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作品が愛されたら嬉しいけど、別に私自身はメジャーにならなくても良いと思う件
40過ぎて小説を書き始めて6年くらいが経過した。
本にした作品もそうでない作品もあるが、私は自分の書いたお話を愛しているし良いものだと思って世に出している。
(つたないとは思っているが)
書いているとメジャーになりたい、商業出版ベースに乗りたいのか?と考えることが定期的にある。
もちろん私が書くものが商業的に求められ、たくさんの方に愛されるのであれば光栄である。しかし作品が愛されることはあっても、書き手としての私は当然凡人であるし、作家業でご飯を食べていきたいとも思っていない。
(逼迫したりしてそうせざるをえなくなれば、どんな手段でも使うつもりだが)
もちろん野望として映像化されたら嬉しいなと思う事はある。その時は主役はこの人で~とか妄想したりする。
一度ショートフィルムが副賞の賞に応募したことがある。
その時の作品が「ダリヤ化粧品店」である。
賞に出したものの箸にも棒にも掛からなかったため、このお話は改稿してコピー本にし、その後印刷所にお願いして製本していただいた。
12000文字以下の短編小説である。
通販もしています。
話を戻すが、この話は自分でもいい感じに書けたと思うし、画像が目に浮かぶ作品とも言っていただけた。
嬉しいことだ。だけど賞には通らなかった。
本を作るときはいつも、たくさん売れたらいいなと思う。
私はささやかに同人活動を行っているので、私の思う「たくさん売れる」はせいぜい100部単位である。
それでも一次創作アカウントとしては贅沢な望みだと思う。
私が自分の作品を読んで欲しいと思うのは、この作品で癒されたり楽しいと思ってもらえたら嬉しいからで、それ以上でもそれ以下でもない気がする。
例えば小説を書ける私が素晴らしい!とか、あまり思わない。
(良いのが書けた!やった!ってのはある)
沢山の人に読んでもらえたから良いものだとか、判断基準はそれぞれだし一概には言えない。だけど書いた本人としてはたくさんの人に愛されたら嬉しい。(これも人それぞれで、たくさんの人に読まれたくないという人もいると思う。それはそれで正解だと思う)
捕らぬ狸の皮算用だが、たまに万バズとかしたらどうなるんだろう?と思ったりはする。したいかしたくないかは置いといて、何かの拍子に……という事はあり得ないことではないと思う。
想像してみるに――ほとんど本名で書いている身としては変に有名にはなりたくないなと思う。
しかしこの情報化社会において、完全に身を隠すのはよほど強い意志が無い限り難しいようにも思う。
昔美形のポップユニット「ブロス」と言う男子たちが歌っていた曲の歌詞に
「僕たちは有名になりたいんだ~(意訳)」というものがあった。
なんとアホな歌詞であろうか(そして君たちは有名じゃないか)と思ったわけだが、有名であるという事が=ステイタスであり、権力の形であった時代はあったし、今もフォロワーさんの数だったりでいろんなものが見えてくるという事もあり、フォロワーさん=味方ではないものの何らかの権力の形(影響を及ぼす母体としての数)ではあると思う。
それが増えることで、案件のお金(収入)が増えるのだと聞くと確かにありがたいものなのかもしれない。
しかし私に関しては本業もあるし、別にこの仕事を辞めるつもりは無い。
(定年、何なら延長しても働こうと思っている)
そう考えると、有名にならずともフォロワーさんが増えなくともいいではないかとも思う。
だいぶ話は飛んだが、いいものを自分で納得いく形で書けて、それが少数のお友達や読者さんに評価されるならそんな幸せな事は無いなと思う。
良い作品を作るためのモチベーションはコンスタンスな作品の売れ行きだったり、閲覧数だったり、イイねの数(スキの数)だったりするけども。
それが自分の思う範囲と乖離していないというのが幸せの基準であり、私の幸せの源だったりするので、今後もいいものを書きたいとは思うけど、過分な事は考えたくないというのが本音である。