内観と読書、母親の影響について
今年は割と集中して本が読めています。読書して気になった言葉を書き留めていこうと思います。
1・自分は誰かに比べて恵まれていると思うことは、しなくても良い我慢をすることに繋がる。本来守られる権利が踏みにじられても、気付かなかったりする。自分の権利(やれることや可能性)に関して主張出来なくなる。
2・真実、陰謀があるとするなら一般人に簡単に見透かされるような物ではない。そのようなものは陰謀として粗末すぎる。
3・人を見て上か下かを言うことは、本来の充足から目を離している。
(事象の原因の仕訳が出来てない)
内観をスタートしてから気にかかった言葉たちです。(ちなみに一冊のミステリー風味の長編小説から三つとも意訳で抜きました。読まれた方は分かるかも)
1に関しては、内観研究所をスタートした10月から考えている事なのです。
欲を出し過ぎないように育てられてきたことに、かかわってくるのかなと。自分の望みを「贅沢」だと言われ、今あることに感謝をするよう言われ「分不相応」である望みを「己を知る」ことで諦めるように促される。
母親の何気ない一言の積み重ねが、上の考え方の発端になっているのですが、原因は私が若い頃に身の程を知らない借金をして(ローンを組んで)エステサロンに通っていたからこその戒めとなっていたという過去があります。
エステに借金してまで通う(一度に支払えないのに通おうとする)事は、言うならば「身の程知らず」であり母親ならば当然心配する事だと思います。(親になったらよくわかる)借金してブランド品を買いあさる行為に似ていますし。(当時のエステ契約は割とゴリ押しだったという事もありますけども。トラウマになった人も多いのではと推測)
じゃあどうしたらいいかと言えば、貯金をして自分にかけるお金を増やしてから好きな事をすればいいという事になります。実際私は20歳くらいでローンを組んでいたのを親に見つかったあとは、親に借金を立て替えてもらい、そのお金を2年くらいで返してからは無謀な借金はしなくなりました。
若いうちに勉強できて良かったです。
とまあそれは良いことなんですが、その時の「身の程を知る」という言葉をたまに曲解してしまうことがあります。(違う事象に同じ言葉を機械的に当てはめてしまう悪い癖)
例えば職場でパワハラやセクハラを受けた時、転職前のブラックな職場と比べて「今は恵まれているんだから、無かったことにすればいい」と思い込んで見過ごしてきた過去があります。20年ほど前でしょうか。
当事者がいなくなった現在(今はパワハラやセクハラは受けない環境)は多少職場で「女性だからしなくていい」と言われる業務に関してそれが「女であるが故の差別」なのか「業務としてしなくていいことだからやる必要性が無いのか」の区別が付きにくくなっているように感じます。
身の程を知るって何だろう?特に我慢をしているつもりもないのに心に引っかかっているのはいったいなぜなのか。
日常の言動と会話の引っかかりを一つずつほぐして味わうという行為をしております。
2に関しては、陰謀論との付き合い方のお話。
バカらしい事を声高に叫んでいる人がいたら、この考え方を思い出そうと思います。その上で自問自答。
3は「あの人よりマシだから自分は大丈夫」という考え方は、本当に大事なことを見過ごすし言い訳してしまう自分を作り上げる悪癖ではないかと。
誰かよりお金持ちだったら幸せ? →いいえ(そこに有るもので幸せかどうかは私が決める)
誰かより本が売れたら幸せ? →いいえ(それよりも届いた気持ちに喜びを感じる)
体重が減っても、お金が稼げていても、自分が幸せだと思えないのなら原因がぶれているのかも。
「○○(ブランド物や高級品など何でもいいですが)を手に入れたら幸せ!(手に入れられない私は不幸)」
それ、本当?
賞を獲得したら幸せになれちゃうの?
前にレポした内観心身美のイベント参加の感想でも書きましたが、自分の気持ちを誠実に言葉にし、それを受け取った人が感動したり幸せになったり、勇気が出たりと何らかのポジティブな影響が出たら嬉しいなと私は感じています。
ポジティブな未来を自分で描くことが出来る人が増えるような作品が書きたいんだなと、改めて感じました。