狂母の生贄
同時進行ルポ
~ 実母に人生を狂わされた女性の血涙を拭うために ~
1 師走の手紙
昨年末、ある女友達から手紙が届いた。ワープロ打ちされた長文のそれは読み進めるうちに驚きを通り越し唖然とするような内容であった。
以前、この友人から、同居している母親との折り合いがよくないということは聞いていたのだが、これほどまでに拗れ、まさに骨肉の争いとなっているということなど全く思いも寄らなかったのである。
私とこの友人とは、互いに「腐れ縁」と言い合うほどの長い付き合いであり件の母親のこともよく知る仲である。
確かにこの母親は彼女のことを悪し様に言うことはあっても決して褒めることのない人であった。また、彼女と特に親しかった私に対しても普通に厳しいことを言うような人ではあった。
だがそれは、いわゆる愛情に裏打ちされた身内下げというものなのだろうと私はずっと思っていた。
しかし、そんな私のお花畑的な考えは、師走に届いたこの手紙によって無残なまでに打ち砕かれた。
そして、現実の世界には実の娘にここまで冷酷非道な仕打ちのできる者がいるのだということを私は戦慄しながら知ったのである。
現在、彼女は非常に脆く危うい立場に置かれている。藁にもすがる思いで頼った専門家は、なかなか結果を出せず、また司法も弱者の味方ではなかったことから彼女は窮地に陥っているのである。
そして彼女にとっては、まさに死活をも左右するこの問題の解決に向けた見通しも未だに立ってはいない。
もともと彼女は元気でメンタルも強く精力的な人だったのだが、最近は自死を仄めかしているともとれる言葉を口にするようになってきている。
確かに彼女の母親による虐待と言っても過言ではない仕打ちは、あまりにも理不尽であり、彼女のメンタルがいつ崩壊してもおかしくはないと感じている。
何とか彼女の力になれないものかと考えている私とて財力も体力も何もない弱者なのだが、幸いにも10年ほど前から始めたSNSへの投稿アカウントだけは持っている。
専ら趣味として使ってきたにすぎないが、弱者のツールとしてこれを生かす手もあるということに気付いた。
そこで今、彼女の身に起きている信じ難い出来事をルポルタージュとして世に発信し、何ら非の見当たらない彼女に対し執拗な攻撃を繰り返す狂った母親と、その財産を狙うハイエナのような輩たちの悪行を暴きたいと思う。
そして、彼女を気の毒に思う人がたった一人でも現れてくれれば必ずや彼女の力になるものと考えている。
ペンは剣よりも強いということを信じ、ひたすらに彼女を応援したいと私は思う。
2 手紙の内容
ことの概要を説明するには彼女からの手紙をそのまま載せるのが手早いとは思うが、まだ係争途中であるということからも個人が特定されないよう編集を加えた。文中の名称等も全て仮名である。
以下、彼女からの手紙である。
日ごろから伊野マツヱとお付き合いをいただいている皆様へ
前略
突然このような文書を送付いたしますことお許しください。私は伊野マツヱの長女、伊野房子と申します。いつも愚母マツヱがお世話になりありがとうございます。
さて、私と愚母マツヱとの関係については、マツヱからすでにお聞き及びのことと存じますが、そのほとんどがマツヱの妄想等に基づく虚言であるということが親戚の者たちからの話により明らかになりました。
そして、その虚言の中には、著しく私の名誉を棄損する内容があり、また、その虚言を信じマツヱの違法な行動の手助けをする人々も現れたため、もうこれ以上は看過することができないと考え、ここに真実を皆様にお伝えするべく手紙をしたためた次第です。
マツヱは私のことについて、次のように皆様に話しているのではないでしょうか。
・房子(娘)は、頭がおかしくなっている。気が狂っているようだ。
・娘は出世できなかったので勤めを辞めてしまい精神的におかしくなって引きこもりになっている。
・まったく階下に来ず、ずっと2階の部屋にこもり何もしない。何の手伝いもしない。口もきかない。
・2階の部屋は、めちゃくちゃになっていて、それはそれは酷く汚れてる。
一日中、2階に引きこもり飲んだくれている。
・トイレだけは1階のものを使っているがトイレ掃除もしない。
・私(マツヱ)が何か言うと怒鳴り散らす。最近では殴ったりもする。娘に虐待されている。
・父親の遺産を既にやったのに、よこせと言い弁護士を立てて脅してきた。
等々
これらは、私の伊野家の叔父二人とマツヱの実家茂原家の従妹夫婦から、マツヱがこのように言っていたと教えてもらったものです。
おそらく、皆様にも同様のことを語っていたのではないでしょうか。
マツヱの言っていることをそのまま信じるならば私は母親を虐待する精神に異常をきたした、とんでもない娘であり、怒鳴り散らし暴力をふるうような犯罪者ということになってしまいます。
マツヱの言葉を信じマツヱを不憫に思い色々と援助をしてくださった方々には、まことに申し訳ないのですが、マツヱの言っていることは全くのでたらめであり大嘘であると私は断言いたします。嘘をつくにもほどがあると思いますし、心底腹立たしく、呆れてものが言えないというのが私の今の正直な気持ちです。
私は、ある事業所に長く勤めておりましたので、業務上この地域の方々とも接することがあり知り合いもたくさんいます。
その人達が、「あの伊野さんが精神的におかしくなり母親を虐待しているらしいよ」などというマツヱの嘘から派生した噂を耳にすることもあるのではないかと思います。
そんなことを考えると私は暗澹たる気持ちになるのです。
私は長く、言わばサービスを提供する事業所に勤めていただけの取るに足らない人間ですが、これまで接してきた皆さんから後ろ指をさされるような生き方は退職した後もしてきたつもりはありません。
ましてや、自分の親を虐待するような人間では断じてありません。もちろん生まれてこの方、親に手を挙げたことなど一度たりともないのです。
にもかかわらず、なぜマツヱは、このような根も葉もない嘘をつき続けているのでしょうか。
それは、自分を正当化するために他なりません。
自分の娘と現在のような険悪な関係になっている理由を皆様に説明するには、自分(マツヱ)が被害者であり、私は邪悪な娘でなければ自分を正当化できないからです。
伊野家の叔父が「房子は、どうしてる?」と訊いた時、次のような会話になったそうです。
・叔父「房子は、どうしてるの?」
・マツヱ「出世できなくて勤めも辞めて精神的におかしくなって、ずっと引きこもりになってる」
・叔父「2階へ行って様子見てこようか?」
・マツヱ「2階の部屋なんか、ぐっちゃぐちゃで酷いもんだし、誰かが入ったら暴れて何されるか分かったもんじゃないから2階へは行かないほうがいいよ」
このように言われた叔父は多少の違和感をもったものの、マツヱの言葉を信じてしまったとのことでした。
叔父が2階へ行けばマツヱの嘘がばれますから、この会話のような嘘に嘘を重ねていったということなのです。
はじめのうちは私もマツヱがこのような虚言を繰り返しているのだろうということは、うすうす感じてはいましたが、私に直接的な被害があるわけではないので放っておきました。しかし、今は、とても見過ごすことができないような状況になっています。
それでは、なぜ、このような状態になってしまったのか、少し長くなりますが、以下に記したいと思います
そもそもの始まりは、2018年4月25日(水)になります。
この日は叔父(茂原郁治;しげはらゆうじ通称ユッコ)の月に一度の検診日でした。
(郁治叔父は2017年8月23日から10月5日まで神経因性膀胱等の診断入院し、退院後は尿をためる袋が手放せない状態になりました。叔父の入院中から、いわゆる下の世話まで全てを私がおこなっていましたが、叔父の姉であり、これまで叔父を下男のようにこき使ってきたマツヱは一切何もしないという状態でした。
尿の始末なども含め全てを私にやらせ自分は何もしないというマツヱの酷さに業を煮やした私は、せめて検診日には付き添い一緒に医者の話を聞くぐらいはしてほしいと頼み、検診日には私が二人を車で病院へ連れて行くということを続けていました)
この日もいつも通り郁治叔父は病院へ行く準備をし30分ほど前に階下のマツヱのもとへ行きました。その後、私も準備をして階下へ行きましたが、いつもなら待っているはずの郁治叔父が居ませんでした。
「あれ? ユッコちゃんは?」私は、マツヱに尋ねました。するとマツヱは、「ユッコが自分一人で病院に行くと言って歩いて行った」と言いました。「はあっ⁈」あり得ないと私は思いました。
なぜなら、郁治叔父には決まり事(ルーティンワーク)を頑ななまでに守るという特性があり、いつも姉(マツヱ)と一緒に私の車で病院に行くという決まり事を郁治叔父自らが変えるということは考えられなかったからです。
さらに、マツヱは、この時、出かける用意を全くしていませんでした。おそらく、この日が検診日であるということを忘れていたのだと思われます。
私はマツヱの言う「ユッコが自分一人で行くと言った」という言葉に違和感を覚えましたが、この日は畜尿袋などの療養品のストックが無くなったため院外薬局で購入しなければならない日でしたので、購入品目を記したメモ紙を持ち急いで郁治叔父を追いかけました。
郁治叔父は既に病院(泌尿器科)の待合室に座っていました。私は「ユッコおじちゃん一人で行ったからびっくりしたよ」と言いました。すると郁治叔父は、「姉ちゃんが今日は天気がいいから一人で行きなって言った」と言うではありませんか。
思った通りマツヱは、「ユッコが自分から一人で行くと言った」と嘘をついていたのです。
検診日を忘れていたマツヱは、姉と一緒に病院に行くつもりで階下に降りてきた郁治叔父に一人で行くよう命じたのです。
それまでもマツヱは、郁治叔父の通院付添いやデイケア(入浴特化型デイケア施設)通所の準備等も面倒くさがり、ほとんどを私にやらせていました。
さらに、日ごろから、「ユッコは私より先に死んでもらわなければ困る」などとも言っていたのです。
弟の死を願うはずがないし冗談だろうと私は思っていたのですが、そうではなかったのだと、この日私は確信しました。
実は、この日の三日前に、郁治叔父が患部を引っ掻いたために出血し2階の廊下やトイレを血だらけにするということがありました。にもかかわらず病院に一人で行くよう命じるとは、鬼畜の所業と言わざるを得ません。私はマツヱのしたことを到底許すわけにはいかないと思いました。
私は、この日所用があったため郁治叔父に薬局での購入品を書いたメモ用紙を渡し用足しをしてから帰宅しました。程無く郁治叔父も病院から帰ってきましたが購入品の尿袋のサイズがいつも使用しているものと違っていました。(いつもの袋より高い価格のものを買わされてきたのです)
その袋では付属の部品が使えないため私は郁治叔父と一緒に院外薬局に行き、いつもの袋と取り替えてもらい帰宅しました。
帰宅後、私はマツヱに、「こういうこともあるから一人で行かせたらダメなんだ。出血だってしてたんだし、ユッコちゃんは一人で行きなさいと言われたって言ってたよ」と言いました。
するとマツヱは、「なにさ、えらそうに!! 買う物あるなら言えばいいだろう!」と、強い口調で言い放ったのです。
自分の嘘を指摘され逆切れしてきたマツヱに、さすがの私も怒り心頭に達し「自分が悪いくせに何を言ってる!」と、怒鳴り返しました。
するとマツヱは、言うに事欠いて、このように言ったのです。
「出てけ! この家はわたしの家だ! 出て行けっ!!」
あまりの言葉に私は二の句が継げませんでした。
マツヱは、かねてから自分の面倒を見させるため早く実家に戻るよう私に言っていました。しかしながら今の部署にいるうちは時間的に無理だったため、他所に栄転するか、あるいは退職したら戻るから、と私はマツヱに伝えてありました。
父が亡くなって以来、私には早く実家に戻らなければという気持ちがありましたので部下の不祥事により栄転が断たれた時点で以前から考えていた通り退職し実家に戻ったのです。
ちなみに、退職し戻ってきた私にマツヱが放った言葉は、「辞めちゃって、なにさ……」でした。長い間ご苦労さん、でも、お疲れさん、でもなく、退職した私を咎める言葉だったのです。
それでも私にとっては、短くはない勤め人としての人生を充分過ぎるほどにやり遂げたという自負もあり、また、退職後にやりたかったこともあっての計画的な退職でしたので、そんなマツヱの心ない言葉も特には気に留めませんでした。
だからこそ、退職した平成29年(2017)の春から、この日【平成30年(2018)4月25日】にわたり一生懸命にマツヱと郁治叔父のお世話をしていたのです。
私が退職し、この家に戻った直後から、マツヱは目の異常を訴え、病院通いを始めました。私は病院への送迎をはじめ、医者の話を一緒に聞くなど、マツヱが望むことは何でも行ってきました。
1階のトイレが古くなり水の出が悪いということだったので、私が費用を出してリフォームしました。
また、台所の絨毯に足が引っ掛かり危ないということでしたので、段差のないシートに張り替えることもしました。
さらに、Bさんに紹介されて通っていたデイケアサービスは全然ダメなので止めた。Bさんの言うことを信じたばかりにエライ目にあった、などと、Bさんの悪口とともに文句を言っていたので、私はネットなどで色々なデイケア施設を探しマツヱに提案しました。
しかし、その全てを自分で確かめることもなく、「そんなところ、ろくなもんじゃない」と全否定し、しまいには、「そんなところに行く気はない。余計なお世話をするな!」と、うるさがったので私もそれ以上は言うのを控えるということもありました。
また、その年の7月にはマツヱの兄であるE市の伯父(茂原明治)が死去し、私とマツヱで葬儀の費用を用立てました。
これまでの様々な事情からマツヱと私で話し合い、二人で葬儀費用を用立てた方が良いという結論になり、私が費用の半分弱、マツヱが半分強を出したのです。
しかし、後になりマツヱは、この費用を私が勝手に出した(マツヱの言では「遮二無二出した」)ので関係ない(出していないと同じ)という無理筋のロジックを用い伯父の喪主である姪に私が拠出した分も含めた全額の返済を求めるということもありました。(これに関しては、証拠の音声データが有ります。具体的なやり取りの様子は次の通りです)
・マツヱ「〇〇〇円!返しなさい!」
・姪 「●●円返せばよいのでは?」
・マツヱ「なにが●●円だね!〇〇〇円です!!」
・姪 「二人で出したと聞いた。おばさんは●●円出したのでは?」
・マツヱ「そん時はな、出さなくてもいいっちゅうのに、アレが遮二無二
出したんだわ、房子が(勝手に)」
・姪 「おばさんが出した●●円返します」
・マツヱ「証拠(借用書)もあるんでね、〇〇〇円返しなさい!」
※〇〇〇円=全額、●●円=マツヱが出した金額
矛盾点を指摘されるたび、自分に都合よく嘘をつくのがマツヱという人間の真の姿なのだということがお分かりになるのではないでしょうか。
8月になると、マツヱは耳鼻咽喉科病院に入院し、全身麻酔の手術を受けました。2週間ほどで退院できましたがここに至るまでには高齢なマツヱの身体を慮り、転院したり医者との話合いを重ねたり、私ができる最大限のことをしてきました。もちろん、マツヱの入院中は毎日病院に通いました。
さらに、マツヱ入院中に郁治叔父が倒れ、救急車で総合病院に搬送するということがありました。
郁治叔父は我慢強い人であり、長い間、尿の出が良くなかったにもかかわらず、そのことをマツヱに言えずにいた末の発病でした。
郁治叔父の緊急入院のことをマツヱに伝えた時には、満面の笑みで「あんたも大変だねえ」と、他人事のように言われました。
そして、マツヱ退院の足で郁治叔父の入院先に行った時には、初めての入院で落ち込み憔悴している叔父に対し開口一番、「何やってんの! おしっこ出ないなら言いなさいよってあれだけ言ったでしょ!」と、郁治叔父を責める言葉を投げつけました。
そして私に、「アレは、もう長くないわ。もうすぐ死ぬわ」と、嬉しそうにマツヱは言ったのです。マツヱとは、そんな鬼畜にも劣る人間なのです。
10月には父の七回忌がありました。もちろん七回忌の準備は、ほとんど私が行いました。しかし、マツヱは、それが気に入らなかったようです。
何が気に入らなかったのかというと……
まず、この年が父の七回忌だということをマツヱは失念していました。なのに5月初旬、私が「今年は七回忌である」ということを口にしたものですから、先を越されたという悔しさや忘れていた恥ずかしさなどがマツヱに生じたのだと思われます。
マツヱが捨て置いていったメモ書きや日記の中に、このような一文がありました。
「房子とつぜん主人の七回忌でしょうと言った。たぶん誰かに言われたと思う。そんなことに気付くわけなし」
つまり、自分が忘れていた七回忌について、自分が見下している気に食わない薄情な娘が気付くわけがない。誰かに教えられたに違いないということです。
自分が見下している人間に何かを指摘されるということは、マツヱにとっては大変な屈辱であり許し難いことなのです。
この他にも私がこの家に戻ってからは、マツヱの人を見下した言動や郁治叔父への振舞い、虚言等について指摘することもありました。
その度にマツヱは私に対し「えらそうに、自分が一番えらくて正しいと思っている、やりたい放題」というふうに敵意を膨らませていったことがマツヱのメモ書きからも分かります。
(マツヱは裕福な家庭の一人娘として何不自由のない暮しをしてきました。
それゆえ幼い頃から支配欲や権力欲、独占欲が異常に強く、人を自分の思い通りにしたい、自分の意のままに動かしたいという欲求を常にもっていました。特に自分の弟や子供など目下の者に対しては、ほんの少しの容赦もなく、ただ自己の欲求を満たすための単なるアイテムとして接してきました。
ですから、私や郁治叔父がマツヱの考えている通りに動かなかったり、マツヱに異議を唱えたりしたものなら烈火のごとく怒るのです。マツヱにとって周りの人間は、マツヱの意のままに振舞う者が善であり、そうでない者は悪なのです)
それでも私は、マツヱの誕生日にケーキを買ってきて郁治叔父も含め3人で食べたり、大みそかには既製品ではありますが私がおせち料理等を用意したりしました。
(ちなみに、そんな時にもマツヱは感謝の言葉を私にかけるということは一切ありません。それどころか、料理等について、たいして美味しくもない等々、否定的なことを言います。まあ、それは昔からのことですから私は慣れっこでしたが……)
このように私は、この家に戻ってから一生懸命にマツヱと郁治叔父のお世話をしてきました。二人には、感謝されこそすれ、憎まれることなど私は一切していないつもりです。
郁治叔父など退院した後には、「僕が死んだら、僕の貯金を房子にあげるよ」などと言うぐらいでした。(後になって考えるとマツヱは、この郁治叔父の言葉が気に入らなかったのだと思います。なぜなのかは、後述)
しかしマツヱは、「この家は、わたしの家だ! 出ていけ!」と言ったのです。
その時の売り言葉に買い言葉というシチュエーションがあったとしても、人として決して言ってはいけない言葉を口にしたのです。
けれども、これはマツヱの本音なのだと、私は確信しました。
それは……
父が亡くなった時、家の相続登記の際に法務局の人から、二人の名義にすることも出来ますとのアドバイスをもらったにもかかわらず、マツヱは、「二人の名義にするといろいろ面倒くさいことになる。どうせ、いずれは、家は、お前のものになるんだから……」などと言ったものですから、私も親を疑うことなく、家の名義をマツヱ単独のものにすることに同意しました。
父の遺産は民法上もマツヱと私で半分ずつの所有になりますから、家の権利も当然そのようになります。便宜上、マツヱの名義にしたものの、家の権利は二人のものであるということが暗黙の了解だと私は思っていました。
しかし、マツヱの口から出てきた言葉は、「この家は、わたしの家だ!」です。前々から思っていた本音を思わず口走ってしまったということなのだと私は思いました。
「まさか、そんなことはないだろう」と、常識的で心優しい皆様方なら思われるかもしれません。けれども、愚母マツヱは平気で嘘がつける人の道に外れることも平気でできる、そんな人間なのです。
マツヱは、父の生前から、せっせと父の預貯金を自分の口座に移していました。死んでからだと税金かかるから今のうちに移しているのだと言っていたこともあります。
その時のマツヱの口癖は、「税金逃れ、税金逃れ」です。この言葉はマツヱの同級生の友人Dさんも聞いたことがあるのではないでしょうか。(Dさんとの電話中、マツヱが大声で、「税金逃れさ」と言っているのを聞いたことがあります)
生前からの預貯金の移動を父が知っていたのかは、今となっては分かりませんが、そういうことを堂々とするのがマツヱという人間なのです。
父の死後、家の権利も含め、相当額の預貯金も全て自分の口座に入れたままで、私は、相続分をいただいてはいません。
もちろん遺産分割協議も全く行っていません。
「夫の遺産を全て自分のものにする。自分の意のままにならない娘には、一銭たりとも渡さない」というマツヱの浅ましい考えの一端が、この「出ていけ!」という言葉に表れていると私は思いました。
郁治叔父に対する悪魔の所業、そして、父の遺産を全て自分のものにしようとする浅ましいマツヱの考えを私は到底許すことができなかったので、この日以来、私はマツヱと関わることを止め没交渉となったのです。
以後、私からは、一切の言葉も発してはいません。ですから、私がマツヱを怒鳴ったり殴ったりするわけもありません。
もちろん、マツヱが自分の非を認め素直に謝罪してきたら許してもいいと私は思っていました。
しかしながら、マツヱは、自分の非を認めるどころか、嘘に嘘を重ねるとともに私に対して嫌がらせをするなど、人倫にもとる行為を繰り返したのです。
また、郁治叔父に対する虐待も酷く、私は、虐待される叔父を陰ながら庇うとともに生活に困らないよう支援していました。
なぜ陰ながら庇っていたのかというと、マツヱは郁治叔父に、「房子の世話になるな」と厳しく命じていました。ですから、郁治叔父は、困っても私に助けを求めることができないため、なるべく、郁治叔父には気付かれないように、腐った食品を入れ替えたり無くしたものを探したり、郁治叔父がマツヱから怒鳴られ虐待されないように支援していたのです。
「房子の世話になるな」とは、イコール、前述した「僕の貯金、房子にあげるよ」を撤回せよ、ということです。
マツヱは、現在、郁治叔父の貯金通帳を全て取り上げています。そして、マツヱがいつでも郁治叔父の貯金を下ろせるように、無断で代理人カードも作りました。
「ユッコなんか自分で何にもできないからだ!」というのがマツヱの言い分ですが、そんなことはありません。郁治叔父は日ごろから数字には強く出納や預金の利子などを細かく手帳に記入する等、几帳面であり、金銭管理もできる人なのです。
アパート経営をしている時は、もちろん自分で確定申告もしていました。
そんな郁治叔父をマツヱは、いじめ抜き虐待し精神的に追い詰めたのです。
虐待の詳細については、別にまとめてありますが、それはそれは酷いものでした。
日常的に「バカ、あほ、■ちがい」と罵倒し「バカにバカと言っても分からんか!」などと、暴言を浴びせることもありました。
「私より先に死んでもらいたい」というマツヱの言葉が本当のことなのだと私が思う所以でもあります。
現在、郁治叔父は、ある介護付有料老人施設に入所しています。郁治叔父は、姉(マツヱ)に「だまし討ちにされた。いきなり、こんな狭いところにバーンと入れられた。腹立つんだよね。殴ってやりたいほどだ」と憤っており、「僕の財産を全部持っていかれた。返してほしい」と、言っていました。(これも証拠の音声データがあります)
2021年1月15日どこからか掛かってきた電話でマツヱは、「小間使いが居なくて困る。全部、一から十まで自分でやらなくちゃならない」と言っているのを聞きました。
小間使いとは郁治叔父のことです。マツヱは郁治叔父を本当に小間使いのように使っていました。自分が、きちんと伝えなかったにもかかわらず、郁治叔父が失敗をすると、「■ちがい!」「バカ!」などと罵倒します。
そのように馬鹿にされ蔑まれても、何も言えない郁治叔父が不憫で仕方がありませんでした。
私は落ち込んでいる郁治叔父に「ユッコおじちゃんは、何も悪くないからね。何か困ったことや嫌なことがあったら、お風呂(通所している入浴施設のこと)の人に言いなさいね」と慰めることしかできませんでした。
マツヱの郁治叔父への虐待を見ていると私が子どもの頃にマツヱから受けた虐待を思い出しました。そして、父がいなかったら、マツヱによる虐待で私は、もうこの世にいなかったかもしれないなどとも思うようになりました。
私の手には今も残る火傷の跡があります。これはマツヱの虐待の痕です。マツヱが熱湯を私の手にかけたのです。他にも身体的暴力や言葉による心理的虐待を私はずっと受け続けていました。
父が生きていた間は、そんなマツヱの行動を父が咎めることもありましたし、時には隣家の方が見かねて庇ってくれることもありましたが、今は、やりたい放題です。
マツヱは、そんな人間なのです。幼い頃から私がマツヱに抱いていた不信感、違和感が大人になってから同居することで、はっきりしたのだと思っています。
私は、昭江に愛情をかけてもらったという思い出がありません。小さい頃、寝かしつけてくれたのは、いつも父でした。父からの愛情は感じていますし感謝もしています。
父はマツヱの横暴にずいぶん我慢をしていたのではないかと思います。父の死因となった難病も強烈なストレスを与え続けたマツヱが原因ではないかと私は思っています。
自分の非を決して認めることなく、自分を正当化するために平気で嘘をつく。何か気に入らないことがあると、それを全て他者のせいにする。人を見下し、人を人とも思わず嘘がばれると逆切れし激昂する。そんなマツヱを私は心から軽蔑し嫌悪しています。
現在、マツヱと私は、互いに弁護士を立て係争中です。言わば泥沼の戦い状態です。なぜ、ここまで拗れることになったのかを次に記します。
2021年4月5日、伊野家の叔父から一本の電話がありました。
マツヱが仏壇を引き取ってほしいと言ってきたのだが仏壇のことについては私にも伝えておいた方がよいと思ったので連絡したとのことでした。
叔父との電話でのやり取りの中で、父の遺産の相続分をきちんとマツヱから貰って、この家を出た方が良いのではないか。私もそのように考えていますなどという話になりました。
叔父はマツヱに対して、父の遺産の半分は私に相続権があるという話をしたそうですが、マツヱは全く聞く耳をもたず、ただ私を誹謗中傷するばかりだったということでした。
そこで私は、マツヱの勝手な動きをけん制するため、4月14日、父の遺産の二分の一は法定相続人である私のものなので相続分を支払ってほしい旨を記した通知書をマツヱに配達記録郵便として送付しました。
すると、マツヱは、弟(郁治叔父)のアパートを売却する時に仲介を依頼した祝不動産の澤部祝人なる人物に、その通知書を見せ相談をしたのです。
(この業者、アパート売却時は、大手不動産に勤務していましたが、2019年に独立した免許番号が県名(1)の業者です。
ちなみに、郁治叔父のアパート売却代金の半分以上はマツヱが搾取しています。
このアパートは、無年金者である郁治叔父を心配した私の父が、マツヱの親の相続分から援助するように言い、郁治叔父の生活に資するために購入したアパートでした。
しかし、マツヱは、私が半分を援助したアパートなのだから売却した代金の半分は弟から返してもらいます!というロジックで、言わば強制的に郁治叔父から取り上げたのです。心ある人ならば無年金者である弟に全額渡すのではないでしょうか。少なくとも父が生きていれば、そんなことはマツヱにさせなかったことでしょう。マツヱとは、そんな鬼畜人間なのです)
マツヱからの呼出しを受け、4月15日、祝不動産の澤部氏が家に来ました。ちょうどその時、出かけようとしていた私は澤部氏と車庫前で出会いました。澤部氏は、名刺を私に差し出し、「茂原郁治さんのアパート売却でお世話になった者です」と名乗りました。
そして、マツヱと3人で話がしたいなどと言ってきましたが、私は何も聞いておらず、また、不動産屋と話をする理由も皆目分からないことから人との約束時間も迫っていたので出かけました。
15時頃、帰宅した私にマツヱは、「あの手紙(通知書)のことで、専門の人(澤部氏のこと)の話を聞いた方がいいから、聞きたいことがあるから、あんたの都合のいい時に来てくれるから、いつがいいの?」と、一方的に意味不明のことを言ってきました。
私は、マツヱが私に怒鳴られると皆に言いふらしているのを知っていましたから、すぐさま、その場を録音し、何も発せず2階へ行きました。
マツヱは、「返事してくれない!すごいね!……」などと捨て台詞を吐いていましたが、私が何か言えば、マツヱは「すごい勢いで怒鳴り散らした」などと言うのが目に見えていましたから、私は、その場では何も言わず2階へ行ったのです。
そして、私は、すぐに澤部氏から渡された名刺の連絡先に電話し、どのようなことなのかを聞くことにしました。
澤部氏の話によると……
以前から、この家の売却について、話をしていたので、今日も売却査定の話があるのかと思い訪問した。
すると、査定の話ではなく、私からの通知書を見せ、〇〇円渡せと言ってきてとんでもないということや私の悪口を並べ立てていた。
通知書に記されていた金額は、この家の査定額から考え高額なのではないかと思った。
このようなことを教えてくれました。私は、これまでの経緯を話し、あの通知書の内容は家だけの問題ではなく、預貯金も含めた相続全体の話であるということを澤部氏に伝えました。
すると澤部氏は、家の売却査定の話をしようと思っていたが預貯金のことも入っているのなら私の管轄外のことなので、今経緯も聞いたし3者で話をすることもない。今聞いたことはマツヱに伝えておきますと言ったのです。
マツヱは、かねてから、この家を売って高級サ高住に住みたいなどと語っていましたので、それを実行に移そうと考えての行動なのだと、その時、私は認識しました。そして、今後もマツヱの勝手な動きに注意しなければと改めて思いました。
10月21日、再び、澤部氏がマツヱのもとを訪れていたので確認すると、この家の売却話が具体化したとのことだったので、私は、それを阻止すべく弁護士を立て遺産分割調停に向けての行動を起こしたのです。
父の財産を生前から自分の口座に移し父が亡くなった後も私に相続分を支払うことなく、土地家屋の名義を私への甘言により自分単独のものとし、しまいには、私を追い出し家を売り、その売却益を全て自分のものとする。
そんな、マツヱの暴挙から自分の生活基盤を守るため、やむにやまれず、私は弁護士に相談したのです。
私の代理人弁護士から、遺産相続協議が行われていないので、この家を勝手に売買することは出来ない旨の通知をマツヱと祝不動産に送付してもらいました。
通知書が届くなり、マツヱは激昂して弁護士事務所へ電話していましたが、祝不動産へは内容証明郵便で相続協議についての経緯が送付されましたので手を引いてくれるのではないかと私は思っていました。
しかし、その考えは、全くもって甘かったのです。
祝不動産は、小金持ちの老人に吸い付いて離れない悪徳詐欺集団のごとく、マツヱにぴったりと寄り添い、マツヱに入れ知恵し、マツヱの片棒を担いでいるのです。
祝不動産の澤部は、マツヱと一緒に郁治叔父の施設にまで出向いたことも分かっています。施設のスタッフは、マツヱと一緒にケアマネジャーさんが来たのだと思ったそうですが、実は、不動産業者澤部だったのです。
何をしに行ったのか? なぜ、郁治叔父の施設にまで行ったのか? 単なる顧客サービスとはとても思えません。
12月に入ってからも祝不動産の車に乗り出かけることがありましたので、私の代理人弁護士からマツヱに確認の電話を入れたこともありました。(15日)
その時マツヱは、祝不動産澤部のことを友達だと説明し、家は、まだ売らないと言っていたそうです。
12月18日、E県に住むマツヱの姪が訪れました。
(マツヱの言動を知った伊野家の親戚達も、茂原家の姪一家も、皆、マツヱからは遠ざかって行きましたが、唯一、マツヱの言うことを妄信し、そして、マツヱから相当額の金品を受け取りつつマツヱの手助けをしているのが、このE県に住む姪です。
E市に住む茂原本家の姪の妹にあたる人物ですが、度々、マツヱのもとを訪れては虚言を弄しマツヱのメッセンジャーをするものですから、E市の姪一家は激怒しています)
そのE県の姪に荷物の整理や引越しの準備を手伝わせるなど12月21日のマツヱの暴挙の準備をしていたことが後になって分かりました。
そして、とうとうマツヱは、12月21日、午前中から大きなトラックを横付けし自分の荷物(私に所有権の半分があると考えられる物も含め)所謂、金目の物を全て積み込み、どこかへ逃げていきました。
私は、マツヱを乗せた車を追いかけましたが、途中、猛スピードで撒かれてしまいました。
この日の夕方、私の代理人弁護士のもとへマツヱの代理人弁護士からの通知がファックス送信されてきました。
その内容は……
・遺産分割は完了しているので遺産分割の話合いに応じる気はない。
・現在マツヱが使用できないようになっている郁治叔父の預金通帳について
は、郁治叔父に成年後見人を立て、通帳を交付したい。(つまり郁治叔父
が自ら停止させた通帳とカードを再びマツヱが奪おうとしているということです)
・この家は所有者であるマツヱが私と賃貸契約をして住まわせてやっていた
が、その契約を今日限りで解除するので退去せよ。
というものでした。
私の開いた口は塞がりませんでした。呆れるのを通り越して唖然、茫然というところです。
さて、ここまで長々と綴ってきましたが、皆様は、どう思われますか。真実を知っても私の行動が間違っていると思われますか。
一般的には将来住むための自分の家がないのであれば、多くの人が現職の間に、ローンを組み、家を建てたり、マンションを購入したりすることと思います。
私の場合は、この家が自分の終の棲家になるということが自明でしたので、その上で人生設計をしてきました。
父の生前に行ったリフォームでも、私が戻ってきた時のため二世帯住宅にするという話でしたので、現職中に自宅を確保することを私は、しませんでした。
しかし、今になり、突然住む家を奪われるのです。私の人生設計が大いに狂うどころか、死ねと言われているのも同然だと思われませんか。
先日、マツヱと親しくしていた裏に住むFさんが、何も知らずに訪れてくれました。
私は、Fさんに、ここに綴ってきたことをかいつまんで話しました。
Fさんは、驚き、そして「それは、マツヱの頭がおかしくなっている。認知症ではないか。自分は仕事で色々な人と出会ってきたがマツヱのようなことをする人には会ったことがない」と呆れていました。
私は、Fさんの言葉に救われる思いがしました。
さて、年末の慌ただしい最中に、長々とこのような駄文を送付いたしましたこと心よりお詫び申し上げます。
皆様におかれましては、驚かれた部分も、そして、とても信じられないと思う部分もあるかと存じます。
しかし、私にとりましては、ここに綴ったことが真実ですし、今の状況は、まさに私の死活問題でもあるということは紛れもない事実なのです。
ここに書かれたことの真偽の判断は皆様におまかせいたしますが、この文書をマツヱに見せていただいても構いませんし私が把握しきれていないマツヱの友人知人の皆さまに拡散していただいても構いません。
皆様には時節柄、どうぞご自愛ください。
草々
令和3年12月29日
伊野 房子
以上が彼女からの手紙である。
これまでの経緯を知っている者と違い初めて読む人にはすんなりと理解できない部分もあるかと思う。そこで次に若干の補足をする。
3 これまでの経緯等の補足説明
手紙に登場した主な人物
・伊野 房子;私の友人
・伊野マツヱ;房子の実母(旧姓 茂原マツヱ)
・伊野 和男;房子の実父
・茂原 郁治;房子の叔父(マツヱの実弟)
・澤部祝人(さわべよしひと);祝不動産代表取締役 (おそらく今回の件の キーパーソン)
手紙を書いたのは私の高校以来の友人である伊野房子(いのふさこ)。私同様現在までシングルである。
房子は公務員をしていた父と専業主婦である母の一人娘として生まれた所謂ひとりっ子である。
房子は高校卒業後、実家のあるA市を離れ、県内の別の市にある大学に進学した。
大卒後、某事業所職員としてG市で勤め人生活をスタート。
3~5年程度で異動があり、早朝や深夜にわたる仕事もある職種だったこと等から、親に余計な気を遣わせたくないという理由で、房子はA市に転勤になってからも実家には戻らず仕事部屋としてアパートを借り一人暮らしをしていた。
10数年前、房子の父である伊野和男(いのかずお)が難病で急逝。房子は実家に戻ることも考えていたのだが、時を同じくして房子は栄転し、いわゆる中間管理職となった。
そのため房子の業務は、ますます多忙となり住居には寝に帰るだけというような毎日になった。
房子の母であるマツヱは、父の死後も房子が超多忙であり、なかなか実家に戻ってこられないことから、近くに住んでいたマツヱの実弟(茂原郁治)を家に呼び寄せ一緒に暮らすようになった。
(房子によると、叔父郁治はマツヱが自分の下男としてこき使うために呼び寄せられた。叔父はアパート経営で生計を立てていたが、マツヱは強制的にそこを売り払い、その代金の半分以上を搾取したとのことである)
今から5年前、房子は勤め先を早期退職し母親の面倒を見るために実家へ戻った。
もともと実家は、房子の父が将来一人娘である房子と一緒に暮らすため二世帯住宅にリフォームしてあった。(私も完成後に見せてもらったことがあるのだが、1階と2階それぞれにトイレとキッチンがある造りであった)
房子が戻った時、実家の2階部分(つまり房子のための居住部分)にはマツヱが呼び寄せた叔父郁治が居住していたものの、特には何の問題もなく2階部分で仲良く暮らしていた。
というのも、私は一度、叔父と一緒に生活している房子に、「叔父さんと一緒で気を遣うことはないの?嫌じゃないの?」と尋ねたことがあるのだ。
私にとっての叔父は結構遠い存在であり、同居となると気を遣うことが多くなるのではないかと思ったからだ。
しかし、房子からの返答は「全然だよ。ユッコちゃんは少し発達障害っぽいけど人畜無害な子どものような人だから」というものであった。
郁治叔父にも会ったことがある私は「なるほど、そうだよね」と、その時納得したのを覚えている。
このように房子と叔父との関係を心配していた私だったが、それは、とんだ見当違いであり、実は骨肉の部分にこそ後に相食むこととなる火種があったのである。
実家に戻ってからの約1年間、時には「年寄二人の介護は結構ヘビーだよ」などとこぼしながらも、房子は実家の諸事を一生懸命にこなしていたという印象が私にはある。
その後ある出来事をきっかけに房子と実母は没交渉になっていくのだが、それについては前掲の手紙の通りである。
今回の件について、私が房子から聞いた詳細及び手紙の内容をかいつまんで記すと、「伊野房子は、狂った実母、そして実母が持つ財産を窃取しようと目論む怪しげな輩によって住む家と多くの財産を奪われ非常に困窮している」ということなのである。
私が知る限りの伊野房子は、基本的に穏やかであり一人娘ということもあり、おっとりした性格の人物である。私が困っている時には何かと手助けもしてくれるような優しさもある。
決して親を虐待したり蔑ろにしたりするような人間ではないと私は思っている。
だからこそ、今回の実母による酷い仕打ちは、房子の側に何らかの原因があるとは到底思えないし、こんな理不尽なことをされている房子が心底気の毒でならないのである。
何も悪いことをしていない友人が精神的にも経済的にも追い詰められ窮地に陥っている現状を看過することは絶対にできないと私は強く思っている。
4 昨年末から現在までの動き
房子の手紙が届いてから現在までの間には様々な動きがあった。
手紙の最後の方に記されていたマツヱが「どこかへ逃げて」行った昨年の
12月21日以降の出来事について時系列で記述する。
(尚、今回の件に深くつながりのある茂原家に関する動きも同時に記すが、煩雑になることを避けるため茂原家関連の事柄以外は太字にした)
◎令和3(2021)年
・12月21日;マツヱ、実家から出ていく。
同日、マツヱの代理人弁護士Hから「遺産の分割協議は、 終了しているので応じない。今住んでいる家はマツヱのものだから房子は出て行け。郁治の通帳はマツヱが管理する」という旨の通知書が房子の弁護士宛に届く(※1)
・12月24日;房子代理人弁護士からマツヱ代理人弁護士Hへ「遺産分割協議は行われていない。房子は実家を共有持分権に基づき使用しているので退去の予定はない。郁治のことに関しては委任外のことであり関与しない」旨の回答を送付
・12月25日;マツヱの逃亡先判明(※2)
・12月27日;房子、郁治が入居している施設に従妹(※3)と行き、 郁治の退所手続き(※4)をする
・12月29日;房子、件の手紙をマツヱの知人等へ送付
◎令和4(2022)年
・ 1月 5日;郁治、老人施設を退所しE市へ転出(※5)
・ 1月20日;マツヱ代理人弁護士Hから、伊野家の土地建物はマツヱが全てを相続し遺産分割協議も完了しているので、2月28日までに房子は家から退去せよ、という連絡が房子の代理人に届く(※6)
・ 2月15日;件の手紙を受取ったマツヱの友人Iさんから房子へ電話がかかってくる(※7)
・ 2月16日;茂原高志宛にマツヱの代理人弁護士Hから既に返済し終わっている借入金についてマツヱへの支払いを求める通知書が届く(※8)
・ 2月19日;茂原明子、Hへ返済完了の証拠となる資料等を送付
・ 2月28日;弁護士Hから(マツヱに)確認したところ返済の経緯については明子の主張通りだったので貸金返還請求を撤回する旨の通知書が届く(※9)
・ 3月 3日;弁護士Hから「房子は当方が指定した期間を過ぎても、家から退去せず占有を続けている。当該土地建物は売却する。売却登記後、新所有者の委任を受け当職が房子に対し建物明渡訴訟を提起する。土地建物売却後はマツヱの代理人を辞任する」という旨の連絡が房子代理人弁護士に届く(※10)
・ 3月 5日;房子代理人から「マツヱ側の主張する遺産分割協議書は、法務局に保管されている土地家屋の登記原因証明情報であり預貯金等も含めた全ての遺産に係る正式な遺産分割協議書ではない。マツヱが唐突に自宅からの退去を求めるのは、濫用的な権利行使である。
今後、遺産分割問題について協議することは可能か」等の内容をHへ送付
・ 3月 7日;Hから遺産分割協議をすることは考えていない旨の連絡が房子代理人弁護士宛届く
・ 3月 8日;房子代理人弁護士、A地裁へ不動産処分禁止仮処分申立を行う(※11)
・ 3月25日;仮処分申立は却下される(※12)
・ 3月28日;茂原郁治、マツヱへ財産を取り上げられたこと、虐待されたこと等に対する慰謝料を求める手紙を送付(※13)
・ 3月31日;澤部祝人、マツヱに頼まれ実家近くの店に買い物に来ていたことが房子と親しい店のスタッフの言から判明
・ 4月 1日;祝不動産が伊野家の土地建物を取得し移転登記
・ 5月 6日;房子、祝不動産から訴えられ被告となる(※14)
5 これまでのまとめと今後のこと等について
狂った母親のせいで住む家が無くなることに危機感を抱いた伊野房子が弁護士に頼ったのが昨年の10月である。
それから7ヵ月経った現在、それだけは絶対に避けたいと房子が願っていた「祝不動産への伊野家の売却」が成立してしまった。
そして、祝不動産は、現在房子が住んでいる自宅からの立ち退きおよび金員の支払いを迫って提訴してきた。
いったい、何故このような理不尽かつ非道なことがまかり通ってしまったのだろうか。何処に、あるいは誰に過誤があったのだろうか。
もちろん一番の奸悪は伊野マツヱに他ならないが、実の母と娘がここまで拗れるに至らしめたのは、祝不動産の澤部祝人ではないかと私は考えている。
事の始まりは房子とマツヱの衝突であり、そこに伊野家や茂原家の親族が関わるという、言わば家庭内の問題だった。
しかし、そこに親族外の祝不動産澤部祝人なる者が登場することにより事態はどんどん暗転していったからである。
嘘のつけない正直不動産というドラマがあるようだが、この祝不動産は、不正直不動産どころか一つの家庭を破壊した超悪辣不動産と言ってよいのではないかとさえ私は思っている。
たとえ千三つと揶揄されるような腹黒い不動産屋であったとしても、
・年老いた女が一緒に暮らしている娘を大した理由もなく追い出し、家を売り払い、自分だけサ高住に住もうとしている
・その娘からも代理人弁護士からも遺産分割協議は済んでいない旨の情報を受けている
・その年老いた女の弟が「ぼくの財産を返してほしい」と女に訴えているのをその場で実際に見ている
このような経緯のある、いわく有り気の不動産を購入しようとするだろうか。少しでも人の心がある者ならば、いや普通の常識がある者ならば決して手を出さない物件なのではないかと私は思うのだ。
にもかかわらず祝不動産は、この伊野家の土地家屋を手に入れ、更に、現在自宅として居住し生活している娘に対し、立ち退きを求め提訴したのである。
房子は、普通では考えられないような祝不動産の暴挙を可能にする何らかの背景があるのではないかと推察しており、私も、おそらくその考えは正しいのだろうと思っている。
そもそも訴訟を起こすには相当の金員が必要であり、ましてや敗訴などしようものならかなりの損害が生じる。しかし祝不動産は提訴したのである。
余程の愚か者であるか若しくは損害が生じないという確固たる自信があっての提訴なのではないかと私たちは考えている。
つまり祝不動産は伊野マツヱから、不動産だけでなく相当額の預貯金も手に入れたのではないかと推察しているのだ。
たしかに祝不動産の代理人弁護士Hは、マツヱの虚言そのままに茂原家に対し不当な請求をするような(※8)愚かな弁護士ではあるが、さすがにこんなコスパの悪そうな危険な案件は受任しないのではないか。けれどもHが受任したということを勘案すれば「マツヱの財産が相当額有るのでペイするだろう」と踏んでの行動ではないかと思われるのである。
祝不動産は、自分の意のままにならない者たちへの悪感情を増幅させ、常軌を逸してしまった小金持ちの老婆マツヱに取り入り、狡猾に立ち回ってその不動産を手に入れた。さらにマツヱの持つ預貯金をも手に入れようとしているのではないか。否もう手に入れたのかもしれないと私たちは考えている。
どう考えても祝不動産のやっていることは異常であり犯罪行為に等しいのではないかと思うのだ。
そして更に言うならば、房子が全幅の信頼を寄せ頼りきっている彼女の代理人弁護士である。
今のところ房子の立場が好転するような結果を全く出せていないその弁護士について、房子には悪いが私には動きが鈍く、あまり頼りにはならないのではないかと感じられるのである。
これまでの経緯を見るにつけ、房子に電話をしたマツヱの友人Iさんの言うこと(※7)も、あながち間違いではないと私は考えている。
伊野家売却成立の言わば戦犯として、伊野マツヱ、祝不動産澤部、そして後手に回ってしまった房子の弁護士について述べてきたが、最後にもう一人、伊野家不動産の売買を止める仮処分申立を却下した裁判官もあげておきたい。
房子にとっては到底承服しかねるような本質からずれた立論により却下した裁判官のせいで伊野家は結局悪徳不動産屋に売られてしまったのだから当然だと私は考えている。(※12)
房子曰く「この裁判官、自分でまじめに考えたのだろうか。きちんと考えないで適当に処理したのではないだろうか。イチケイのカラスのような人は現実にはいないのかもしれないね」とのこと。全くもって同感である。
こんな理不尽なことが許されるわけがないので仮処分申立は認められるはずと信じていた房子にとって、この却下の決定は相当なダメージになったのは言うまでもない。
今現在、被告となった房子は、このままでは本来自分が相続すべき財産の全てを失ってしまうのではないか。
裁判費用が払えなくなるのではないか等の焦りと危機感を強くしている。
そして、「私がいったい何をしたというのだ。こんな理不尽な目に遭わなければならないような悪いことをしたとでも言うのか。マツヱや祝不動産のしているようなことがこの国では許されるのか」と、この世の不条理を憂い悲嘆に暮れてもいる。
そんな房子に対し、「貴女は何も悪いことをしていないのだから大丈夫。家と財産を取り戻すために協力するよ」と私は伝え、そして、ペンで協力することにしたのである。
といっても私自身、このようなシリアスなルポルタージュを投稿するのは初めての経験である。
なるべく分かりやすく既述したつもりではあるが、如何せん素人ゆえの哀しさ、細かく説明しようとするあまり長文になったり主述がねじれたりして伝わりにくい部分もあるかと思う。そこはどうか長い目で見ていただければ幸いに思う。
とにかく、このルポ投稿の目的は、理不尽な目に遭い、住む家を奪われ路頭に迷おうとしている人間を救いたいということ、その一点に尽きる。
小説よりも奇なるこの事実を広く知ってもらい、世間を房子の味方にしたいという思いもある。
このようにすれば好転するかも……などのアイディアや感想もいただければ幸いに思う。同時進行ルポであるから今後の推移についても逐次発信する予定である。
このルポが広く拡散され多くの方に読んでもらえることを切に望む。
2022.6.2 重見 菜心
【脚注】
※1)マツヱの代理人Hは祝不動産お抱えの弁護士であり、澤部祝人が伊野家実家の土地建物を手に入れるためマツヱに紹介し代理人となったものである。
※2)A市内ではあるが実家からかなり離れた地区にある老人施設。マツヱが郁治を欺いて入れた施設よりも部屋はかなり広く室内に洗面所やトイレも付いている所謂サ高住のような施設である。
今年に入ってから房子は、この施設の施設長宛に今回の経緯等を記した手紙を送付した。しかし未だに何のアプローチもないことから、房子は、この施設への入居に関してもマツヱから伊野家実家の土地建物を手に入れたいと企んでいる祝不動産澤部が絡んでいるのではないかと推察している。
※3)手紙に出てきたE市に住む茂原家の姪(茂原明子)。房子にとっては母方の従妹にあたる。5年前に亡くなったマツヱの兄(茂原明治)の長女。茂原家の本家として夫の茂原高志、娘とともに仏壇等を守っている。
明子は房子と同様、幼い頃からマツヱに見下されており、しばしばマツヱの使い走りをさせられていた。特に夫の高志は気弱な面があり、マツヱに騙され命じられるまま郁治の施設入所の保証人になるなどマツヱの片棒を担いでしまっていた。
※4)手紙にもある通りマツヱは実弟の郁治を虐待していた。房子はマツヱと没交渉になった後も一生懸命に郁治の面倒を見ていたが、一昨年12月27日、房子が留守の間に、「房子は精神病でおかしくなっているので高志が代わりに手伝ってほしい」などとマツヱに欺かれた高志が郁治を老人施設へ運んだ。
房子は、これまでのマツヱやケアマネジャーなどの動きから施設へのお試し宿泊にでも行ったのではないかと考えていたが、なかなか郁治が戻ってこないため、明子に連絡をとったところ、マツヱに騙された高志が郁治を施設に入れるための協力をしていたことが判明。高志と明子は、マツヱに騙されていたとはいえ郁治を施設送りにしたことを非常に後悔し、以後は郁治を助け出すために動いている。
※5)郁治の強い希望により老人施設を退所し郁治の両親等の位牌があるE市の茂原本家に身を寄せることとなった。
昨年11月にマツヱが郁治から奪った郵貯と地銀二つの通帳をマツヱが勝手に使えないよう停止していたが、この日、再発行の手続きを行った。その際、郁治の通帳届出印鑑をマツヱが郁治に成りすまし勝手に変更していたことが判明。(その時の署名と今回の郁治自身の署名の筆跡が違うことに行員が気付き判明したものである)つまり、マツヱは郁治から通帳を取り上げた後、マツヱが勝手に預金を下ろせるように印鑑を変更したということである。
また、その時の行員によると、昨年11月に通帳が凍結された旨の通知書を受け取ったマツヱは、その通知書をもって銀行を訪れ、「こんな物など認めない!」と怒鳴り、その場で通知書を破り捨てたので驚いたということであった。
再発行された通帳を確認すると地銀の残高は28%にまで減っていた。郵貯はマツヱが勝手に代理人カードの発行まではしていたものの、この時点では未だ下ろされてはいなかった。
※6)手紙にもある通り、房子の父が亡くなった後、房子とマツヱは法務局で伊野家の土地建物の名義変更をした。その際、法務局の人が二人の名義にすることも出来る旨の説明をしたが、マツヱは「二人の名義にすると色々面倒臭いことになる。どうせ、いずれ、家は房子のものになる」と言ったので、房子は土地家屋をマツヱの単独名義にすることに同意した。名義変更のための書類のほとんどを房子が記入しマツヱは氏名のみ自署している。それを以てマツヱ側は「房子が書類を作成したのだから遺産分割が完了していることは明白である。相続手続きに瑕疵はない」と主張しているのである。
房子は、いずれは実家に戻りそこで生活することになるので、当然マツヱ死後は自分が家を相続するものと考えていたので、今回の件については「話が違う。マツヱに欺かれた。こんなことになるなら二人の名義にしておくんだった」と悔やんでいる。
※7)電話の内容は、「手紙を読んで驚いた。房子とマツヱは実の親子なのか? 実の親子だとしたらマツヱは認知症などの病気になっているのではないか。私はあまり詳しいことを知らないがJさんは知っていると思う。Jさんは手紙のことをマツヱに言ったらしいが、もう構わないでほしいなどとマツヱに言われたようだ。私からもマツヱに連絡してみようと思う。私も過去に民事訴訟を経験したが、A市弁護士会所属の弁護士同士、裏で話をし適当なことをする傾向があるので気を付けた方がいい」等であった。
※8)手紙にもあるがE市の茂原明治の葬儀費用として房子とマツヱが用立てた金額について、房子が拠出した額も含め全額をマツヱに返済するよう求める通知書である。
マツヱの「まだ返してもらっていない」という虚言そのままに確認することもなく弁護士Hが作成し茂原家に送付したものである。
既に返済したものを「支払え。支払わなければ訴訟提起する」などと言われた茂原家の家族は激怒するとともに精神的ショックを受け、特に明子は体調不良で通院することとなった。
※9)貸金請求については撤回するとしたものの、郁治の通帳管理に関しては成年後見申立が必要なので茂原高志に協力してほしいということも記された誤字脱字のある茂原家にとっては意味不明の通知書であった。
※10)家の売却先は祝不動産である。まんまとマツヱから土地建物をせしめた後は、もうマツヱの代理人は辞めるとHは言っているのである。祝不動産、H弁護士ともに悪徳の誹りは免れないものと思われる。
※11)マツヱが勝手に家を売買できないように仮処分の申立をしたものである。
※12)却下となった理由についてごく簡単に分かりやすく記すと「マツヱが二人の名義にすると色々面倒臭いと言ったのでマツヱ単独の名義にすることに同意したんでしょ。だから便宜上単独名義にはしたが、家は二人の共有であるということが暗黙の了解だと思っていたという房子の主張は採用できません」というものであった。
房子にしてみれば、マツヱの単独名義に同意した一番の動機は「家は、いずれ房子のものになる」とマツヱがその場で言ったからであって、決して共同名義の煩わしさを避けるために家の権利を放棄したわけではないのである。
常識的に考えても、面倒臭いからと言って終の棲家となるはずの自宅の権利を放棄する者などいないのではないか。却下の決定を下した裁判官のロジックは、「ちょっと何言ってるか分からないんですけど」というレベルのものではないかと私は思う。
※13)郁治は、昨年10月26日にマツヱが郁治の施設へ澤部とともに訪れた際、財産を返してほしい旨マツヱに告げていた。しかしマツヱは応じなかったため、11月13日に郁治はマツヱへ財産を返してほしいという手紙を送付した。それにもマツヱは応じることがなかったため慰謝料を請求する手紙をマツヱに送付したものである。もちろんマツヱからの反応は皆無である。
※14)訴状の主な内容は、被告=伊野房子、原告=祝不動産、「被告は、原告に対し建物を明け渡せ。不法に家を占有しているので家賃相当の損害額を支払え」というものである。
祝不動産のロジックは、「伊野家の土地建物は房子も納得してマツヱの所有にしたんでしょ。だから所有者であるマツヱから譲ってもらったこの家は最早我々のものなんだから一刻も早く出て行け。それに房子もマツヱも、もういい年なんだから扶養義務もあるわけじゃないし、マツヱが娘の住む家を奪ったとしても我々の知ったことじゃない」ということなのである。
【注】
ここに登場する人物、業者等は全て仮名です。実在する同名の方とは無関係です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?