていた私までものを言うことが出来なかったんだもの。何もくらべっこして、どっちがえらいとも分りはしないって。

 何でもそんなことをいったんで、ほんとうに私そう思っていましたから。
 でも、それを先生が怒ったんではなかったらしい。
 で、まだまだいろんなことをいって、人間が、鳥や獣(けだもの)よりえらいものだとそういっておさとしであったけれど、海ン中だの、山奥だの、私の知らない、分らない処のことばかり譬(たとえ)に引いていうんだから、口答(くちごた)へは出来なかったけれど、ちっともなるほどと思われるようなことはなかった。

 だって、私、おっかさんのおっしゃること、うそだと思いませんもの。私のおっかさんがうそをいって聞かせますものか。
 先生はおなじクラスのこども達を三十人も四十人も一人で可愛がろうとするんだし、おっかさんは私一人可愛いんだから、どうして、先生のいうことは私を欺(だま)すんでも、おっかさんがいってお聞かせのは、決して違ったことではない、トそう思ってるのに、先生のは、まるでおっかさんのと違ったこというんだから心服はされないじゃありませんか。

 私が頷(うなず)かないので、先生がまた、それでは、みんなあなたの思ってる通りにしておきましょう。けれども木だの、草だのよりも、人間が立ち優った、立派なものであるということは、いかな、あなたにでも分りましょう、まずそれを基礎(どだい)にして、お話をしようからって、聞きました。
 分らない、私そうは思わなかった。


「あのウおっかさん(だって、先生、先生より花の方がうつくしゅうございます)ッてそう言ったの。僕、ほんとうにそう思ったの、お庭にね、ちょうど菊の花の咲いてるのが見えたから。」
 先生は束髪(たばがみ)に結った、色の黒い、なりの低い巌乗(がんじょう)な、でくでく肥ったおんなの方で、私がそういうと顔を赤うした。それから急にツッケンドンなものいいおしだから、大方それが腹をお立ちの原因であろうと思う。

「おっかさん、それで怒ったの、そうなの。」
 おっかさんは合点(がってん)々々をなすって、
「おお、そんなことを坊や、お前いいましたか。そりゃお道理だ。」
 といって笑顔をなすったが、これは私の悪戯(いたずら)をして、おっかさんのおっしゃること肯(き)かない時、ちっとも叱らないで、恐い顔しないで、莞爾(にっこり)笑ってお見せの、それとかわらなかった。

 そうだ。先生の怒ったのはそれに違いない。
「だって、うそをいっちゃあなりませんって、そういつでも先生はいう癖になあ。ほんとうに僕、花の方がきれいだと思うもの。ね、おっかさん、あのお邸(やしき)の坊ちゃんの、青だの、紫だの交った、着物より、花の方がうつくしいって、そういうのね。だもの、先生なんざ。」

「あれ、だってもね、そんなこと人の前でいうのではありません。お前と、おっかさんのほかには、こんないいこと知ってるものはないのだから。分らない人にそんなこというと、怒られますよ。ただ、ねえ、そう思っていればいいのだから、いってはなりませんよ。いいかい。そして先生が腹を立ってお憎みだって、そういうけれど、何そんなことがありますものか。それはみんなお前がそう思うからで、あの、雀だって餌を与やって、拾ってるのを見て、嬉しそうだと思えば嬉しそうだし、頬白(ほおじろ)がおじさんにさされた時悲しい声と思って見れば、ひいひいいって鳴いたように聞えたじゃないか。

 それでも先生が恐い顔をしておいでなら、そんなものは見ていないで、今お前がいった、そのうつくしい菊の花を見ていたらいいでしょう。ね、そして何かい、学校のお庭に咲いてるのかい。」
「ああ沢山。」
「じゃあその菊を見ようと思って学校へおいで。花はね、ものをいわないから耳に聞えないでも、そのかわり眼にはうつくしいよ。」
 モひとつ不平なのはお天気の悪いことで、おもてには、なかなか雨がやみそうにもない。

(5)


 また顔を出して窓から川を見た。さっきは雨脚(あめあし)が繁(はげし)くって、まるで、薄墨(うすずみ)で刷(は)いたよう、堤防(どて)だの、石垣だの、蛇籠(じゃかご)だの、中洲(なかす)に草の生えた処だのが、点々(ぽっちりぽっちり)、あちらこちらに黒ずんでいて、それで湿っぽくって、暗かったから見えなかったが、少し晴れて来たから、ものの濡れたのがみんな見える。


 遠くの方に堤防(どて)の下の石垣の中ほどに、置物のようになって、畏(かしこま)って、猿が居る。

 この猿は、誰が持主というのでもない。細引(ほそびき)の麻縄で棒杭(ぼうぐい)に結(ゆわ)えつけてあるので、あの、湿地茸(しめじたけ)が、腰弁当の握飯(にぎりめし)を半分やったり、坊ちゃんだの、乳母(ばあや)だのが、袂(たもと)の菓子を分けて与ったり、紅(あか)い着物を着ている、みいちゃんの紅雀(べにすずめ)だの、青い羽織を着ている吉公(きちこう)の目白(めじろ)だの、それからお邸(やしき)のかなりやの姫様(ひいさん)なんぞが、みんなで、からかいに行っては、花を持たせる、手拭(てぬぐい)を被(か)ぶせる、水鉄砲を浴(あ)びせるという、好きな玩弄物(おもちゃ)にして、そのかわり何でもたべるものを分けてやるので、誰といって、きまって世話をする、飼主はないのだけれど、猿の餓えることはありはしなかった。

 時々悪戯(いたずら)をして、その紅雀の天窓(あたま)の毛をむしったり、かなりやを引掻(ひっか)いたりすることがあるので、あの猿松が居ては、うっかり可愛らしい小鳥を手放(てばな)しにして戸外(おもて)へ出してはおけない、誰か見張ってでもいないと、危険(けんのん)だからって、ちょいちょい縄を解いて放してやったことが幾度もあった。

 放すが疾(はや)いか、猿は方々を駈(か)けずり廻って勝手放題な道楽をする。夜中に月が明(あか)るい時、寺の門を叩いたこともあったそうだし、人の庖厨(くりや)へ忍び込んで、鍋の大きいのと飯櫃(めしびつ)を大屋根へ持って、あがって、手掴(てづかみ)で食べたこともあったそうだし、ひらひらと青いなかから紅(あか)い切きれのこぼれている、うつくしい鳥の袂(たもと)を引張ひっぱって、遥(はるか)に見える山を指ゆびさして気絶さしたこともあったそうなり、私の覚えてからも一度誰かが、縄を切ってやったことがあった。その時はこの時雨(しぐれ)榎(えのき)の枝の両股になってる処に、仰向(あおむけ)に寝転んでいて、烏の脛(あし)を捕かまえた。それから畚(びく)に入れてある、あのしめじ蕈(たけ)が釣った、沙魚(はぜ)をぶちまけて、散々(さんざ)悪巫山戯(わるふざけ)をした挙句(あげく)が、橋の詰めの浮世床(うきよどこ)のおじさんに掴(つ)かまって、額の毛を真四角(まっしかく)に鋏(は)さまれた、それで堪忍をして追放(おっぱな)したんだそうだのに、夜が明けて見ると、またいつもの処に棒杭にちゃんと結えてあッた。蛇籠の上の、石垣の中ほどで、上の堤防(どて)には柳の切株がある処。

 またはじまった、この通りに猿をつかまえてここへ縛っとくのは誰だろう誰だろうッて一ひとしきり騒いだのを私は知っている。

 で、この猿には出処(しゅっしょ)がある。
 それはおっかさんが御存じで、私にお話しなすった。
 八九年前のこと、私がまだおっかさんのお腹ん中に小さくなっていた時分なんで、正月、春のはじめのことであった。


 今はただ広い世の中におっかさんと、やがて、私のものといったら、この番小屋と仮橋の他ほかにはないが、その時分はこの橋ほどのものは、邸(やかた)の庭の中の一ツの眺望(ながめ)に過ぎないのであったそうで。今、市(まち)の人が春、夏、秋、冬、遊山(ゆさん)に来る、桜山も、桃谷も、あの梅林も、菖蒲(あやめ)の池もみんなおとっさんので、頬白(ほおじろ)だの、目白だの、山雀(やまがら)だのが、この窓から堤防(どて)の岸や、柳の下(もと)や、蛇籠(蛇籠)の上に居るのが見える、その身体(からだ)の色ばかりがそれである、小鳥ではない、ほんとうの可愛らしい、うつくしいのがちょうどこんな工合に朱塗りの欄干のついた二階の窓から見えたそうで。今日はまだお言いでないが、こういう雨の降って淋さみしい時なぞは、そのころのことをいつでもいってお聞かせだ。

(6)


 今ではそんな楽しい、うつくしい、花園がないかわり、前に橋銭(はしせん)を受取る笊(ざる)の置いてある、この小さな窓から風(ふう)がわりな猪(いのしし)だの、希代(まれ)な蕈(きのこ)だの、不思議な猿だの、まだその他に人の顔をした鳥だの、獣(けだもの)だのが、いくらでも見えるから、ちっとは思出(おもいで)になるといっちゃあ、アノ笑顔をおしなので、私もそう思って見るせいか、人があるいて行く時、片足をあげた処は一本脚の鳥のようでおもしろい。人の笑うのを見ると獣(けだもの)が大きな赤い口をあけたよと思っておもしろい。みいちゃんがものをいうと、おや小鳥が囀(さえず)るかとそう思っておかしいのだ。で、何でも、おもしろくッて、おかしくッて、吹出さずには居られない。

 だけれど今しがたもおっかさんがおいいの通り、こんないいことを知ってるのは、おっかさんと私ばかりで、どうして、みいちゃんだの、吉公だの、それから学校の女の先生なんぞに教えたって分るものか。


 人に踏まれたり、蹴けられたり、後足で砂をかけられたり、苛(いじめ)られて責(さ)いなまれて、煮湯(にえゆ)を飲ませられて、砂を浴びせられて、鞭(むち)うたれて、朝から晩まで泣通しで、咽喉(のど)がかれて、血を吐いて、消えてしまいそうになってる処を、人に高見で見物されて、おもしろがられて、笑われて、慰(なぐさ)みにされて、嬉しがられて、眼が血走って、髪が動いて、唇が破れた処で、口惜(くや)しい、口惜しい、口惜しい、口惜しい、蓄生め、獣(けだもの)めと始終(そう)思って、五年も八年も経たたなければ、ほんとうに分ることではない、覚えられることではないんだそうで、お亡くなんなすった、おとっさんとこのおっかさんとが聞いても身震いがするような、そういう酷いめに、苦しい、痛い、苦しい、辛い、惨酷(みじ)なめに逢って、そうしてようようお分りになったのを、すっかり私に教えて下すったので、私はただ母ちゃん母ちゃんてッておっかさんの肩をつかまえたり、膝にのっかったり、針箱の引出ひきだしを交(ま)ぜかえしたり、物さしをまわしてみたり、裁縫(おしごと)の衣服(きもの)を天窓(あたま)から被(かぶ)ってみたり、叱られて遁()げ出したりしていて、それでちゃんと教えて頂いて、それをば覚えて分ってから、何でも、鳥だの、獣(けだもの)だの、草だの、木だの、虫だの、蕈(きのこ)だのに人が見えるのだから、こんなおもしろい、結構なことはない。しかし私にこういういいことを教えて下すったおっかさんは、とそう思う時は鬱(ふさ)ぎました。これはちっともおもしろくなくって悲しかった、勿体ない、とそう思った。

 だっておっかさんがおろそかに聞いてはなりません。私がそれほどの思いをしてようようお前に教えらるるようになったんだから、うかつに聞いていては罰(ばち)があたります。人間も、鳥獣も草木も、昆虫類も、みんな形こそ変っていてもおんなじほどのものだということを。

 とこうおっしゃるんだから。私はいつも手をついて聞きました。

 で、はじめの内はどうしても人が、鳥や、獣(けだもの)とは思われないで、優しくされれば嬉しかった、叱られると恐かった、泣いてると可哀相(かわいそう)だった、そしていろんなことを思った。そのたびにそういっておっかさんにきいてみると何、皆みんな鳥が囀(さえず)ってるんだの、犬が吠るんだの、あの、猿が歯を剥むくんだの、木が身ぶるいをするんだのとちっとも違ったことはないって、そうおっしゃるけれど、やっぱりそうばかりは思われないで、いじめられて泣いたり、撫でられて嬉しかったりしいしいしたのを、その都度おっかさんに教えられて、今じゃあモウ何とも思っていない。

 そしてまだああ濡れては寒いだろう、冷たいだろうと、さきのように雨に濡れてびしょびしょ行くのを見ると気の毒だったり、釣りをしている人がおもしろそうだとそう思ったりなんぞしたのが、この節じゃもう、ただ、変な蕈(きのこ)だ、妙な猪(いのしし)だと、おかしいばかりである、おもしろいばかりである、つまらないばかりである、見ッともないばかりである、馬鹿々々しいばかりである、それからみいちゃんのようなのは可愛らしいのである、吉公のようなのはうつくしいのである、けれどもそれは紅雀がうつくしいのと、目白が可愛らしいのとちっとも違いはせぬので、うつくしい、可愛らしい。うつくしい、可愛らしい。
 

(7)

    
 また憎らしいのがある、腹立たしいのも他にあるけれども、それもある場合に猿が憎らしかったり、鳥が腹立たしかったりするのとかわりは無いので。詮(せん)ずれば皆おかしいばかり、やっぱり噴飯材料(ふきだすたね)なんで、別に取留めたことがありはしなかった。

 で、つまり情を動かされて、悲しむ、愁(うれ)うる、楽しむ、喜ぶなどいうことは、時に因(よ)り場合においてのおっかさんばかりなので。よそのものはどうであろうとちっとも心には懸(か)けないように日ましにそうなって来た。しかしこういう心になるまでには、私を教えるために、毎日、毎晩、見る者、聞くものについて、母様がどんなに苦労をなすって、丁寧に深切に、飽かないで、熱心に、懇(ねんごろ)に噛かんで含めるようになすったかも知れはしない。だもの、どうして学校の先生をはじめ、よそのものが少々ぐらいのことで、分るものか、誰だって分りやしません。


 ところが、おっかさんと私とのほか知らないことを、モ一人他に知ってるものがあるそうで、始終おっかさんがいってお聞かせの、それはあすこに置物のように畏(かしこ)まっている、あの猿――あの猿のもとの飼主であった――老父(じい)さんの猿廻しだといいます。

 さっき私がいった、猿に出処(しゅっしょ)があるというのはこのことで。

 まだ私がおっかさんのお腹なかに居た時分だッて、そういいましたっけ。
 初卯(はつう)の日、おっかさんが腰元を二人連れて、市(まち)の卯辰(うたつ)の方の天神様へお参(まいり)なすって、晩方帰っていらっしゃった。ちょうど川向うの、いま猿の居る処で、堤防(どて)の上のあの柳の切株に腰をかけて猿のひかえ綱を握ったなり、俯向(うつむ)いて、小さくなって、肩で呼吸(いき)をしていたのがその猿廻のじいさんであった。

 大方今の紅雀のその姉さんだの、頬白(ほおじろ)のその兄さんだのであったろうと思われる。男だの、女だの、七八人寄って、たかって、猿にからかって、きゃあきゃあいわせて、わあわあ笑って、手を拍って、喝采して、おもしろがって、おかしがって、散々(さんざ)慰(なぐさ)んで、そら菓子をやるワ、蜜柑を投げろ、餅をたべさすわって、みんなでどっさり猿に御馳走をして、暗くなるとどやどやいっちまったんだ。で、じいさんをいたわってやったものは、ただの一人もなかったといいます。


 あわれだとお思いなすって、おっかさんがお銭(あし)を恵んで、肩掛(ショオル)を着せておやんなすったら、じいさん涙を落して拝んで喜びましたって、そうして、
(ああ、奥様、私わたくしは獣(けだもの)になりとうございます。あいら、皆みんな畜生で、この猿めが夥間(なかま)でござりましょう。それで、手前達の同類にものをくわせながら、人間一疋ぴきの私わたくしには目を懸けぬのでござります。)とそういってあたりを睨(にら)んだ、恐らくこのじいさんなら分るであろう、いや、分るまでもない、人が獣(けだもの)であることをいわないでも知っていようと、そういって、おっかさんがお聞かせなすった。

 うまいこと知ってるな、じいさん。じいさんと母様と私と三人だ。その時じいさんがそのまんまで控綱(ひかえづな)をそこン処とこの棒杭(ぼうぐい)に縛りッ放しにして猿をうっちゃって行こうとしたので、供の女中が口を出して、どうするつもりだって聞いた。母様もまた傍からまあ棄児(すてご)にしては可哀相でないかッて、お聞きなすったら、じいさんにやにやと笑ったそうで、
(はい、いえ、大丈夫でござります。人間をこうやっといたら、餓えも凍えもしようけれど、獣(けだもの)でござりますから今に長い目で御覧ごろうじまし、此奴(こいつ)はもう決してひもじい目に逢うことはござりませぬから。)
 とそういって、かさねがさね恩を謝して、分れてどこへか行っちまいましたッて。


 果して猿は餓えないでいる。もう今ではよっぽどの年紀(とし)であろう。すりゃ、猿のじいさんだ。道理で、功を経た、ものの分ったような、そして生まじめで、けろりとした、妙な顔をしているんだ。見える見える、雨の中にちょこなんと坐っているのが手に取るように窓から見えるワ。

(8)


  朝晩見馴れて珍しくもない猿だけれど、いまこんなこと考え出して、いろんなこと思って見ると、また殊(こと)にものなつかしい。あのおかしな顔早くいって見たいなと、そう思って、窓に手をついてのびあがって、ずっと肩まで出すとしぶきがかかって、眼のふちがひやりとして、冷たい風が頬を撫でた。

 その時仮橋ががたがたいって、川面(かわづら)の小糠雨(こぬかあめ)を掬(すく)うように吹き乱すと、流れが黒くなって颯(さ)っと出た。といっしょに向岸から橋を渡って来る、洋服を着た男がある。


 橋板がまた、がッたりがッたりいって、次第に近づいて来る、鼠色の洋服で、釦(ぼたん)をはずして、胸を開けて、けばけばしゅう襟飾(えりかざり)を出した、でっぷり紳士で、胸が小さくッて、下腹の方が図ぬけにはずんでふくれた、脚の短い、靴の大きな、帽子の高い、顔の長い、鼻の赤い、それは寒いからだ。そして大跨(おおまた)に、その逞(たくま)しい靴を片足ずつ、やりちがえにあげちゃあ歩いて来る。靴の裏の赤いのがぽっかり、ぽっかりと一ツずつこっちから見えるけれど、自分じゃあ、その爪つまさきも分りはしまい。何でもあんなに腹のふくれた人は、臍(へそ)から下、膝から上は見たことがないのだとそういいます。あら! あら! 短服チョッキに靴を穿はいたものが転がって来るぜと、思って、じっと見ていると、橋のまんなかあたりへ来て鼻目金(はなめがね)をはずした、しぶきがかかって曇ったと見える。

 で、衣兜(かくし)から手巾(ハンケチ)を出して、拭きにかかったが、蝙蝠(こうもり)傘を片手に持っていたから手を空けようとして咽喉と肩のあいだへ柄を挟んで、うつむいて、珠(たま)を拭ぬぐいかけた。

 これは今までに幾度(いく)たびも私見たことのある人で、何でもこどもの時は物見高いから、そら、婆さんが転んだ、花が咲いた、といって五六人人だかりのすることが眼の及ぶ処にあれば、必ず立って見るが、どこに因らず、場所は限らない。すべて五十人以上の人が集会したなかには必ずこの紳士の立交じっていないということはなかった。

 見る時にいつも傍(はた)の人ものを誰かしらつかまえて、尻上りの、すました調子で、何かものをいっていなかったことはほとんど無い。それに人から聞いていたことはかつてないので、いつでも自分で聞かせている。が、聞くものがなければひとりで、むむ、ふむ、といったような、承知したようなことを独言(ひとりごと)のようでなく、聞かせるようにいってる人で。おっかさんも御存じで、あれは博士ぶりというのであるとおっしゃった。

 けれども鰤(ぶり)ではたしかにない、あの腹のふくれた様子といったら、まるで、鮟鱇(あんこう)ににているので、私は蔭じゃあ鮟鱇博士とそういいますワ。この間も学校へ参観に来たことがある。その時も今被(か)むっている、高い帽子を持っていたが、何だってまたあんな度はずれの帽子を着たがるんだろう。

 だって、目金(めがね)を拭こうとして、蝙蝠(こおもり)傘を頤(おとがい)で押えて、うつむいたと思うと、ほら、ほら、帽子が傾いて、重量(おもみ)で沈み出して、見てるうちにすっぽり、赤い鼻の上へ被(かぶ)さるんだもの。目金(めがね)をはずした上へ帽子がかぶさって、眼が見えなくなったんだから驚いた、顔中帽子、ただ口ばかりが、その口を赤くあけて、あわてて、顔をふりあげて帽子を揺りあげようとしたから蝙蝠傘がばったり落ちた。落おっこちると勢いきおいよく三ツばかりくるくると舞った間に、鮟鱇博士は五ツばかりおまわりをして、手をのばすと、ひょいと横なぐれに風を受けて、斜めに飛んで、遥か川下の方へ憎らしく落着いた風でゆったりしてふわりと落ちると、たちまち矢のごとくに流れ出した。
 博士は片手で目金を持って、片手を帽子にかけたまま、烈(はげし)く、急に、ほとんど数える隙(ひま)がないほど靴のうらで虚空を踏んだ、橋ががたがたと動いて鳴った。


「おっかさん、おっかさん、おっかさん、おっかさん。」
 と私は足ぶみした。
「あい。」としずかに、おいいなすったのが背後(うしろ)に聞える。
 窓から見たまま振向きもしないで、急込せきこんで、
「あらあら流れるよ。」
「鳥かい、獣(けだもの)かい。」と極めて平気でいらっしゃる。
「蝙蝠(こうもり)なの、傘(からかさ)なの、あら、もう見えなくなったい、ほら、ね、流れッちまいました。」
「蝙蝠ですと。」
「ああ、落ッことしたの、可哀相に。」
 と思わず歎息をして呟やいた。
 おっかさんは笑えみを含んだお声でもって、
「廉(れん)や、それはね、雨が晴れるしらせなんだよ。」
 この時猿が動いた。

(9)


 一廻(まわり)くるりと環(わ)にまわって、前足をついて、棒杭(ぼうぐい)の上へ乗って、お天気を見るのであろう、仰向(あおむ)いて空を見た。晴れるといまに行くよ。


 おっかさんおっかさんは嘘をおっしゃらない。
 博士は頻(しきり)に指さししていたが、口が利(き)けないらしかった。で、一散(いっさん)に駈(か)けて来て、黙って小屋の前を通ろうとする。
「おじさんおじさん。」
 と厳しく呼んでやった。追懸(おいか)けて、
「橋銭(はしせん)を置いていらっしゃい、おじさん。」
 とそういった。
「何だ!」
 一通りの声ではない。さっきから口が利けないで、あのふくれた腹に一杯固くなるほど詰め込み詰め込みしておいた声を、紙鉄砲ぶつようにはじきだしたものらしい。
 で、赤い鼻をうつむけて、額越ごしに睨みつけた。
「何か。」と今度は鷹揚(おうよう)である。

 私は返事をしませんかった。それは驚いたわけではない、恐かったわけではない。鮟鱇(あんこう)にしては少し顔がそぐわないから何にしよう、何に肖(に)ているだろう、この赤い鼻の高いのに、さきの方が少し垂れさがって、上唇(うわくちびる)におっかぶさってる工合(ぐあい)といったらない、魚(うお)より獣(けだもの)よりむしろ鳥の嘴(くち)ばしによく肖(に)ている。雀か、山雀(やまがら)か、そうでもない。それでもないト考えて七面鳥に思いあたった時、なまぬるい音調で、
「馬鹿め。」
 といいすてにして、沈んで来る帽子をゆりあげて行こうとする。

「あなた。」とおっかさんが屹(きっ)とした声でおっしゃって、お膝の上の糸屑(くず)を、細い、白い、指のさきで二ツ三ツはじき落して、すっと出て窓の処へお立ちなすった。
「渡(わたし)をお置きなさらんではいけません。」
「え、え、え。」
 といったがじれったそうに、
「俺(おれ)は何じゃが、うう、知らんのか。」
「誰です、あなたは。」と冷(ひやや)かで、私こんなのを聞くとすっきりする。眼のさきに見える気にくわないものに、水をぶっかけて、天窓(あたま)から洗っておやんなさるので、いつでもこうだ、極めていい。
 鮟鱇(あんこう)は腹をぶくぶくさして、肩をゆすったが、衣兜(ポケット)から名刺を出して、笊(ざる)のなかへまっすぐに恭(うやうや)しく置いて、
「こういうものじゃ、これじゃ、俺じゃ。」
 といって肩書の処を指さした、恐しくみじかい指で、黄金(きん)の指環の太いのをはめている。



 手にも取らないで、口のなかに低声(こごえ)におよみなすったのが、市内衛生会委員、教育談話会幹事、生命保険会社社員、一六会会長、美術奨励会理事、大野喜太郎。
「この方ですか。」
「うう。」といった時ふっくりした鼻のさきがふらふらして、手で、胸にかけた何だか徽章(きしょう)をはじいたあとで、
「分ったかね。」
 こんどはやさしい声でそういったまままた行きそうにする。
「いけません。お払はらいでなきゃアあとへお帰んなさい。」とおっしゃった。
 先生妙な顔をしてぼんやり立ってたが少しむきになって、
「ええ、こ、細(こまか)いのがないんじゃから。」
「おつりを差上げましょう。」
 おっかさんは帯のあいだへ手をお入れ遊ばした。

 (10)



 おっかさんはうそをおっしゃらない。博士が橋銭をおいて遁(にげ)て行くと、しばらくして雨が晴れた。橋も蛇籠(じゃかご)もみんな雨にぬれて、黒くなって、あかるい日中(ひなか)へ出た。榎(えのき)の枝からは時々はらはらと雫(しずく)が落ちる。中流へ太陽(ひ)がさして、みつめているとまばゆいばかり。

「おっかさん遊びに行ゆこうや。」
 この時鋏(はさみ)をお取んなすって、
「ああ。」
「ねえ、出かけたっていいの、晴れたんだもの。」
「いけれど、廉や、お前またあんまりお猿にからかってはなりませんよ。そういい塩梅(あんばい)にうつくしい羽の生えた姉さんがいつでもいるんじゃあありません。また落っこちようもんなら。」
 ちょいと見向いて、清(すずし)い眼で御覧なすって、莞爾(にっこり)してお俯向(うつむ)きで、せっせと縫っていらっしゃる。
 そう、そう! そうだった。ほら、あの、いま頬(ほっぺた)を掻いて、むくむく濡れた毛からいきりをたてて日向(ひなた)ぼっこをしている、憎らしいッたらない。

  いまじゃあもう半年も経ったろう。暑さの取着(とッつき)の晩方頃で、いつものように遊びに行って、人が天窓(あたま)を撫でてやったものを、業畜(ごうちく)、悪巫山戯(わるふざけ)をして、キッキッと歯を剥いて、引掻ひっかきそうな剣幕をするから、吃驚(びっくり)して飛退(とびの)こうとすると、前足でつかまえた、放さないから力を入れて引張ひっぱり合った奮(はずみ)であった。左の袂(たもと)がびりびりと裂けて断ちぎれて取れた、はずみをくって、踏占(ふみし)めた足がちょうど雨上りだったから、堪(たま)りはしない。石の上へ辷(すべ)って、ずるずると川へ落ちた。わっといった顔へ一波(ひとなみ)かぶって、呼吸(いき)をひいて仰向(あおむ)けに沈んだから、面くらって立とうとすると、また倒れて、眼がくらんで、アッとまたいきをひいて、苦しいので手をもがいて身体(からだ)を動かすとただどぶんどぶんと沈んで行ゆく。情(なさけ)ないと思ったら、内におっかさんの坐っていらっしゃる姿が見えたので、また勢(いきおい)づいたけれど、やっぱりどぶんどぶんと沈むから、どうするのかなと落着いて考えたように思う。それから何のことだろうと考えたようにも思われる。今に眼が覚めるのであろうと思ったようでもある、何だかぼんやりしたが俄(にわか)に水ん中だと思って叫ぼうとすると水をのんだ。もう駄目だ。


 もういかんとあきらめるトタンに胸が痛かった、それから悠々と水を吸った、するとうっとりして何だか分らなくなったと思うと、ぱっと糸のような真赤な光線がさして、一幅(ひとはば)あかるくなったなかにこの身体からだが包まれたので、ほっといきをつくと、山の端(は)が遠く見えて、私のからだは地(つち)を放れて、その頂より上の処に冷いものに抱えられていたようで、大きなうつくしい目が、濡髪をかぶって私の頬ん処へくっついたから、ただ縋(すが)り着いてじっとして眼を眠った覚(おぼえ)がある。夢ではない。 やっぱり片袖なかったもの。そして川へ落っこちて溺れそうだったのを救われたんだって、おっかさんのお膝に抱かれていて、その晩聞いたんだもの。 だから夢ではない。 一体助けてくれたのは誰ですッて、おっかさんに問うた。私がものを聞いて、返事に躊躇(ちゅうちょ)をなすったのはこの時ばかりで、また、それは猪だとか、狼だとか、狐だとか、頬白(ほおじろ)だとか、山雀(やまがら)だとか、鮟鱇(あんこう)だとか、鯖だとか、蛆(うじ)だとか、毛虫だとか、草だとか、竹だとか、松蕈(まつたけ)だとか、湿地茸(しめじ)だとかおいいでなかったのもこの時ばかりで、そして顔の色をおかえなすったのもこの時ばかりで、それに小さな声でおっしゃったのもこの時ばかりだ。 そしておっかさんはこうおいいであった。(廉や、それはね、大きな五色の翼はねがあって天上に遊んでいるうつくしい姉さんだよ。)

 (11)


(鳥なの、おっかさん。)とそういってその時私が聴いた。 これにもおっかさんは少し口籠(くちごも)っておいでであったが、(鳥じゃあないよ、翼(はね)の生えた美しい姉さんだよ。) どうしても分らんかった。うるさくいったら、しまいにゃ、お前には分らない、とそうおいいであったのを、また推返(おしかえ)して聴いたら、やっぱり、(翼(はね)の生えたうつくしい姉さんだってば。) それで仕方がないからきくのはよして、見ようと思った。そのうつくしい翼のはえたもの見たくなって、どこに居ますッて、せッついても、知らないと、そういってばかりおいでであったが、毎日々々あまりしつこかったもんだから、とうとう余儀なさそうなお顔色かおつきで、(鳥屋の前にでもいって見て来るがいい。)そんならわけはない。 

  小屋を出て二町ばかり行ゆくと、直ぐ坂があって、坂の下口(おりくち)に一軒鳥屋があるので、樹蔭(こかげ)も何にもない、お天気のいい時あかるいあかるい小さな店で、町家(まちや)の軒(ならび)にあった。鸚鵡(おうむ)なんざ、くるッとした、露のたりそうな、小さな眼で、あれで瞳が動きますよ。毎日々々行っちゃあ立っていたので、しまいにゃあ見知顔で私の顔を見て頷(うなず)くようでしたっけ、でもそれじゃあない。

 

  駒鳥(こま)はね、丈の高い、籠ん中を下から上へ飛んで、すがって、ひょいと逆さかさに腹を見せて熟柿(じゅくし)の落っこちるようにぼたりとおりて、餌をつついて、私をばかまいつけない、ちっとも気に懸けてくれようとはしなかった、それでもない。みんな違ってる。翼(はね)の生えたうつくしい姉さんは居ないのッて、一所に立った人をつかまえちゃあ、聞いたけれど、笑うものやら、嘲(あざけ)るものやら、聞かないふりをするものやら、つまらないとけなすものやら、馬鹿だというものやら、番小屋の媽々(かか)に似て此奴(こいつ)もどうかしていらあ、というものやら。皆みんな獣(けだもの)だ。(翼(はね)の生えたうつくしい姉さんは居ないの。)ッて聞いた時、莞爾(にっこり)笑って両方から左右の手でおうように私の天窓(あたま)を撫でて行った、それは一様に緋羅紗(ひらしゃ)のずぼんを穿(は)いた二人の騎兵で――聞いた時――莞爾(にっこり)笑って、両方から左右の手で、おうように私の天窓(あたま)をなでて、そして手を引ひきあって黙って坂をのぼって行った。長靴の音がぽっくりして、銀の剣の長いのがまっすぐに二ツならんで輝いて見えた。そればかりで、あとは皆馬鹿にした。 

  五日ばかり学校から帰っちゃあその足で鳥屋の店へ行って、じっと立って、奥の方の暗い棚ん中で、コトコトと音をさしているその鳥まで見覚えたけれど、翼(はね)の生えた姉さんは居ないので、ぼんやりして、ぼッとして、ほんとうに少し馬鹿になったような気がしいしい、日が暮れると帰り帰りした。で、とても鳥屋には居ないものとあきらめたが、どうしても見たくッてならないので、またおっかさんにねだって聞いた。どこに居るの、翼の生えたうつくしい人はどこに居るのッて。何とおいいでも肯分(ききわけ)ないものだからおっかさんが、(それでは林へでも、裏の田圃(たんぼ)へでも行って、見ておいで。なぜッて、天上に遊んでいるんだから、籠の中に居ないのかも知れないよ。) 

  それから私、あの、梅林のある処に参りました。あの桜山と、桃谷と、菖蒲あやめの池とある処で。しかし、それはただ青葉ばかりで、菖蒲の短いのがむらがってて、水の色の黒い時分、ここへも二日、三日続けて行きましたっけ、小鳥は見つからなかった。烏が沢山(たん)と居た。あれが、かあかあ鳴いて一しきりして静まるとその姿の見えなくなるのは、大方その翼(はね)で、日の光をかくしてしまうのでしょう。大きな翼(はね)だ、まことに大おおきい翼(つばさ)だ、けれどもそれではない。

 (12)



 日が暮れかかると、あっちに一ならび、こっちに一ならび、横縦になって、梅の樹が飛々とびとびに暗くなる。枝々のなかの水田(みずた)の水がどんよりして淀(よど)んでいるのに際立って真白(まっしろ)に見えるのは鷺(さぎ)だった、二羽一ところに、ト三羽一ところに、ト居て、そして一羽が六尺ばかり空へ斜ななめに足から糸のように水を引いて立ってあがったが音がなかった、それでもない。

 蛙(かわず)が一斉に鳴きはじめる。森が暗くなって、山が見えなくなった。
 宵月(よいづき)の頃だったのに、曇ってたので、星も見えないで、陰々として一面にものの色が灰のようにうるんでいた、蛙がしきりになく。
 仰いで高い処に、朱の欄干のついた窓があって、そこがおっかさんのうちだったと聞く。仰いで高い処に、朱の欄干のついた窓があって、そこから顔を出す、その顔が自分の顔であったんだろうにトそう思いながら破れた垣の穴ん処とこに腰をかけてぼんやりしていた。

 いつでもあの翼(はね)の生えたうつくしい人をたずねあぐむ、その昼のうち精神の疲労(つかれ)ないうちはいいんだけれど、度が過ぎて、そんなに晩(おそく)なると、いつも、こう滅入(めいっ)てしまって、何だか、人に離れたような、世間に遠ざかったような気がするので、心細くもあり、うら悲しくもあり、覚束(おぼつか)ないようでもあり、恐しいようでもある。嫌な心持だ、嫌な心持だ。

 早く帰ろうとしたけれど、気が重くなって、その癖神経は鋭くなって、それでいてひとりでにあくびが出た。あれ!
 赤い口をあいたんだなと、自分でそうおもって、吃驚(びっくり)した。


 ぼんやりした梅の枝が手をのばして立ってるようだ。あたりをみまわすと真暗(まっくら)で、遠くの方で、ほう、ほうッて、呼ぶのは何だろう。冴えた通る声で野末を押しひろげるように、鳴く、トントントントンと谺(こだま)にあたるような響きが遠くから来るように聞える鳥の声は、梟(ふくろう)であった。
 一ツでない。
 二ツも三ツも。私に何を談すのだろう、私に何を話すのだろう。鳥がものをいうと慄然(ぞっ)として身の毛が弥立(よだ)った。
 ほんとうにその晩ほど恐こわかったことはない。
 蛙(かわず)の声がますます高くなる、これはまた仰山な、何百、どうして幾千と居て鳴いてるので、幾千の蛙が一ツ一ツ眼があって、口があって、足があって、身体からだがあって、水ン中に居て、そして声を出すのだ。一ツ一ツ、トわなないた。寒くなった。風が少し出て、樹がゆっさり動いた。
 蛙の声がますます高くなる。居ても立っても居られなくッて、そっと動き出した。身体(からだ)がどうにかなってるようで、すっと立ち切れないで踞(つく)ばった、裙(すそ)が足にくるまって、帯が少し弛んで、胸があいて、うつむいたまま天窓(あたま)がすわった。ものがぼんやり見える。
 見えるのは眼だトまたふるえた。


 ふるえながら、そっと、大事に、内証で、手首をすくめて、自分の身体(からだ)を見ようと思って、左右へ袖をひらいた時、もう、思わずキャッと叫んだ。だって私が鳥のように見えたんですもの。どんなに恐かったろう。


 この時、背後(うしろ)からおっかさんがしっかり抱いて下さらなかったら、私どうしたんだか知れません。それはおそくなったから見に来て下すったんで、泣くことさえ出来なかったのが、
「おっかさん!」といって離れまいと思って、しっかり、しっかり、しっかり襟ん処とこへかじりついて仰向(あおむ)いてお顔を見た時、フット気が着いた。

 どうもそうらしい、翼(はね)の生えたうつくしい人はどうも母様であるらしい。もう鳥屋には、行ゆくまい。わけてもこの恐しい処へと、その後のちふっつり。

 しかしどうしてもどう見ても、おっかさんにうつくしい五色ごしきの翼(はね)が生えちゃあいないから、またそうではなく、他(ほか)にそんな人が居るのかも知れない、どうしても判然(はっきり)しないで疑われる。 

雨も晴れたり、ちょうど石原も辷(すべ)るだろう。おっかさんはああおっしゃるけれど、わざとあの猿にぶつかって、また川へ落ちてみようかしら。そうすりゃまた引上げて下さるだろう。見たいな! 羽の生えたうつくしい姉さん。だけれども、まあ、いい。母様がいらっしゃるから、母様がいらっしゃったから。



明治三十(一八九七)年四月

絵本の背表紙は日本語版と英語版で異なっている。日本語版は、廉とお母さんの姿が見えない小屋が描かれている。英語版は、お母さんがおらず、雨の中で廉が橋を眺めており、その欄干に猿がいる光景が描かれている。


絵本の背表紙

泉鏡花の生い立ちと『化鳥』


泉鏡花は、1873年金沢市下新町に生まれる。ここは「化鳥」の舞台でもあり、すぐ北に浅野川があり、そこには橋がいくつかかかっていた。この一つが小説の主人公である廉(れん:子ども)と母が渡銭を徴取していた橋である。それは、天神橋であるとみられている。かつては木造で渡銭をとる橋であったようだ。川の右手向こうには卯辰(うたつ)山があり、物語の後の方で廉が美しい羽の生えた女性を探しに入っていった森はここがモデルとなっている。ちなみに、鏡花の母は、鏡花が9歳のときに他界しており、その墓はこの卯辰山にあった。

鏡花の父は、彫金、飾細工職人。母は江戸生まれで加賀藩御手役者、中田万三郎豊喜の末娘。母の死後、父と摩耶夫人(釈迦の母)像を詣でたのを契機に摩耶信仰を信奉した。鏡花は、摩耶夫人に亡くなった母を重ね合わせていたのだろう。

化鳥が出版されたのは1987年で、 文芸雑誌「新著月刊」に掲載された。鏡花25歳のときの作品で、このころ、鏡花は既に文壇に頭角を現していた。


鏡花が信仰していた摩耶夫人像。亡き母と重ねていたのであろう。

絵本『化鳥』プロジェクト


金沢市が主催する泉鏡花文学賞制定40周年記念プロジェクトとして企画・制作されたもの。全編が子供の語りで綴られているとはいえ、決して子供向けの理解しやすい物語ではない為、全体を短縮して絵本化を試みたもの。原作を「削る」のではなく、鏡花の言葉を「とりだす」こととしたとのこと。

絵は中川学(なかがわ がく)さんのもの。

1966年(昭和41)京都市生まれ。浄土宗西山禅林寺派の僧侶。
1996年よりイラストレーターとして活躍。 “和ポップ”なイラストレーションを国内外の書籍の装幀画や挿絵として提供している。

また世界20カ国以上で読まれているロンドン発の情報誌「MONOCLE」や、
ドイツの美術系出版社「TASCHEN」が発行する世界のイラストレーター特集に掲載されるなど、世界へと活躍の場を広げている。著書に『1年に1度のアイスクリーム』『HAPPY BIRTHDAY MrB!』、繪草子『龍潭譚』ほか。

なお、浅野川にかかる橋で、この物語のモデルと考えられたのは、現在の大橋の下流にある中の橋と、上流にある天神橋の二つがあったが、物語にある榎(えのき)の大木が天神橋の袂にあることが実在していたことが文献でわかったことと、天神橋の方が卯辰山に近いことから、絵本の絵はこの天神橋をイメージして作成されたとのこと。


お話の舞台となっている金沢の浅野川付近(観光協会の地図)
「化鳥」の舞台となったと考えられる浅野川にかかる天神橋。当時は木造で渡橋料を取っていたという。向こうには卯月山。山の上には母の墓がある。
絵本の中で描かれている浅野川。手前が現在の大橋、奥が天神橋。
浅野川の大橋より下流にある中の橋。木造で当時の橋の面影がしのべる。

絵本の冒頭は以下のように整理されており、リズミカルで情景がよく浮かぶ文章となっている。

「おもしろいな、
おもしろいな、

お天気が悪くって
外へ出てあそべなくってもいいや、
笠をきて、蓑(みの)をきて、
雨のふるなかをびしょびしょぬれながら、
橋の上をわたってゆくのは
いのししだ。
おおかたいのししン中の王様が
あんな三角形(さんかくなり)の冠(かんむり)きて、
まちへでてきて、そして、
わたしの母様(おっかさん)の橋の上を
通るのであろう。

とこう思ってみていると
おもしろい、
おもしろい、
おもしろい。」

英語版の絵本『化鳥』

この絵本『化鳥』は、Peter Bernardにより英訳されている。横書きの英語であるため、装丁は左から右にめくる形となるが、絵は左右は同じとなっている。

Bernardによれば、絵本は泉鏡花の原作の抄訳というよりは、原作の良さを損なうことなく表現しており、その絵本の文章を過不足なく翻訳したとのこと。冒頭は、以下のように訳されている。

"What fun!
What fun!

I don't mind if the weater's bad
and I can't go outside to play,
See that one there, whith a sedge hat on his head,
and a straw cape round his shoulders,
all drenched as he crosses the bridge in the falling rain--
he's a wild boar!

I think he must be the King of the Boars,
with a triangle crown on his head like that.
He's come into town,
and is crossing my mother's bridge as he goes,

What fun it is, to play make-belikeve like this!
What fun, what fun.

原作で、時制があいまいで英語としにくい部分は、文意が理解しやすいように直してある。例えば、橋を見ていた廉がお母さんに言う

「母様(おっかさん)、おもしろいものがあるいていゆくよ。」という現在形の台詞は、
"Mother, something funny just went by!(おっかさん、なんかおかしなものがちょうど通り過ぎて行ったよ)"と訳されている。

人間が一番偉いと言った先生に対する、「人も、猫も、犬も、それから熊も、みんなおなじけだものだって」と反論するところは、”People, and cats, and dogs, and even bears--as creatures we're all the same"と訳している。日本語のけだものは、動物全般のイメージが含まれるが、これをbeastsと訳してしまうと英語の語感に合わなくなる。そこで、creature((神様がおつくりになった)創作物)という言葉を使っている。

原作の古風な雰囲気をだすために、一部に古風な単語を使っている。例えば、「人間にはちえというものがあって、これにはほかの鳥だの、獣だのという動物がくわだておおばないということを・・」というところで、動物のくわだてには"Ken"と言う単語が使われている。これは”知る、理解する、認識する"という言葉で、主にスコットランドと北イングランドの方言で使われている。 中英語の kennen から派生し、"知らせる、教える、知っている、知識を持つ、知っている、目で認識する、見る、目にする"という非常に一般的な動詞であるが、古風な響きを感じさせる単語を選んでいる。

「その菊をみようと思って学校へおいで。花はね、ものをいわないから耳にきこえないでも、そのかわり眼には美しいよ。」は、
"Let those flowers be what beckon you to school. Floweres might not talk, but their beauty to the eye more than makes up for their silence to the ear.(その花たちがお前を学校に招くようにしたらよい。花は話しはしないけれども、目に映るその美しさは耳には聞こえない静けさを十二分に補っているでしょう)"と、英語としてエレガントな表現になっている。

また、母親が、「虐められ続けて5年も8年もたたねほんとうにわかることではない・・」とくどく場面では、"It takes five, then eight years"を二回つかって、反復させることで母親から得た教訓を強調している。

「〇〇したのは、この時ばかりで」は、「美しいお姉さん」が特別の存在であることを表現する句となっているが、英語では、"it was the one and only time" と「そのとき」が特別だったことを強調する表現を使っている。

なお、日本語の直訳では英語として意味が分からない部分は、英語らしい表現としている。「おおきな五色のはね」は、Feathers of five colorsとすると、「5つの色の羽」でしかないので、"great big wings of many colors(たくさんの色のすばらしい大きな翼)"と訳されている。


『化鳥』とはなにか?


本の題名である『化鳥』とは、何を意味するのか?

物語の中で、川に落ちた廉を救ったもののことを、廉の母は、「廉や、それはね、大きな五色(ごしき)の翼(はね)があって天上に遊んでいるうつくしい姉さんだよ。」と言う。

しかし、ほぼすべての人を鳥獣に例える母であるにもかかわらず、このねえさんはには例えていない。そのときの様を、廉は、

「私がものを聞いて、返事に躊躇(ちゅうちょ)をなすったのはこの時ばかりで、

また、それは猪(いのしし)だとか、狼(おおかみ)だとか、狐だとか、頬白(ほおじろ)だとか、山雀(やまがら)だとか、鮟鱇(あんこう)だとか、鯖(さば)だとか、蛆(うじ)だとか、毛虫だとか、草だとか、竹だとか、松蕈(まつたけ)だとか、湿地茸(しめじ)だとかおいいでなかったのもこの時ばかりで、

そして顔の色をおかえなすったのもこの時ばかりで、それに小さな声でおっしゃったのもこの時ばかりだ。そして母様はこうおいいであった。」

なので『鳥』ではない。しかし、廉はこの「おねえさん」を鳥と重ねてみている。また、廉は、「うつくしいお姉さん」を探しに出て暗くなった山の中で怖い思いをしたとき、自分が「鳥」のように見えてきたと言っている。これが「化鳥」を意味するものなのか?この『鳥』には人格のある『人』が意識されているように思える。

ちなみに、英訳本では、題名である『化鳥』を、”A Bird of a Different Feather (一つの異なる羽をもつ鳥)"と、意味深な訳を使っている。


絵本の裏表紙に書かれた絵。五色の羽をもった美しいお姉さん。摩耶婦人のイメージも入れてあるのだろう。


文体からみた『化鳥』


男の子の語り


廉という名の男の子の語りによる物語りとなっている。この物語が書かれた当初は斬新な表現方法だったのであろう。文法的に正当な文章ではなく、口語の語りらしい、例えば、類似の言葉、フレーズを繰り返しながら、いつまでも文章が続いたりする。

また、その中に、母親や他の人間の会話や廉が大人になったときの回想が入れ子のようになった台詞となっている。かといって、反省をするものでもなく、過去と今とにはっきりとした境がない。時の前後も入れ替わっている部分がある。ナマズ博士のあとに、猿をかまって橋から落ちて羽の生えた美しいお姉さんに会う話は、時系列が逆転している。また、母親が生きていたころの話と死んだ後であろう話が混在している。このような意図した混乱が、現実と幻想の世界、過去と現在を一体化させるような効果をもたらしている。

動植物等への例へ

物語の冒頭から、人を鳥獣、魚、植物などに例えている。そこには、先生が「修身のお談話はなしをしてね、人は何だから、世の中に一番えらいものだって」と言ったのに対して「いえ、あの、先生、そうではないの。人も、猫も、犬も、それから熊も、皆みんなおんなじ動物けだものだって。」と反論したように、だれが特に優れるものでもなく同じようなものなのだという見方もある。

しかし、かといって、すべての命が等しいと説くものではない。これは、お母さんが、長年、自分を虐め蔑すんできた人達に対する怒りの気持ちから動物に例えていたものを、人間は動物と変わらないのだと廉なりの理解をしたものだと思われる。しかし、仏教思想のようなすべての生き物に同じ価値の命があるという意味ではなく、嘲笑的な思いが入っているのであろう。ちなみに、辛酸を味わった母の思いは、中段以降の以下の台詞に表れる。

「・・人に踏まれたり、蹴けられたり、後足で砂をかけられたり、苛いじめられて責さいなまれて、煮湯にえゆを飲ませられて、砂を浴あびせられて、鞭むちうたれて、朝から晩まで泣通しで、咽喉のどがかれて、血を吐いて、消えてしまいそうになってる処を、人に高見で見物されて、おもしろがられて、笑われて、慰なぐさみにされて、嬉しがられて、眼が血走って、髪が動いて、唇が破れた処で、口惜くやしい、口惜しい、口惜しい、口惜しい、蓄生め、獣けだものめと始終そう思って、五年も八年も経たたなければ、ほんとうに分ることではない、覚えられることではないんだそうで、お亡なくなんなすった、父様おとっさんとこの母様とが聞いても身震みぶるいがするような、そういう酷ひどいめに、苦しい、痛い、苦しい、辛い、惨酷なめに逢って、そうしてようようお分りになったのを、すっかり私に教えて下すったので・・・」

鳥獣などに例えられなかった唯一の例外が、「うつくしいお姉さん」である。そして、廉は、美しいお姉さんをお母さんと重ねる。それは、多分、今目の前にいるお母さんではなく、もっと若かったころ、あるいは、猿遣いの男と会うころ、つまり、廉がまだお腹にいたころかそれ以前の母のイメージと重ねているのかもしれない。

ところで、お母さんの味わった辛酸は、ベニスの商人のシャイロックの悲痛と似たものがあるかも知れない。シャイロックは、その思いを復讐に向けた。廉のお母さんは、これを子供に同じ思いをさせないための処世術とした。

「シャイロック  魚を釣る餌ぐらいにはなる。腹の足しにはならずとも、腹いせの足しにはなるわ。やつめ、わしにさんざ恥をかかせやがった。大枚の儲けを邪魔しやがって、わしが損をしたといっては嘲笑い、得したといっては嘲り、われらユダヤの民を嘲弄し、わしの商売を妨げ、わしの友情には水を差し、仇の憎しみは煽り立て──何のためだ?  ただ、わしがユダヤ人だからという、ただそれだけのため。ユダヤ人には、目がないのか。ユダヤ人には、手がないのか。胃も腸も、肝臓も腎臓もないというのか。四肢五体も、感覚も、感情も、激情もないというのか。同じ物を食い、同じ刃物で傷つき、同じ病いで苦しみ、同じ手当てで治り、夏は暑いと感じず、冬も寒さを覚えないとでもいうのか。何もかにも、キリスト教徒とそっくり同じではないか。針で突けば、わしらだって血は出るぞ。くすぐられれば、笑いもする。毒を盛られれば、死ぬではないか。それならば、屈辱を加えられれば、どうして復讐をしないでいられる。何であろうと、わしらがあんたらと同じであるなら、復讐することだって違いはない。もし、ユダヤ人がキリスト教徒に辱めを加えたら、キリスト教徒は何をする?  右の頰を打たれたら、黙って左の頰を出したりするか?  いいや、復讐だ。もし、キリスト教徒がユダヤ人に辱めを与えたら、ユダヤ人は何をする?  キリスト教徒の忍従の例に倣って、ただ黙って耐え忍ぶのか?  いいや、復讐だ。悪いか?  だが、この悪いことを教えてくれたなぁ、ほかならぬ、あんたらじゃねえか。わしはただ、その教えを実行するだけ。見ておるがいい。必ず、教えられた以上に、立派にやってのけてやるからな。」

—『ヴェニスの商人 (光文社古典新訳文庫)』シェイクスピア著


鮟鱇に例えられた男。


リズム


七五調となっているわけではないが、随所で、音形や類似の音が反復して、ここちよいリズム感が醸し出されている。例えば、冒頭の文章には、同じ言葉の反復、同じ音の反復、同じ調子の文章の反復が入っている。

おもしろいな愉快(おもしろ)いな
お天気が悪くって 外へ出て遊べなくってもいいや、
笠かさを着て、蓑みのを着て
雨の降るなかをびしょびしょ濡れながら、
橋の上を渡って行ゆくのは猪いのししだ。

菅笠(すげがさ)を 
目深(まぶか)に被(か)ぶっ
しぶきに濡れまいと思っ
向風(むかいかぜ)に
俯向(うつむ)いてるから顔も見えない
着ている蓑(みの)の裙(すそ)が引摺(ひきず)っ
長いから、脚(あし)も見えないで歩行(ある)いて行(ゆ)く、
脊(せ)の高さは五尺ばかりあろうかな、
猪(いのしし)としては大おおきなものよ、
大方(おおかた)猪(いのしし)ン中の王様が
あんな三角形なりの冠(かんむり)を被(き)
市(まち)へ出て来、そして、
私の母様おっかさんの橋の上を通るのであろう。
トこう思って見ていると
愉快(おもしろ)い愉快(おもしろ)い愉快(おもしろ)い。

前述の通り、絵本プロジェクトでは、これをさらにわかりやすい内容とリズムに仕立てている。


母親への郷愁

物語りは、現在形と過去形が入り乱れてその境があいまいだが、最後の文章は、

「見たいな! 羽の生えたうつくしい姉さん。だけれども、まあ、可いい。母様がいらっしゃるから、母様がいらっしゃったから。」

と、母様が居ることが現在形と過去形で繰り返されている。これは、

そして、母への憧憬が『毛鳥』という作品になっている。絵本の内表紙は美しい羽根をもちは鳥の爪をもった天女のような女性が笛を吹いている姿が描かれているが、摩耶夫人に重ねているのだろう。


『化鳥』(青空文庫)

参考文献


泉鏡花「化鳥」考察ーー過去を尋ねる物語と語り手の関係:戸田翔太

https://kochi.repo.nii.ac.jp/record/8201/files/44_02_toda.pdf


研究論文『泉鏡花「化鳥」にみる外界への眼差し』2021, 伊藤かおり

https://www.tezuka-gu.ac.jp/libresearch/kiyo/kTEZUKAYAMAGAKUIN-UNI/k2PDF/k2ItoK.pdf









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