理想的な最期を。
シゲクです。
最近は、「人生100年時代」「人生会議」という言葉を良く聞きます。すべての生き物は、生まれたら必ず死を迎えます。これは、誰もが知っているものです。でも、普段はそんなことはあまり考えずに、いろいろな悩みを持ちながら生き続けていると思います。
しかし、「死」は突然に訪れます。20歳の時に「友」を失った経験と、今年、「大先輩」を失った経験は、記事にもしました。
「友」の「死」は、今の自分の死生観に大きな影響を与えています。どんなに若くても突然「死」の瞬間が訪れてしまうという「現実」を見せつけられました。
生きている限り、終わりは必ずきます。最後に会ったのがこの人でよかった、最後に遊んだのがこの人でよかった、最後に書いた記事がこれでよかったという終わりを迎えたいものです。
人生は、いつどのようなエンディングを迎えるかわかりません。
ここからは、自分なりにやがて必ず訪れるであろう、理想的な「死」の迎え方を考えてみたいと思います。
この記事で書いた「夢」の中の「予言」によれば、私のこれからは「50年生きて、奥さんと5人の子供」がいることになっています。
この「予言」が本当かどうかは全くわかりませんが、現時点では全く情報が無いので、「予言」に乗っかって考えてみます。
現在は31歳ですので、50年生きたとしたら81歳で亡くなることになります。
ここからは理想ですが、病院でも家のベッドでも良いので、奥さんと子供たち、そして孫がいれば孫たちに囲まれて、穏やかに逝きたいですね。
最期の瞬間まで奥さんに手を握っていて欲しい、そんな風に思います。
誰もが思うことかもしれませんが、苦しむことなく眠るように去っていきたいです。
最後の言葉は、「ありがとう。楽しかった。」で終わるのも理想です。
出来れば、どんな形になってもこの「狂気の自分語り」シリーズの最終回は、今回の答え合わせにしたいと思います。興味のある方は、最後までお付き合い頂けたら嬉しいです。
ただ、今のままでは全く理想の終わりを迎えられないので、人生が終わる瞬間はまだまだ先であって欲しいと思います。
今日は、この辺で失礼します。