10枚脚本「先代の遺言」(脚本集「てのひらの物語」2#天職だと感じた瞬間)
登場人物紹介
柘植秀一・・・うどん屋の主人
柘植正子・・・秀一の妻
柘植良一・・・秀一たちの長男
柘植真奈美・・・良一の娘(秀一たちの孫)
服部時子・・・正子の友人
石山忠勝・・・うどん屋の先代
菅野和歌子・・・服部が清掃をしているビルで働く女性
大和田|かおり・・・同上
場面1:田島屋の店内、夜
東横線祐天寺駅から目黒通り方面に下った通りにあるうどん屋の店内
和服の白の割烹着を着た店主の柘植秀一が店のテーブルに腰掛け、湯呑みのお茶を啜っている
隣のテーブルでは同じく割烹着姿の秀一の妻、正子が電卓に数字を打ち込みながら帳簿を付けている
秀一、飲み干した湯呑みをテーブルに置いて
秀一「もう仕舞うか」
秀一、席を立ち、入り口に掛かる暖簾を仕舞おうとする
秀一、暖簾を店内に入れ、入り口手前のテーブルに無造作に置く
秀一、元の席に腰掛けてから
秀一「そういえばまだあいつから電話来ねぇなぁ。毎日掛けて来ることもないのに」
正子「良一がね、安否確認だって。知らぬ間に倒れてたら困るって言って」
秀一「何言ってんだ。年寄り扱いしやがって。こっちは先代から貰った店を死ぬまで続けるつもりだってのに」
正子「そうね、先代は本当良くしてくれたもんね」
正子、顔を上げ、店に掛けてある写真を見る
写真には真ん中に先代の石山忠勝、左手に若い頃の正子、右手には秀一が写っている
その時、厨房の壁に掛けている固定電話が鳴る
正子「なんて話してたらねぇ。秀一さん出てよ」
秀一、無言で立ち上がる
秀一、電話の受話器を取る
秀一「はい、もしもし」
良一(声のみ)「おう、親父か。俺だよ、俺」
秀一「何だおい。こっちがそんな詐欺に引っ掛かると思ってんのか」
良一「おい親父、相変わらずだな。で今日は客どんだけ来たの?」
秀一「今日は12人だな」
良一「おう、ぼちぼちだな」
良一、電話の向こうで一瞬言葉を切る
良一「あ、それでさ、来週の土曜店開けてくれよ。真奈美と一緒にそっち行くからさ。真奈美が言ってたよ、おじいちゃんの味噌カツ丼がもう一度食べたいって」
秀一「だめだ。あれはなぁ、先代の取って置きの一品だ」
良一「あのさぁ、孫に食べさせる位いいだろ」
秀一「だめだ。先代はなぁ、戦後すぐにうどんの屋台から店始めたんだ。そんな先代の品を無闇には扱えねぇだろ」
場面2:田島屋の店内、次の日の早朝
店内のテレビで朝のニュースが流れている。時刻を見ると朝の7時前
秀一は割烹着を来て厨房に立っている
割烹着を着た正子、眠い目をして厨房に入る
正子「おはよう、今日のお昼の仕出し、頼むね」
秀一「ああ、カツ丼と親子、全部で30個だろ」
正子「そう」
秀一「時子ちゃんが珍しいな」
正子「うん、親戚が集まるって。それで服部さんの所には私一人で行くから」
秀一「正子、一人で大丈夫か」
正子「うん、あっちにも人いるから」
秀一「そうか」
場面3:田島屋の店内、続けて
秀一が厨房でカツ丼を作っている。カツを煮ているフライパンの中に溶き卵を垂らす
秀一「おい正子、ご飯盛ってあるか」
正子「はい、今盛るから」
正子、テーブルの上に置いたお釜のご飯をしゃもじを使って蒸らしている
秀一「もうカツ丼上がるぞ」
正子「はいはい」
正子、発泡スチロールの容器を持ち、そこにご飯を盛る
秀一「おい、こっちに一つ。ほら早く」
正子「はいはい」
正子、しゃもじをお釜に置き、ご飯が盛られた発泡スチロールの丼を厨房のカウンターに置く
秀一、正子が置いた丼を一つ取り、フライパンの右側に。丼のご飯の上に卵とじのカツを乗せる
場面4:田島屋の店内、昼過ぎ
時計は午後1時を指している。店に客はいない
秀一、店のテーブルに腰掛け、店の新聞を読む
そこで店の固定電話が鳴る
秀一、席を立ち、受話器を取る
服部(声のみ)「あ秀一さんお久しぶり。服部です」
秀一「何だ、時子ちゃんか。そうだ、今日ありがとうな」
服部「そうそう、それ言いたくて。正子さんがね、私が清掃で入ってる恵比寿のビルにね、売りに来てくれたのよ。そしたらそこの若い子たちが『こんな懐かしい味が食べたかった』って評判だったのよ」
秀一、受話器を持ったまま無言で立ち尽くす
場面5:田島屋の店内、夕方近く
客が誰もいない店内
秀一、テーブルに腕を組んで腰掛けている
割烹着を着たままの正子、店に入る
正子「ただいま。あそう、服部さんね、すごく喜んでたわよ」
秀一、無言で腕を組んだまま
正子「あれ、どうしたの?」
秀一、しばしの沈黙の後、俯いたまま
秀一「何で俺に嘘をついた」
正子、秀一の言葉に呆然となる
秀一「時子ちゃんが働いてるとこで丼を売ってたんだって?」
正子、状況を理解する
秀一「正子、先代から受け継いだ物をなぁ、外で売って歩いて。何で粗末に扱うんだ」
秀一、自然と声が大きくなる
正子、こっちを見ようともしない秀一をじっと見つめる
正子「秀一さん、口を開けば先代、先代って」
秀一、俯いたまま話を聞く
正子「ならね、その先代がこの店譲った時に私に言ったことがあるの。今まで言えなかったけど」
秀一「何て言ったんだよ」
正子「あいつは俺の言うことを聞くばかりで、自分からは何にもやろうとしない。だからあいつに店を持たせたんだ、って。それでね、正子ちゃん、あいつを見てやってくれって」
秀一、組んでいた腕を解き、息を一つ吐く
秀一「本当にそう言ったのか、先代が」
正子「そう」
秀一、顔を上げる
秀一「そうだったんだな」
場面6:恵比寿のオフィスビルの前、数日後の昼休み
ビルの入り口の前のスペースに田島屋のライトバンが停まっている
ライトバンの脇に設置したテーブルに丼物が並べられている
テーブルの前には秀一と正子が立っている
昼休みになり、ビルで働く人たちが次々とビルの外に出て来る
清掃員の格好をした服部が入り口にやって来る。秀一と正子に気付き、手を振る
服部「来てくれて良かった。いやぁ、本当に美味しそう、田島屋さんの丼は」
そこにネームプレートを首に下げた若い女性、和歌子とかおりがやって来る
和歌子「あ、服部さん、この前の丼屋さん」
服部「そうそう、私が頼んだらまた来てくれてね」
かおり「あれ、この前なかったメニューがありますね」
和歌子「そうだ味噌カツ丼って」
秀一「あ、これね、うちの取って置きの一品なんだ」
かおり「あとチーズカツ丼って」
秀一「そうそう、意外と合うんだよ。カツにチーズがね」
かおり「美味しそう、そしたら私はチーズカツ丼で」
和歌子「あ、そしたら私は味噌カツ丼で」
秀一「あいよ、味噌カツが600円で、チーズが700円ね」
和歌子、かおり、お代を用意して正子に渡す
秀一、商品をビニールに包む
秀一、商品が次々と売れ、久しぶりの充実感を味わっている
テーブルの前には自然と行列が出来ている
場面7:田島屋の店内、週末の夕方過ぎ
秀一、厨房に立ち、揚げる前のカツを作っている。週明けの仕込み
調理台には左から片栗粉、溶き卵、パン粉の入ったバットが並ぶ。いちばん右のバットにはパン粉の付いたカツが重ねられている
正子はテーブルの上に湯呑みを並べ、布巾で湯呑みを拭いている
その時、店の入り口の引き戸が開く
暖簾をくぐって長男の良一と良一の成人した娘、真奈美が入って来る
秀一、厨房のカウンター越しに2人を伺う。孫娘の来訪に目を細める
正子「あら」
秀一「おお、良く来たな」
良一、カウンター越しに秀一の姿を確認して
良一「そういえば昼に丼を売りに出して、盛況だったんだって?」
秀一「ああ、今じゃ仕込みにてんやわんやだ」
秀一、皮肉っぽく言うが、顔は笑っている
良一「それで真奈美がさぁ」
秀一「ああ、分かってるよ」
秀一、厨房から出て真奈美の所へ、少し腰を屈めて
秀一「真奈美ちゃんな、味噌カツ丼、今作ってやるからな」
真奈美「本当?嬉しい。ありがとう、おじいちゃん」
秀一「ハハ、礼は要らないよ。で真奈美ちゃん、この味噌カツ丼はな、先代が戦後すぐの頃醤油が手に入らなくて、代わりに味噌を使って作ったものなんだ」
秀一、そう言ってから背筋を伸ばして
秀一「それとな、先代が俺に遺した言葉があるんだ。亡くなる前にな」
秀一、改めて家族全員を見渡す
秀一「俺は戦後のどさくさから店を興して、時代に合わせて品を変えてこれまでやって来た。だからお前もこれだって思ったことはどんどんやれ、ってな」
正子、良一、真奈美、秀一の言葉を笑顔で受け止める
秀一「そしたらみんなで食べるか。取って置きの一品をな」
秀一、いたずらっぽく笑って
秀一「ほら、みんな席に着いて」
秀一、そう言って厨房に向かう
良一、真奈美、テーブルに腰掛ける
正子、厨房の秀一を真っすぐに見つめる
店の壁には先代と秀一、正子が一緒に写った写真が掛けられている
(終わり)
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