傷ついた私へ【親友は、いますか?その後】
学校の授業で親友について書かされ、私が書いた子が私を親友と挙げてくれなかった話を書いた。
(片思い親友だな)
授業の時それが分かって悲しかった、というのは記憶しているがその後の事をすっかり忘れていて今思い出した。
結局そのNさんが書いた相手の子は、Nさんの名前を書いていた。
羨ましいなと思った。
「誰の名前を書いたの」と聞かれたけど、私はNさんの名前を書いたことを黙っていた。
そりゃそうだ、言えるわけなどない。
先生はそんな子がいることを考えていたのだろうか。
私は最後まで、そのことを黙っていた。
今、親友が居なくてつらいとか思っている若い子がいたら
そんな事は気にしなくていいよ。と言いたいが、気になるものは仕方ないよとも言いたい。
これは愛してくれる人が欲しい、という問題とも近い気がする。
愛し愛される幸せを感じること、結婚して子供を産むこと、そんな事もこれと似た問題のような気がする。
愛し愛される相手がいないと完全体だとは認識されない問題。
それは本人が欲していなくても、勝手に欠落とされてしまう。
愛や恋や友情は一人では成立しない。
だけどそれが無いと人として欠落しているというのは
あまりに暴論だ。
不必要に他人とのかかわりを是とする教育は良くない。
学校に行けなくて疲弊している子供たちの中には、そんな事が辛い子もきっといるんじゃないかと思っている。