Ep.5『マスターハート』
髪の長い素敵な雰囲気の女性が来店した。
僕はいつも通りおしぼりを出すと、彼女は少し悩んだ後に赤ワインとポテトサラダを注文した。
初めてお店に来たお客さんだ。
彼女はしばらく時間を楽しみながら、
ーマスター、オススメのワインを下さいー
そう僕に注文した。
僕は彼女の素敵な雰囲気に合ったロゼが、とっさに思いついた。
今はまだ桜のイメージが残る季節。
そして僕が最近ハマっているワインだ。
『ロゼのスパークリングワインです』
そう言って彼女の前にお出しした。
彼女はその大きな目で、ピンク色のワインから立ち昇る泡を見つめながら飲んでいた。
そして彼女は素敵な雰囲気のまま、会計を済ませて帰って行った。
続けて、いつもの常連客が来店した。
僕はおしぼりと同時に赤ワインを彼の元へと持って行く。
彼は決まって赤ワインしか飲まないからだ。
それに毎回同じ物を注文する客に、毎回注文を聞くのは野暮ってもんだ。
彼はいつも通りワインを飲み始め、しばらくしてから神妙な面持ちで、
ーマスター、今年のブドウはどうかね?ー
そう尋ねてきた。
僕は、『地球温暖化や異常気象で、以前の様にはブドウが育たないと聞いています。毎年理想通りには行きませんね。』
そう答えると、彼は一気に赤ワインを飲み干した。
僕はそのタイミングで、いつものように赤ワインを注ぐのだった。
ーマスター、ハイボール濃いめとミックスナッツー
彼は最近良くお店に来るお客様。
その際、決まって濃いめのハイボールを注文する。
そういった変わった注文をするお客様は、こちらもすぐに覚えてしまう。
度々部下を連れてくることがあるが、今夜は一人の様だ。
しかし、よく、まあ、
毎回ハイボールを濃い目で飲むことができるもんだ。
他の場所で飲んできてから来店されても、必ず濃い目で注文する。
半分寝そうになっているところを、部下が運んでいく場面を何回か見たことがある。
ーマスター、ハイボール濃いめおかわりー
今夜はまだ一件目の様だ。
偶然にも、同時に注文が入っていたもう一つの濃いめのハイボールを作り、
『お待たせいたしました、ハイボール濃いめ、おかわりです。』
そう言って僕は、カウンターの隣に座っていた女性にも、それぞれ同時にお出しした。
変わった同じ飲み物を、隣にいたお客さん同士が注文するなんて珍しい。
二人はどうやらこのハイボールがきっかけで、会話が始まっている。
ーマスター、私、今日最後に何を飲んだらいいかしら?-
そう聞くのは、この店の常連客のマダム。
僕はとっさに、以前も同じようなことがあったときに注文されていたペルノーを思い出した。
ペルノーはフランスの薬草系リキュールで、食前酒や食後酒として飲まれている。
以前と同じようにペルノーをショットグラスに注ぐと、水と一緒に彼女の前に迷わず置いた。
彼女はそれを飲みながら、しばらくすると。
ーねぇマスター。このお酒の意味がニセモノだなんて、なんだか不快な響きね。ー
彼女がそう言うと僕は、『このお酒は当時禁酒となったアブサンを真似て作られました。変わりゆく時代の変化についていくという人々の努力の結晶。新しいものを作り出していくという願いが感じるお酒だと私は思うのです。』
と答えた。
以前にお酒の本で読んだことがあるフレーズだった。
僕は今、この言葉がぴったりなんじゃないかと思い、彼女を励ますかのような表情で伝えた。
彼女はゆっくりと、時間をかけてペルノーを飲み干すと。
ーマスターありがとう、また来るわね。ー
そう言って店を後にした。
このバーの外では皆、違った顔を持っている。
仕事、家庭、恋愛、たてまえ、見栄。
このバーの中では皆、その肩書を忘れる事ができる。
僕はそのお手伝いを全力でする。
いつの時代もお酒の味は、一つの物語。
今宵もあなたに最高の一杯を!