気が強いは誉め言葉?
次男に
「お母ちゃんは気が強い」と褒めてもらった。
褒めてもらったとなぜわかるかと言うと、私のいいところはどこだと聞いたからである。
ちなみに夫は「努力家なところ」
長男は「面白いところ」と言っていた。
気が強いという言葉は陰口とかで言われるような悪口に近い意味でとらえていた私は「え?」っとなったわけだが、
次男に聞くと
「気が弱いの反対でしょ」と言われた。
確かに気が弱いはあまりよろしくない気はする。(それもまた私の思い込みかもしれないんだけども。なんでも表裏一体なのでね)
私の気の強さは自己肯定感の果てだと思う。
自己肯定感は高い方が良いと思うのだが(低いと生きづらい)肯定と言うか自己認定と言うか、ある意味あるがままの自分を認めて明らかにする(そして諦める)ことが自己認識力となり、自己肯定感の高さになると思う。
自己肯定感が高いからと言って、自分の事を何でもかんでも良いじゃん!と思ってるというわけじゃなくて、ただそうである自分を認めているというだけのお話なのである。
関係ないかもしれないけど、私はいろんなキャラクターの方と仲良くさせてもらっている。で、中には
「私あの人が怖くてお友達になれない」と言う人もいる。
私が付き合いをしている(割と仲良くしている)人の事を指してそういわれると、なんだか複雑な気持ちになる。
私が怖いと思うような人は、私と友達にはならないと思うので、そもそも怖い人がいるとも思えないのだけど概ね「怖い」と言われている方は
・率直な物言い
・忖度しない
・語気が強い
ように思われていることが多い気がする。
そういう人と付き合えないよと言っている方は、私から見れば
・柔和である
・時間にルーズである
・忖度する(SNSで言わないことが言っている事より多い)
気がする。
あくまでも私から見たら、という事だけども。
自己肯定感の話に戻ると、無自覚で自分を被害者の立場にもっていく人がいて、そういう人は大体自己肯定感が低いように思う。
前者の人は自己肯定感が高く、おおむね後者の人は自己肯定感が低いように思うのだ。
私もいうなれば気が強いし、自己肯定感が高い方だと思う。
自分大好きだし、ある意味できない自分も「しゃーないな」と思っている節がある。
本当ならば気が強いより芯があるとかそういう方向に行きたいものであるが、そうなるにはまだまだ柔軟性が足りないんだな。