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【エッセイ】愛しの勝新太郎さま① ~授業~

 昭和五十四年、俳優の勝新太郎さんが俳優養成所「勝アカデミー」を開校した。
 勝さんをはじめ、人気も実力もある役者達が特別講師として名を連ねていたため前評判は高く、応募者が殺到した。オーデションの結果、可能性の宝庫のような第一期生が誕生。小堺一幾さんやルー大柴さんは、その一期生。こうして、勝アカデミーは華々しくスタートした。
 半年後、第二期生を募集する頃に、勝さんは映画「影武者」の撮影に入った。しかし、黒澤明監督と大喧嘩。
「監督は、二人いらないんだよな」
 という台詞を残し、主役を降板してしまった。そのあおりを受けたのか二期生の応募者は激減。受験した人間は、全員合格というお寒い展開になった。

私は、その二期生である。

そんなこととはつゆ知らず、親の反対を押し切って家出同然に上京して来た十八歳の私にとって、夢のような日々の始まりだった。いきなりヒマになった勝さんは、頻繁に授業に顔を出すようになった。ビールを片手に教壇に立ち、破天荒な授業で私達を指導し魅了してくれた。私にとっては、幸運というほかない。

他の先生方は、台本を読み込んできちんと役創りをする所から授業が始まる。ところが、勝さんの授業には台本が一切ない。

ある日の授業。一人の男子生徒をつかまえて
「お前は通り魔だ。いいな、そこから歩いてきて俺を刺せ」
 と例の渋い声で指示をした。
「スタート!」
 それだけで、芝居が始まるのである。生徒は、ボールペンをナイフに見たて、目をむき鼻息荒く勝さんに近付き「どりゃ~!!」と掛け声一発、突進して刺した。まあまあと、興奮する生徒を軽くいなして勝さんは言った。

「刺せといったら大抵みんな、そうやって刺すんだよ。今度は力を抜いて何も考えずに、笑いながら刺してみな」

生徒は戸惑いながらも、へらへらと不器用に笑い、ふにゃふにゃとゆっくり歩きじっと勝さんを見つめて、突然倒れるように笑ったまま、刺した。

うわっ! 
 生徒はみなのけ反り唸った。怖い。笑いながら近付いて来た人に殺される方が、百倍怖い。
「な、こっちの方が面白いだろ」
 いたずらっ子のように勝さんは笑った。こ、これが芝居ってものなのか!心の底からゾクゾクした。

また、ある日。男子生徒と女子生徒、ひとりずつを前に出した。
「デートの帰りにお前は女のアパートまで送ってきた。イッパツヤリタイ。
どうしても部屋に上がりたい。彼女は絶対部屋に入れたくない。ハイ、スタート」
 芝居が始まった。女子生徒はクラスでも一番の清純派。可憐な女の子だ。
「ちょっと、お茶でも…」
「いえ、困ります」
 と押し問答が続いている。いつもの彼ららしい芝居。突然、勝さんは芝居を止めて男子生徒を教室の外に出るように指示した。そして、残された女子生徒にたずねた。
「どうして、部屋に入れたくないんだ?」
「え? 部屋が、散らかってるから…」
 ポっと顔を赤らめる彼女。大きな瞳をきらきら輝かせて、勝さんは言った。
「お前の部屋の冷蔵庫にはな、切り刻まれた男の死体が入ってる」
「え?」
 今まで、清純派の彼女にそんな役付けをする人はいなかった。先生は、それだけを告げただけで、男子生徒を教室に戻した。
「ハイ、スタート」
 何も知らない男は、嬉々として彼女の部屋へ入ろうとする。彼女の芝居が変わった。
「ちょっと、トイレ貸してくれない?」
「いえ、困ります」
 セリフそのものは、それ程変わっていない。それなのに、彼女の無垢な表情が深い陰影を宿している。清純そうであればあるほど、その可憐さが狂気をおびて見えてくる。こんなに可愛い顔してるのに、この女、冷蔵庫に男の死体を隠してる。こわ~い!! 鳥肌が立った。そんな彼女を見るのは初めてだった。妖しい女に見えた。やむにやまれぬ事情で男を殺した女には見えない。むしろ快楽殺人で男を切り刻み、死体を溺愛する狂った女に見えた。
見つめる生徒は息をのんで成り行きを見守っていた。
「そろそろ、部屋に上げてやれ」
 と勝さんの声。にっこりと天使のように微笑んで、彼女は「はい」と答えた。何も知らない哀れな男は、上気した様子で部屋に入って行った。

「カット!良かったな、部屋に入れてもらえて」
「は、はい!」
 男子生徒は照れくさそうに笑った。
「おまえも、冷蔵庫だな」
 私達は笑った。震えながら笑った。男子生徒はきょとんとしている。
(し、芝居を創るというのは、こういうことだったのか~! 人間のありとあらゆる側面を、あぶり出して光に当てることだったんだ!)
 私は陶酔した。
(たったこれだけのシチュエーションで、ここまで面白いものを創造出来るんだ。すっげぇ~!! 生きてて良かった~!!)
 心の中で叫び、舞い踊った。

私達はみんな、ペーペーで下手くそな役者の卵だった。だが勝さんの授業の時だけは、下手な役者は誰もいなかった。他の講師の時には切り捨てられてしまうくらいどうにもならない棒読みのセリフも、勝さんの授業ではそれが素朴な優しさとして認められた。無骨な動きも、空回りする情熱も、ひとつの個性として光を当ててもらえた。人間は一色だけではなく、自分ですら気が付かない心の奥にひそむいくつもの顔の存在を教えられ、自分自身にときめきをおぼえた。

型にはまらない言動で、世間を驚かせていた勝さん。だがそれだけではない。役者としてのとてつもない力量と、そこに裏打ちされた血肉にまでなっている基礎。そして人間をみつめる深い慈愛の眼。それがあったからこそ、勝新太郎は輝き続けていたのだ。本物のカリスマだった。勝新太郎の為なら死んでもいいという男達が周りにたくさんいた。その気持ち、痛いほどわかった。

まだお化粧すらしたことがなかった私は、世間のことをあれこれと学ぶ前に、いきなりとてつもない超人物と出会ってしまったのである。人格形成に影響がない訳がない。毎日が新鮮な驚きと衝撃の連続。胸が高鳴ってはちきれそうだった。

そしてとうとうこの一年後、「座頭市」のドサまわり(地方巡業)にくっついて行くことになるのだ。

(つづく)

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