バブル期の就職活動の裏話……いまだから言える…かな…
厳密には、バブル崩壊直後です。私が大学を卒業したのは1994年で就職活動は1992から実質始まりました。まだバブル崩壊前夜という感じです。
「就職戦線異状なし」という小説、映画があります。さすがに脚色されていますが、似たかよったかというものでしょう。
いま、「就職活動、内定3社もらった秘訣」のようnote記事がありますが、本来は内定(なにをもって内定というかですが、たぶん内々定ではないような気がします。内々定の方が重要です)はそれほどバブル期は出ません。
学生の囲い込みが厳しく、拘束はもちろん、面接官の目前で、他社へ辞退の電話を掛けるは当たり前でした。
最終面接で、他の会社に辞退の電話を目前で掛けるわけですから、複数内定は当然ありません。
「拘束」ですが、わたしも経験しています。
経団連などでしょうか、申し合わせで「就職活動解禁日」というのがあるのをご存じでしょうか。
その日から就職活動する学生は、まだ内定が出ていない学生です。
「解禁日」は「内定企業の拘束日」でした。
わたしが内定をいただいた会社は、解禁日にホテルに内定者があつまって、豪華フレンチが振る舞われました。同級生にも会いました。
「え?下北沢に住んでるの?」とか女の子と会話をした覚えがあります。
会社としては、解禁日に他の企業に回って欲しくないので、拘束するのです。バブル期には、有名企業は解禁日には内定者の決着がついていました。
ですから、「企業が求める人材は内定は1つ」なのです。
さらにいいますと、私の実家には電話帳のように分厚い企業案内の資料が毎日のように送られ来たといいます。わたしのアパートにも資料が毎日のように送られてきました。
学生をリサーチする会社があったのです。そのようなリサーチ会社に名前が載っている学生には、ほんとに超有名企業の企業説明資料がバンバンと送られてきます。
メガバンク、商社、証券、通信、大手メーカー
その資料に、「資料請求申込み」が付いていて、それを会社に送ったら、もうその会社との面接が始まります。
今でいうコンサルタント会社が、採用候補の学生を調べていたのです。
ですから、資料請求は「本命の会社」に出すわけです。
資料請求をだしたら、会社の方からリクルーターが来ます。
携帯電話の無い時代ですから、留守番電話を用意して、留守録(古い・・留守番電話録音)をチェック。面接日と会場、時間を確認します。
一度、スーツをクリーニングに出していて、その返却前に面接日の連絡が入っていて、慌てて用意したことがありました。
人事担当部長面接で、最終面接の一段前だったので、その時はセーフでした。
最終面接は役員(取締役員)面接になります。上場企業だったので社長ではなく、人事担当専務でした。
今の時代、東大生もエントリーシートを書いているというのはある意味驚きです。
昔は私ですら、リサーチ会社が調べた名簿を使って、会社からアプローチがあった時代です。どこかで書きましたが、国家二種名簿搭載されると、役所からもアプローチがありました。
noteの就職活動の記事を見ると、隔世というか、私は崩壊直後、氷河期が始まる前だったのか、と思いました。
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