私の幸せ、家族の幸せ。
5月31日・日曜日、くもり。
就活をしていた時期から一年少し経ち、時間の流れは早いものだなあと感じる今日この頃です。
学生生活を終えて社会人として働き始めるに際し、地元に残るのか、あるいは地元・親元を離れて暮らすのか、といったことを悩む人は多いのではないでしょうか。
私自身、既に大学進学とともに地元関西を離れて上京していた身でしたが、大学卒業後に地元へ戻るべきかについてとても悩んでいました。
結果的に私は東京で社会人生活をスタートさせることとなったのですが、その選択に納得感をもって踏み切れたのは、悩んでいた当時、家族と本音で向き合い、対話することができたおかげでした。
10年、20年、あるいはさらにもっと先の将来を考えたときに、家族とのかかわり方がどうあるべきかや、自分自身が望む将来の生活像といかに折り合いをつけるかといったことについては、人によってさまざまな考え方があるでしょう。
そうした問いに対して私自身が現時点で出した答えと、その過程で家族と対話してきたことについて整理し、改めて自分なりの覚悟を言語化しておきたいと思います。
複雑な家庭事情
私が悩んでいたのには、複雑な家庭事情が背景にありました。
イライラと声を荒げる父、むせび泣く母、無力な子どもたち。
それが幼少期からの家庭での記憶です。
父が「言葉のDV」と診断され、カウンセリング治療を受けつつ両親の別居生活が始まったのが今からちょうど4年前。
意欲的に治療に取り組みながらも罪悪感に苦しむ父、ときどきフラッシュバックを起こす母と妹。
それでも第三者の力を借りながら前向きに生まれ変わろうとする家族を、長男としてそばで支えていくべきではないかということは常々思っていました。
一方で、今すぐ地元へ帰ることを選択したくない私自身の問題もあり、その両方の相反する思いの間で強い葛藤が生まれたのです。
私自身の事情とは、複雑な家庭環境によって歪められてしまった私の人格形成にかかわる問題でした。
自分の人生を生きていきたい
家庭内に時折走る緊張感を、私は子どもながらに敏感に察知していました。
そして、とにかく"お利口さん"でいないといけない、親の手を煩わせてはいけないということを無意識に課して育ってきたように思います。
本音を自ら抑える習慣がつき、自分で自分の本心がわからなくなっていく。
自分は何が好きで、何をしているのが幸せなのかがいまひとつ見えてこない。
私はいわゆる、アダルトチルドレンだったのだと思います。(あるいは今もまだそうなのかもしれません。)
「この家にいたら自分の人生を生きていけない」
東京の大学に進学することを決めたのはそんな思いがピークに達したときでした。
自分自身の幸せとは何なのか、その答えを探すために半ば逃げ出すかのように親元を離れて一人暮らしを始めたのが今から5年前のことでした。
きっかけを掴んだ大学生活
家族と距離を取ったことで、自分のやりたいことに時間を割いたり意識を向けたりしやすくなりました。
大学生活の中でいろんなきっかけを得られ、就活期になってなんとか「自分はこういうことしているのが好きかも」と思えるものが少し見えてきた。
希望の光が差してきたような思いでした。
その一方で、やっと小さなきっかけのようなものを掴んだに過ぎないなと。
本当に自分の人生を踏み出すのはここからなんだという思いもありました。
こんな中途半端な状態で家族の元へ戻ったらまた自分を見失ってしまうんじゃないか、という不安。
まだしばらくは自分自身にとっての幸せが何なのかをじっくり探求したい、という前向きな意思。
それらが入り混じったような感情だったように思います。
後ろめたさを振り払い家族と本音で対話することに
しかし、私はそのような思いを家族に話せないでいました。
家族はきっと戻ってきてくれることを望んでいる。
周囲からは家族を見捨てた不孝者として非難されるかもしれない。
そんなことを考えるととても言い出せなかったのです。
そうこうしているうちに、今の勤め先になる東京の企業の最終面接の案内が届きます。
とにかく今はこのまま突き進もうと思いました。
自分自身の人生なのだし、周囲には自ら選択した道をあとで理解してもらえればいいじゃないか、と。
しかし、そんな独りよがりな私をたしなめてくれた人がいました。
その人は、家族の事情もよく知った上で見守ってくれ、私にとっては親に言えないことも言える心から信頼できる大人の人です。
投げかけられた問いは私にとってとても厳しく、重い言葉のように感じました。
しかしそれは、今すぐ家族の元に帰ろうとしない私を叱るための問いかけではありませんでした。
「まず、きちんと話をしなさい。あなた自身の人生がうまくいったとしても、それは家族の犠牲の上に成り立つものになるかもしれない。いま向き合わなければあなた自身もきっと後悔する。あなたは家族のためにどういう生き方ができますか?」
ハッとさせられるような思いでした。
私はまた逃げようとしていただけだったのです。
自分自身がこの先うまく生きていけたとしても、その裏で家族が不幸になっていたら、私の人生は幸せなものとはいえない。
かといって自分の人生を犠牲にしたいわけでもないし、私が家族の元に今すぐ戻れば家族を幸せにできるとかそんな単純な話でもない。
それまで私自身の幸せと家族の立ち行きをどこかトレードオフのように考えてしまっていたけれど、私にとってはどちらも捨てることのできない大切なものだった。
だったら、私自身の幸せのために、家族のために、自分には何ができるのかを考え続けていくしかないのではないか。
そうして自分が守りたいものを再認識したことで、家族と向き合う決心をすることができました。
母からの後押し
少しずつ自分のやりたいことが見えてきたこと、
まだもう少し東京にいて自分にとっての幸せが何なのかをマイペースに探求していきたいと思っていること、
家族のことを忘れたわけではないし自分にできることはやっていきたいと思っていること。
それらをすべて自分の口から伝えました。
静かに話を聞いてくれた母からは
「あなたが幸せでいてくれるならそれでいい。そばにいたらきっとまたあなたに甘えてしまうから、私たちにとっても今はこの距離感がちょうどいいのかもしれない。」
そんなことを言ってくれました。
これまで思ってきたこともいろいろと話してくれました。
不憫な思いをさせてきたことを申し訳なく思ってきたこと、
それでもいつも私の幸せを願ってくれていたこと。
また、母がどれだけ体を張って私のことを守ってきてくれたかも自分なりに深く受け止めることができたように思います。
私自身が幸せになることがきっと母の想いに報いることになるし、私のことをずっと守ってきてくれたこの人を、今度は自分が守っていきたいという気持ちにもなりました。
因縁の父にはじめて本音をぶつけて・・・
一方で父とは、それまで一度も自分の本音を話したことがありませんでした。
恨むような気持ちはなかった。
けれど、依然として相手を圧迫するようなコミュニケーションの取り方をしてくることなどがあって、私はそれが本当に嫌だった。
家族として父のことも助けていかなくてはという思いはあった。
けれど、こんなもやもやを抱えたままでは素直な気持ちから父の力になりたいとは思えない。
そもそも対話すらまともにできないかもしれない。
そうしてまず私は、これまで抱えてきた気持ちを父に伝えることにしました。
幼少期からこれまで自分がされて嫌だったこと、
抱えてきた生きづらさ、
それでも家族として力になりたいと思っていること。
震えながら絞り出す言葉を父なりに最後まで黙って聞いてくれて、そのあとのことはあまり覚えていません。
私が抱えてきた思いをどこまで理解してもらえたのかがわからなくて、思っていたよりもすっきりしなかったのが正直なところです。
ですがそれ以降、父が私との関わり方を変えていこうとしてくれていることは折々に伝わってきました。
また自分自身も、ここをスタートに少しずつ対話を続けていけるといいのかなという気持ちにはなれました。
向き合ってみてよかったと思うこと
①互いの意思と期待の擦り合わせ
家族と本音で向き合ってよかったことはこれに尽きると思います。
私が家族に伝えたことは、
もうしばらく離れた場所でがんばっていきたいこと、今すぐ地元には戻れないこと、そしてそれでも家族の力にはなっていきたいという私自身の意思(~したい/~したくない・できない)であり、
そんな自分を信じてほしい・理解してほしいという相手への期待(~してほしい/~してほしくない)でもありました。
家族は家族なりの想いや私自身に期待するところはあったかと思うけれど、本音で対話をすることで、互いの意思や期待の間で折り合いをつけることができたのだと思います。
また、一緒に話し合って導き出した答えだからこそ互いに納得感をもつこともできました。
②義務感から意志へ、期待から信頼へ
ほかにも私自身の心境には大きな変化がありました。
それまでの私には、「家族を支えなければならない」といった義務感に縛られている感覚がありました。
しかし、私の幸せを願ってくれる家族の想いに触れたことで、それに応えるように自分自身の強い意志として家族の力になりたい、そう心から思えるようにもなりました。
そして、対話をする前までは家族の期待を背負っているかのような重圧を感じていたけれど、いまは家族が私のことを信じて待ってくれていることが前を向いて生きていく力にもなっています。
③親以外の人間関係におけるスタンスへの影響
これは主に父と対話しようと決心したきっかけでもあるのですが、どうやら親との関係性がほかの人との関わり方にも強く影響するようなのです。
私の場合、家庭において自分の本音を抑えたり顔色を窺って必要以上に気を遣いすぎたりする癖がついてしまっていました。
そして、親以外の人との間でも同じように自分の行動にブレーキをかけてしまい、うまく自己主張ができないのです。
あるいは、相手のために何かしたいと思っても、喜んでもらえるのだろうかと不安になって何も行動できなかったりすることがよくあります。
そんな自分を本気で変えたいとは思ったけれど、なかなかすぐには変われないものです。
それでも自分にとって最も苦手な人間関係だった親との間で本音を言葉にできたことから、人前で自分を表現していくことが前よりも怖くなくなってきていることは実感しています。
「家族なんだから…」なんて無理に思わなくていい
私はこの投稿を通じて親孝行の大切さを書きたいわけではないですし、私自身とくべつ家族思いな人間であるとも思いません。
ただ、家族に対して自分にできること・意思の赴くところを精一杯やっていくことが大事なんじゃないかということはとても考えさせられます。
逆にいえば、「家族なんだからもっと支えてあげなくちゃいけないのに・・」「親孝行できていない自分が情けない」だなんて自分自身を責めるべきではないとも思います。
家族・親子といった関係性にかこつけて自分にできないことばかり無理に求めても続かないし、しんどいだけだからです。
だから、できないことはできないって言ったらいいし、力になりたいと心から思えるようになれたらそのときは全力で駆けつければいいんじゃないかなと。
互いへの期待ばかり膨れ上がってしまわないために
しかし、だからと言っていたずらに距離を取り続ければいいとも思いません。
親は親で子どもに期待してしまうことがある。
子は子で親から何か期待されているように思えて後ろめたく感じつつ、「私のことを何もわかってくれない」という気持ちになったりもする。
殊に家族との関係においては、「親なんだから/子どもなんだから~してもらって当然」という感覚に陥りやすいものです。
距離を取り続けていれば、そういった相手への期待ばかりが膨れ上がってしまって、互いにもやもやが募るばかり…
だからこそ本音で向き合い対話することが大事なのではないかと私は思いました。
もちろん、対話をすればすべてが解決するわけではないでしょう。
どうしたって折り合いをつけられない領域が見えてしまったり、感情的になってしまい互いを理解し合えずに話し合いが終わってしまったりするかもしれません。
しかしそれならそれで、少なくともいまは互いにわかり合えない、そのことがわかっただけでも向き合った意味はあるんじゃないかと思います。
このあたりはまだ私にとっても未知の領域なので、いろんな人の体験や意見を聞いてみたいところです。
これから取り組んでいきたいこと
それでは、私自身はこれからどうしていきたいのかということを最後に書き残して締め括りたいと思います。
● これができていれば自分は幸せだと思えるものをたくさん見つけて必ず地元へ帰ること
いつになるのかは正直わからないけれど、住む場所がどこであれちゃんと自分の足で自分の人生を歩んでいけそうだと思えたとき、私は必ず地元へ帰ってくるということを家族に約束しました。
そのためには仕事でも仕事以外のことでも、楽しいと思えたときや幸せだと思えたときを一瞬たりとも逃さず忘れないでいたいし、そのときの感情から自分自身のいろんな一面を発見し、表現していけるといいなと思っています。
自分はもう大丈夫だよ、そう心から笑って言えるようになったとき、今度こそ家族のそばへ駆け付け、できる限り力になりたいです。
● 自分から家族とのコミュニケーションを図り対話し続けていくこと
一度話し合ったからそれで十分、というわけにはいきません。
刻一刻と状況が変化していき、以前に話したときにあった前提は崩れていくかもしれない。
それに、どうしたって見たくない現実からは目を背けてしまうものだし、自分が解釈したいように現実を解釈してしまうことだってある。
だから、その時々において(ここでは詳しく触れませんでしたが妹も含めて)家族それぞれがどんな現実の中で生き、どんなことを思い日々過ごしているのかを少しずつでも共有し合っていきたい。
そして、離れていても互いのためにできることはないかと考え工夫していけるといいのかなと思っています。
自分から、というのが本当に曲者でして。
私は友人にすら用がなければ滅多に自分の方から連絡を取らないくらいめんどくさがりなのですが、、、
大学生の頃から続けている毎月の帰省とは別に、家族にはもうちょっと自分から連絡取るようにしていきたいです。
覚悟というよりは単に自分の意思に従って生きていくことを大切にしたい気持ちなのかもしれません。
それでも、果てしなく遠い道のりに思えたり、いま自分はここにいていいのだろうかという気持ちになったりして、心細くなるときはあります。
何だかんだと自分のことで精一杯になって家族のことにまったく目を向けられなくなったり、逃げてしまったりすることもあります。
そんな中で、一年前の自分の素直な気持ちをずっと忘れないでいられたらと思い、また、私が選んだ生き方を友人などにちょっと知っていてもらえるだけでも心が軽くなるかなという気持ちもあって今回の投稿をしてみました。
冗長な文章になってしまいましたが、最後まで読んでくださりありがとうございました。
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