ぼくは受験生活を思い返す

 受験シーズンである。この時期は電車の中で受験生らしき高校生をよく見かける。どうしてぼくがその高校生たちが受験生だと分かるのかというと、彼ら彼女らが受験の参考書(表紙に「英語」とか「世界史」とか書かれてあるやつ)を真剣な顔で読んでいるからである。大学受験をするつもりがないのに大学受験の参考書を読むような変わり者は日本に0.001%未満しかいないはずなので、彼ら彼女らは間違いなく受験生だろう。

 ぼくがこれまでの人生で経験した受験は高校受験と大学受験である。どちらも一般入試だった。この春にぼくは大学4年生になる予定だが、いまのぼくはもう二度と受験をしたくない。学力が低下していて合格できなさそうだからというのもそうだが、あのプレッシャーに再び耐える自信がない。

 ぼくは勉強が嫌いってわけではないと思う。小学生の頃から嫌いではなかったし、いまでもレポートや論文を書くのは苦手ではない。専攻分野の本や文献にあたるのはむしろウキウキするし。ぼくが嫌いなのは勉強ではなく「試験」である。この世から試験がなくなれば、ぼくはもっと楽しい気持ちで勉強できるのにと思う。どんなにその科目が大好きでも、「○月×日に試験がある」と意識すると、ぼくの心はプレッシャーに襲われて憂鬱になる。そのことを学科の友人の香川に話したら「でも試験がないと学生は勉強しないからね」と言い返されたけど、ぼくの場合は例外なのである。ぼくは試験がないほうが熱心に勉強するタイプの学生なのである!(本当か?)

 とどのつまり、ぼくはプレッシャーに弱い人間なのだ。もっとも、プレッシャーに強い人間なるものがこの世に存在するのか知りませんけどね。プレッシャーに強いっていうのは、そもそもプレッシャーを「プレッシャー」と感じないってことだろうし。……いや、どうかな? プレッシャーを「プレッシャー」と感じつつも「プレッシャーがあるからこそおれは頑張れる!」と意気込む人間がいたりするかもしれない。……だが、待てよ。そういう人間は「プレッシャーに強い人間」というよりは「プレッシャーをバネにする人間」と定義されるべきないだろうか?(さて、ぼくはここまで何回「プレッシャー」と言ったでしょう?)

 プレッシャーに弱いはずのぼくがどうして大学受験のプレッシャーを乗り切れたのかというと、崎山先生がいたからだ。……はい、「崎山って誰?」という疑問にいまお答えしますね。崎山先生というのは、ぼくが通っていた近所の個別指導塾の講師である。ぼくはその個別指導塾に中学1年の時から週2で通っていた。本来は高校受験対策がメインの塾だが、ぼくは高校生になってもその塾をやめずにずるずると通い続けていたのである。高校生なのに通っている生徒なんてぼくぐらいしかいなかったと思う。

 高校2年の秋、塾の室長から「今日から金曜日はこの先生で」と割り当てられたのが崎山先生だ。新しく入ったアルバイトの男子大学生で、担当科目は英語だった。……もっとも、高校生になってからぼくが塾で受講していたのは英語だけだったんですけどね。

 崎山先生はイケメンだった。濃い系の顔立ちで、鼻の脇にあるほくろがまたチャーミングだった。ぼくらが出会った頃の崎山先生は大学1年生。一浪しているので年齢はぼくより3歳上。普段は目つきがクールでちょっと怖いぐらいだが、笑うと結構かわいい。怒った時の顔もかわいい。こんなにかわいい顔を見れるなら、また来週も宿題やってくるの忘れようかと思ったぐらいだ(悪い生徒でごめんなさい)。

 バイトの塾講師の中にはやる気が微妙なひともいたりするが、崎山先生はぼくに対して熱心に指導してくれた。崎山先生にとってぼくがその塾で初めて受け持つ生徒だったからかもしれないし、浪人経験があるだけに大学受験に思い入れがあったからかもしれない。崎山先生は自分が浪人生時代に通っていた有名予備校「T」でも掛け持ちでバイトしていたのだが、その「T」の専用問題集をわざわざコピーして「これも家でやってきて」とぼくに渡してきたりした。ぼくとしては宿題が増えていい迷惑だったし、「T」の問題集のコピーをよその塾の生徒に渡す行為は就業規則的にいかがなものかと思ったが、まあ、ぼくのことを想っての行為なのでありがたかった。

 崎山先生からは「T」の問題集のコピーだけじゃなくて、接続詞の働きだとか補語の働きだとかをまとめた手作りのプリントももらった。手書きのものもあったし、Wordで作ったらしきものもあった(暇だったのか?)。提出される宿題の量が日に日に増えていって、その度に「復習が足りない」と叱られて、ぼくとしては正直うんざりしかけた時期もあったのだが、手作りの問題集を渡された時はさすがに感動した。明らかに塾講バイトの領域を超えている。ぼくがその問題集のページを解いて提出すると、崎山先生は赤ペンでマルバツをつけ、青ペンで解説を書き込んで返してきた。その解説文がめっちゃ細かくて、ぼくはこの先生に目をかけられているなと感じた。

 うら若きゲイの高校生が、熱心に勉強を教えてくれるイケメン大学生に惹かれないわけはない。さすがに恋愛感情までは抱かなかったが、ぼくは毎週金曜に崎山先生に会えるのが楽しみでしょうがなかった。休憩時間に雑談をするのも楽しかった。崎山先生はまじめな性格なので、ぼく(会話の中で雑にボケる)の扱いにちょっと困っているようすでもあったが、まあ、基本的には「こいつ面白いやつだな」みたいな感じで笑顔を送ってくれていた(笑顔というより苦笑いだった説あり)。……うん、さっき「恋愛感情までは抱かなかった」と書いたが、やっぱりそれは嘘で、少しは好きだったかもしれないな。「もし崎山先生から告白されたらどうしよう。ぐふふ」ぐらいのことを妄想したことはある。それは認める。

 緊急事態宣言のせいで会えない日々もあったが、その間も、ぼくは崎山先生から提出された宿題にきちんと取り組んだ。だって、崎山先生には嫌われたくなかったからね。それ以降はマスク姿の先生を見ることしか許されなくなったが、休憩時間にペットボトルの水を飲んでいる時なんかは、崎山先生のマスク下をきっちりチェックした。ちゃんと鼻の脇にほくろがあるままだなとか、今日は髭がちょっと伸びてるなとか。ええ、ぼくは変態です。特に弁解の言葉はありません。

 崎山先生は滑り止め大学の候補リストも作ってきてくれた。これこそ間違いなく時間外労働である。ちゃんとした予備校だったらいざ知らず、ぼくの通っていた小さな個別指導塾(高校受験対策メイン)でそんなことをやった講師なんて崎山先生が初めてだろう。ただ、滑り止め候補リストを作ってきてくれたとはいっても、崎山先生は「滑り止めの受験は本番前の予行練習だから」と言っていて、ぼくが第一志望の大学に合格することを強く望んでいるようだった。ぼくは崎山先生の期待に応えたいと思った。

 ぼくは第一志望を大学入学共通テストと大学独自試験の「併用型」で受験することにした。いよいよ共テが近付くと、崎山先生は湯島天神の学業成就鉛筆をくれた。鉛筆の側面に格言が入っているやつである。5本セットのうちぼくにくれたのは2本だけだったので、ぼくのためだけに特別に買ってきてくれたってわけではないのだろうが、でも、その2本に書かれてある格言は入試直前のぼくにピッタリのものだった。

 「自信は努力から。」
 「あせらず、たゆまず、おこたらず。」

 ぼくはプレッシャーに弱い。自分の能力が試される時に平常心を保つのが難しい。お腹が痛くなったりはしないが、パニックと憂鬱が同時に訪れるような感覚になってしまう。大学入試当日もそんな感じになりかけたが、ぼくは崎山先生からもらった学業成就鉛筆の格言を脳内でリフレインして心を落ち着かせた。「自信は努力から」「あせらず、たゆまず、おこたらず」。その鉛筆を渡された時に崎山先生から言われた言葉も思い返した。「これまで勉強してきたんだから自信を持って」「難しい問題が出てきても慌てるな。解けるはずの問題も慌てたら解けなくなるから」。試験時間中は崎山先生が一緒にいてくれているようで心強かった。

 共テのほうはともかく、大学の独自試験は思ったよりややこしくて、全然手応えを感じなかった。試験終了後、「これは落ちたな。崎山先生に申し訳ない」と思いながらトボトボとキャンパスをあとにしたが、実際にはぼくは第一志望に合格することができた。

 ぼくは妙なところでシャイだったりする。合格発表後の金曜日、塾へ行って、崎山先生から「(合否の結果は)どうだった?」と聞かれた時も、本当なら満面の笑みで「合格しましたー!」と雄叫びを上げるべきなのだろうが(近所迷惑です)、なんとなくそれが恥ずかしかったので、ぼくはわざと超ローテンションの小声で「……受かりました……」と答えた。崎山先生にはぼくが「落ちました」と言ったように聞こえたらしく、「……そうか……(滑り止めの大学名)には行くつもりなの?」と切なげに聞いてきた。誤解されているのが分かったので、ぼくは急いでテンションを通常モードに戻し、「……いや! 違う、違う、受かった! 『受かりました』! (第一志望の大学名)に受かった!」と改めて報告した。崎山先生は一瞬絶句したあと、笑顔になって、「暗い感じでボソボソ言ってたから『落ちました』って言ったのかと思ったわ! なんだよ!」とツッコんできた。

 これである。崎山先生のこの笑顔を見るためだけに、ぼくは大学受験の勉強を頑張ってきたのである。ぼくという人間には中身がない。信念も目標もない。だから、「自分のために」と思うと何にもできない。だけどその分、「好きなひとのために」と思うと何でもできる。崎山先生は教え子の指導に熱心だった。崎山先生的には教え子が第一志望に落ちるよりは受かったほうがうれしいだろう。だから、ぼくは第一志望に合格するために頑張った。頑張ることができた。ぼくが受験のプレッシャーに押し潰されることなく、大晦日や元日にも学習机に向かったのは、第一志望に受かって崎山先生に喜んでほしかったからだ。崎山先生がぼくの先生じゃなかったら、きっとぼくは受験勉強のモチベーションを保つことができなかった。

 ぼくがその個別指導塾に行くのはその日が最後になった。そりゃそうだ。大学受験が終わったのだからもう通う意味がない。一年半の間、崎山先生からは毎週宿題をいっぱい出されたが、この日ばかりはさすがに宿題は出なかった。授業日報の「今日の宿題」欄に、いつもなら「英会話P.280~291、B-12、B-13(自習用)」とか「リードP.138~148、文法復習、プリント」とか細かく書かれるはずなのに、この日は「なし」を意味する横線(「────」)が引かれるだけだった。それを見ながら、ぼくはこの塾を卒業すること、そして崎山先生と別れることを実感した。

 塾の室長からは「いつでも遊びに来て」と言われたが、そう言われて本当に遊びに行く馬鹿はいない。ぼくはその日を最後に塾に行っていない。近所なのでたまに塾の前を自転車で通るし、その時に軽く室内を覗き込んでみることもあるが、崎山先生の姿を見かけたことはない。大学1年のある日の学校帰り、近所の駅で崎山先生に似ているひとを見かけたけど、その時はすぐに見失ってしまった。あの時に人混みをかき分けて声をかけに行けばよかったかなあ。「崎山先生、お久しぶりです! 覚えてますか? (塾の名前)の生徒だった(ぼくの名字)です!」って。「おかげさまで第一志望の大学に入って、いまその大学からの帰りなんです!」って。まあ、そもそもあれが本当に崎山先生だったかどうかは不明なんですけどね。

 このnoteを書いていたら懐かしい気持ちになって、さっき、自宅の押し入れにしまいっぱなしにしていた塾用のかばんを久しぶりに引っ張り出した。中を開いてみたら、崎山先生から当時渡されたプリントやらコピー用紙やらが出るわ出るわ……。高校2年の秋から3年の冬にかけて、ぼくはあのイケメン塾講師にだいぶ勉強させられていたようである。

 崎山先生の手作り問題集をペラペラしていたら、ぼくが高校3年の夏に解いたらしいページが目に入った。「~するたびに(接続詞)」を英語で何と言うかという問題である。「each time」という解答の隣に、崎山先生が青いペンで例文を書き込んでいる。「Each time I see you, I fall in love with you.(会うたび私は君が大好きになる)」。……んー? これってもしかしてぼくへの愛の告白だったりする?(違う) うわー! 崎山先生、遠回りな告白に気付いてあげられなくてごめんなさい!(絶対違う)

 「旅の目的とは到着することではなく旅そのものである」的な格言を聞いたことがあるが、それでいくと、ぼくの大学受験の目的は「合格すること」というより「受験生として生きること」にあったのかもしれない。プレッシャーを感じながらも受験生活を送ることそれ自体が、ぼくが一般入試で大学受験をしたことの意味だったのかもしれない。

 ぼくにとって受験生活の想い出の9割9分は、崎山先生との想い出である。「自信は努力から」「あせらず、たゆまず、おこたらず」。プレッシャーを感じた時、いまでもぼくはあの格言を思い出して自分の心を落ち着かせる。それと同時に崎山先生の顔も思い出す。最後の授業の時にLINE交換をお願いすればよかった気もするが、まあ、縁があればいつかどこかで再会するだろう。フルネームも大学名も知っているから探そうと思えば探せそうだし(ストーカー的発想)。もし再会したら、ぼくは「あの格言、いまでも重宝してますよ」と告げることにしよう。そして「All the time I remember you, I fall in love with you.」と告げることにしよう。「Each time I see you, I fall in love with you.」に対する3年半越しの返歌である。まあ、それを言われたところで向こうは何のことだか分かりゃしないだろうけどね!

「~するたびに(接続詞): each time」を用いた例文

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