どうせ、何も残っていないなら、せめて女にでも、首を絞めてもらった方がいいかもな
その男はまるでマシンガンのように世間に疑問と侮辱を叩きつける。その男ジミー・オズボーン すでに確立された社会から疎外された青年だ。
心の怒りをぶつけようがない。その怒りの矛先を爆発させる方法もない。 行動には移しえないのだ。
「おれ達の世代の人間はさぁ、何か立派な主義主張のために死ぬこともできない。そんなことはおれ達がガキだった頃に終わっちまったんだ。今はもう人をドキッと感動させる主義なんか残っちゃいない。終わっちゃったのさ。どうせ何も残っていないなら、せめて女にでも首を絞めてもらった方がいいかもな」
今、こんなジミーのような男がゴロゴロいる。別に数十年前のイギリスでなくても、今の日本には箒で掃いて捨てたいほどいる。
怒りや不満や疑問をぶつけるが、行動はしない。規制の権威へ、陰では怒りを爆発させるが表にはださない。特にこのネットの時代が彼らを隠す。彼らも隠れる。
イギリスの劇作家、オズボーンの代表作「怒りを込めて振り返れ」のジミーのような青年が今の日本にはゴロゴロいるのだ。
そのイギリスは、若者たちの無気力さから国家が衰退した。国としてなんの魅力もなくなってしまった。今の日本もイギリスの背中を追っているとしか俺には見えないのだ。若者だからこそ、無茶な行動力を見せてほしいのに。
日本中にジミーを創ってしまったのは、俺たち世代の責任もある。若者たちの自由を余りにも抑えつけてしまった。しかし今、このコロナ禍で時代は大きく変わる。更にネットの時代こそ若者たちが発信し行動する時代なのだ。俺は君たちの後ろから、そのサポートをする楽しみを見つけた!