アジサイは散らない。
うちの両親も叔母も、とにかく本を読む人である。
両親は二人とも工業高校卒で、叔母は勉強はしたくないから働きたいと言って中卒で就職した。学歴で言えば底辺に近いのかもしれないが、地頭はいいんだと思う。
その根拠は知的好奇心が強く、様々な本を常に読んでいるから。
そんな母が言っていたのが、
時代考証が成り立っていない作品は冷める。
という言葉だ。
時代考証――例えば、時代劇に江戸時代にはない文化が映っていた。なんてことも耳にタコが出来そうなほど聞かされた。
最近の時代劇は小道具に凝らないからとボヤいていた。
また、小説で言えばさらりと書かれたことがおかしい(作者が思い込みと手癖で文章を書いている)ことがある。
母が指摘していたことで面白いと思ったのは
「ある小説(時代物)に、アジサイが散っていたと書いてたんよね」と言ってたこと。
ちなみに植物好きはご存じでしょうが、アジサイは枝に付いたままドライフラワーのように(あんなにきれいじゃありませんが)朽ちていきます。
注射器で生気を抜かれたような枯れ方をし、花弁みたいに見えるがくもそのままの状態で分離しません。
ハラハラと散る花びらみたいなイメージで書いたのでしょうが、
その一つがあるだけで全てが嘘くさくなるのも小説。
知ったかぶりの書く文章というのが透けて見えたら読んでもらえなくなるんだなと痛感しました。
そもそも、読書好きは突っ込み好きかもしれない。
矛盾があると気持ち悪くてお話が読めなくなる、と言っていた母に小説を読まれるのは怖いなと思った次第。
まあうちの身内は私の小説は読まないのだけど(闘病記は読んでくれたけど)書いていることは知っている。彼らに読まれる時が来るならば、他の誰に読まれるより緊張しそうだ。
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