
なんの生産性もない会話で、朝からすごい癒された話
幼稚園の送り迎えを毎日していると、時々知らないお母さんと話す機会がある。
今朝がそうだった。
幼稚園に行きたくないとぐずる3歳息子を、車から降ろして抱きかかえ、5歳娘に片手で鞄と帽子、水筒を渡して身に着けさせ、門まで歩く。
泣きながら先生に抱っこされる息子と、うんざりした顔の娘の後姿を見送っていると、一部始終を見ていたであろう見知らぬお母さんと目が合った。
同情のまなざし。
これは会話する感じか?
とっさに言葉が出てこず、とりあえず苦笑いする私。
「幼稚園行きたくないって泣いてたんですか?」と話しかけてくれる。
いい人だー!話しかけてくれたー!
「そうなんです、やっと慣れてきたと思ったんですけど、長期の休み明けはやっぱりちょっと悲しくなっちゃうみたいで…」と返すと
「休み明けはなりやすいですよね。本当にお疲れさまです…!」
優しい。優しすぎる。お疲れ様なんて言ってくれてありがとう。
「もう家から出るのが大変で。今日はまだ早い方だけど、時間ギリギリになっちゃうことも多くって…」嬉しくなって聞かれてもないのに話を広げちゃったりして。
そういえばさっき娘が、隣の組の〇〇くんのままだ!って言っていたなと思い出し、
「娘と一緒の…年中さんのママですか?」と聞いてみる。
「あ、そうです。〇〇の母です。えっと…?」
娘の母であることを名乗り、ついでに手をつないでいた弟くんの年齢を尋ねてみると、春から年少さんとのこと。
息子は今、満3歳児クラスなので、春から一緒の年少さんですね!よろしくお願いします!と言ったところで駐車場にたどり着き、じゃあまた~と車に乗り込んだ。
完璧・・・!
ニヤニヤしながら帰路につく。家事をしている間も何度も会話を脳内リピートする。そんなに変じゃなかったはず。自然に会話できたし、顔見知りのお母さんが増えた。
これで次の送迎であった時も「あっ、こんにちは~」とにこやかに手を振れるだろう。
知らない人と、なんとなくいい感じに会話ができただけ。
ただそれだけなのに、すごく嬉しかった。
少し緊張もしたけれど、コミュニケーションを楽しめたという事実が、自尊心を刺激したのかもしれない。
全能感…とまではいかないけれど、私やるじゃん♪などと調子に乗ったことを考えていい気分で一日を過ごすことができたのだった。
コミュニケーションで嫌な気持になることもあるけど、当たり障りのないコミュニケーションでこんなにも癒されるものなんだなぁ。
いや、私に共感してくれて、労をねぎらってくれた〇〇くんのママが素晴らしいのか。
内容のない世間話。何の生産性もない会話。
そんなことに時間を使うなんてあほらしい、意味がないと思う人もいるかもしれない。
しかし何かを解決するような、情報を得るような、意味のある会話だけかコミュニケーションではないはずだ。
共感したり、お互いを尊重する姿勢を見せ合ったり、表情を見ることだって立派なコミュニケーションなのである。
立派な大義や内容はないけれど、人とのつながりを感じられる会話に、今朝私は癒された。
またお話しできるといいな。