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絵はがき大好き 樺太方面

 観光地の土産物としての絵はがき(ポストカード)は絶滅に瀕しており、今日新たな絵はがきを探すのは難しくなっています。

 自分の大好物は昭和の「観光セット絵はがき」なのですが、戦前のモノクロの絵はがきも大変味わいがあります。


 画像に示すように、説明は写真とは別の活字で右書きです。写真部分は「コロタイプ印刷」という写真製版特有の網点がないものです。宛名面は右書きで「郵便はかき」(濁点がありません)、宛名面の通信文のスペースは3分の1です。1918年(大正7年)4月からは2分の1に緩和され、1907年(明治40年)3月までは宛名面に通信文は書けなかったので、明治末から大正初期ということがわかります。

 下記のサイトがわかりやすく年代推定について説明されています。

 戦前は日本の領土だった朝鮮半島・南方諸島、そして写真に取り上げた樺太などの絵はがきも残っています。

 写真は「日露境界石標」です。2つ並んでいるのではなく、同じものを日本側・ロシア側からそれぞれ撮影したものが並べてあります。

ロシア帝国の紋章が標石に刻まれています

 この国境は当時日本領の南樺太とロシアとの間にありました。日露戦争の結果南樺太が日本の所有となり、北緯50度線がその境界となりました。石標の設置は1906年(明治39年)から行われたそうです。写真のタイプの石標は4個作成され、さらに補助用に中間標石と木柱が建てられたそうです。

 この標石はどこに設置されていたのか、当時実際に観光で行くことがあったのでしょうか。それとも絵はがきで見ることしかなかったのか。興味がつきません。

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