ぼくと彼女はロバート・キャパ展へ行く

 ぼくと彼女はロバート・キャパ展へ行く。正確には『没後70年 戦争を越えて―写真家ロバート・キャパ、愛と共感の眼差し―』展である(長い)。今年の春休み、ぼくは由梨と一緒に東京富士美術館の『源氏物語 THE TALE OF GENJI』展へ行った。その時に東京富士美術館の次回の企画展はロバート・キャパ展だということを知って、ぼくらは「次もまた来よう」ということになって、それで予定通りに行ってきたってわけである。

 実はぼくはロバート・キャパにはひとかたならぬ思い入れがある。小学6年生の時に学校の図書室に新入荷した集英社の学習漫画『世界の伝記 NEXT ロバート・キャパ 戦争の悲惨さを最前線で写したプロカメラマン』を読んで以来、ぼくはロバート・キャパのファンなのだ。

 なんだそんなことかと思われるかもしれないが、いや、ぼくにとっては結構重要な話なんですよ。というのも、ぼくが『世界の伝記 NEXT ロバート・キャパ』を手に取ったのは表紙に描かれたロバート・キャパのイラストに惹かれたからで、その時にぼくは自分がゲイであることを本格的に自覚したからである。そういう意味で、ロバート・キャパこそはぼくの初恋のひとだと言えよう。リアルの初恋のひとは高校の同級生の須川くんですけどね。

改めて見ると須川くんに似ていなくもない

 まあ、『世界の伝記 NEXT ロバート・キャパ』の中にも写真が載ってますけど、実際のロバート・キャパはこのイラストみたいなシュッとした系のイケメンじゃなくて、もう少しふっくらした色男系の男なんですけどね(ぼくはそっちのルックスには興味ない)。

 だが、ぼくは『世界の伝記 NEXT ロバート・キャパ』を読んでロバート・キャパの人物像や生き方そのものにも好意を持って、ロバート・キャパのファンになった。文春文庫の『ちょっとピンぼけ』も読んだ。撮った写真に衝撃を受けたとか大感激したとかいうほどじゃないんだが、でも、好きです、キャパ。写真展やってるなら行きたいです、キャパ。

 6月のある日曜日。JR蒲田駅のホームで由梨と待ち合わせ。この日は珍しくぼくのほうが先に到着したので、ベンチに座り、大田区立図書館で借りた『三島由紀夫のレター教室』を読みながら待つことにする。ちょっと読み始めたところで由梨を乗せた電車が到着。由梨がぼくを見つけてやってくる。なんだよ、もう少し遅れてきてくれてもよかったんだぞ。まだ1ページしか読み進めてないじゃないか!

 由梨から「先に着いてたなら連絡してくれればよかったのに」と叱られつつ、次の電車が来るのを待つ。車内でもベラベラと雑談を交わしながら、JR神田駅でJR中央線に乗り換えて八王子駅へ。蒲田駅からだと遠回りですが、ぼくらの通学定期的にはこれが最安ルートなのです。

 八王子駅到着。由梨に「今日は日曜だからバス乗り場が前回とは違うよ」と伝えられる。どうやら、JR八王子駅発東京富士美術館行きの路線バスは「平日」と「土・日・祝日」だと乗り場が変わるらしい。はあ。路線バスって難しいな。普段からバスに乗っているひとと一緒じゃなければ、ぼくは絶対に迷子になっていたと思う。

 西東京バス「創価大正門東京富士美術館行き」に乗車。車内は空いていてガラガラだ。ぼくらの前の座席で20代らしき男性2人が明らかに創価大学OBっぽい会話を交わしているのを気にしながら、ぼくは由梨の話にも耳を傾けて適当に相槌とコメントを返す。ぼくは聖徳太子の玄孫あたりの生まれ変わりかもしれない。

 えーと、もう1,500字いっちゃってるのでいい加減に東京富士美術館に到着します。券売機の近くの職員さんに由梨がLINEの画面(割引になるらしい)を提示してくれたおかげで今回も800円で入場できました。100円払わないといけないけどあとで100円返ってくるロッカーに荷物を預け、お互いにトイレに寄る(由梨は最初「わたしは大丈夫」と言っていたがぼくが「行っておいたほうがいいって!」と強く勧めたら結局行った)。

 エスカレーターを上がって、陽のあたる廊下を進み、企画展示室へ。前回行った『源氏物語 THE TALE OF GENJI』展は写真撮影禁止だったが、『没後70年 戦争を越えて―写真家ロバート・キャパ、愛と共感の眼差し―』展は写真撮影OKだ。そんなわけで今回は写真がいっぱいあるよ!(写真作品を写真で撮るって変な感じだが)

陽の当たる廊下
企画展示室の入口

 まず最初の部屋にあったのは、キャパのデビュー作であるトロツキーの講演の写真や、1930年代のスペイン内戦にまつわる写真だ。有名な「崩れ落ちる兵士」(1935年)の写真もここに展示されている。銃撃されている瞬間の兵士を写し取った臨場感あふれる写真で、この写真によってロバート・キャパは一躍有名になったが、実はこれはヤラセ写真なのではないかという噂もあるいわく付きの作品だ。まあでも、インパクトのある「名作」であることには違いない。

「共和国軍の兵士たち」(1936年)
「共和国軍兵士の死(崩れ落ちる兵士)」(1936年)

 空襲警報のサイレンを聞いて避難している母娘の写真も印象に残ったな。母親に手を引かれている少女のコートのボタンが掛け違っている。慌てて家を出たから掛け違ったということらしい。とはいえ、写っている人々からどこか「日常」の雰囲気を感じる写真でもある。ぼくは日本で暮らしてきて、空襲警報のサイレンなんて聞いたことがないが、世界ではこういう状況が日常風景となってしまっている地域もある。ぼくはこの写真から戦争が「非日常」と「日常」の両面を持っていることを改めて学んだ。

「空襲警報が響くなか避難所へと向かう人々」(1937年)

 ただ、キャパは戦争の写真ばかり撮っていたわけではない。第一次世界大戦と第二次世界大戦の狭間に、戦時下でないヨーロッパの人々の写真も撮っている。二番目の部屋で飾られていたのはまさにそういう写真で、街中で遊ぶパリの子どもたちだとか、ストライキの最中に百貨店の屋上で何やら談笑している従業員たちの写真だとかからは「平和」なムードを感じる。

「街中で遊ぶ子どもたち」(1936年頃)
「ストライキの最中、屋上のテラスに集まった百貨店ギャラリー・ラファイエットの従業員」(1936年)

 1939年のツール・ド・フランスを見物している人々を撮った写真もめちゃくちゃいい。普通のカメラマンだったら自転車を走らせている選手たちのほう、つまりは「レース」を撮ると思うんだけど、キャパはあくまでもそれを見物している庶民のほうを撮るのだ(しかも子どもたちメイン)。キャパは常に関心を「事象」よりも「人間」に向けている。一人ひとりの「人間」に向けている。

「ツール・ド・フランス出場選手のひとりピエール・クロアレックが経営する自転車販売店の前でレースを見物」(1939年)

 次の部屋へGO。第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦を撮った、やはり有名なキャパの作品を見る。「ブレているのが逆に臨場感を伝えていて素晴らしい」と評されているやつだ。写真を載せた『LIFE』1944年6月19日号も展示されていて(初出誌?)、ぼくはテンションが上がった。ぼくの将来の夢は雑誌を作ることである(雑誌もどきの冊子なら作ったことあるが)。

「オマハ・ビーチに上陸するアメリカ軍、Dデイ」(1944年)
『LIFE』誌(1944年6月19日号)

 フランスの都市が共和国軍に解放された時の写真も興味深かった。「ドイツ兵との間に子どもをもうけた罰として髪を剃られ通りを行くフランス人女性」と題された写真では、赤ちゃんを抱えながら歩く丸刈りの女性と、その女性を嘲笑する大勢の老若男女の姿が写されている。嘲笑している人々はものすごく楽しそうである。見世物を面白がっているといった感じである。ただ、ぼくはこの写真を撮ったキャパは、明らかに丸刈りの女性のほうに同情を寄せていると感じる。ぼくにはこの写真が「大衆の残酷さ」や「非道さ」を切り取った写真だとしか思えないのだ。

「ドイツ兵との間に子どもをもうけた罰として髪を剃られ通りをゆくフランス人女性」(1944年)

 「パリの解放を祝うパレードで戦車の上に座る男の子」と題された写真では、3~5歳ぐらい(?)の男の子が鼻をほじりながら戦車の上に座っているところが写されている。この写真、ぼくは学習漫画『世界の伝記 NEXT ロバート・キャパ』に掲載されていたのですでに見たことがあったが、今回が初見だった由梨は「これすごく好き」とひどく感動していた。

「パリの解放を祝うパレードで戦車の上に座る男の子」(1944年)

 次の部屋に移動。キャパが1938年の中国を撮った写真が展示されていて、ここでも由梨は子どもたちが写った写真に惹き付けられていた。この時にぼくは改めて思い出したのだが、由梨は子ども(特に笑顔の小児)が好きなんだよな。初めてのデートの時も笑顔の赤ちゃんが大写しになったクリアファイルを買っていたし。さすがにショタコンとかいうわけではないと思いますけどね……いや、どうなんでしょう……?

「雪の中で遊ぶ子供たち」(1938年)
「箸を持つ子ども、広東市近郊の孤児院」(1938年)

 ぼくが興味を引かれたのは、裸足で踊るウクライナの農場のカップルを撮った写真だ。1947年に撮られたものだという。戦争によって多くの男が殺されたため、若い男は少なく、娘たちは女同士で組になってダンスを踊ったそうだ。この写真の時から70年以上が経って再びウクライナは戦禍に見舞われているわけだが、どうしてこうも人類は愚かな歴史を繰り返さなければ気が済まないのか、ぼくは自分のことは棚に上げて空虚な気持ちになる。

「裸足で踊る集団農場のカップルたち」(1947年)

 さっきも書いたように、実はキャパは戦争の写真ばかり撮っていたわけではない。次の部屋では、アメリカにやってきたキャパが撮影した芸能人や文化人の写真が展示されていた。ぼく的にはめちゃくちゃワクワクするコーナーだ。ゲイリー・クーパーが丸木橋を渡っているのを撮った写真とかめちゃくちゃいいし(まるで映画のワンシーンだ)、『汚名』撮影中のアルフレッド・ヒッチコック監督とイングリッド・バーグマンのオフショットなんてぼく得でしかない。ちなみに当時キャパはイングリッド・バーグマンと恋仲だったらしいが、「おれみたいな戦場カメラマンと一緒だと幸せになれない」的なことを言って振ったらしい。

「映画『汚名』を撮影中のイングリッド・バーグマンとアルフレッド・ヒッチコック監督」(1946年)
「小川を渡るゲーリー・クーパー」(1941年)

 それから、スペイン内戦の時の写真だとか、中国の洪水の被災者の写真だとかを経て(ここでもやはりキャパが撮っていたのは「戦闘」や「災害」そのものではなく「人間」の写真だった)、『ロバート・キャパと日本』と題されたコーナーへ。キャパは1954年に毎日新聞社の招きを受けて来日していて、その時に日本人の写真をいっぱい撮っていたのだ。

 ふつう、展覧会や美術展では入口付近が混んでいて、場内を進むにつれて空いていくものだが、今回のロバート・キャパ展ではこの「日本コーナー」がいちばん混雑していた。やはり自分の母国を写し取った写真は気になるということなのか。シニアな来場客にとっては懐かしの写真だから余計に気になるということなのか。まあ、ぼくもテレビで蒲田が取り上げられているとついつい見ちゃうもんな。人間ってやつは「地元」だとか「母校」だとかが気になっちゃう生き物なのであろう。

 日本でもキャパは「人間」を撮っている。東大寺の大仏を撮った写真なんて、大仏を撮った写真に人間が写り込んでいるのではなく、あくまでも「大仏を見上げている人間」を被写体にしている感じである。東大寺の鐘の写真だとか、香炉の写真だとかもそうである。キャパの写真には常に「人間」がいて、キャパは「人間」を写すためにシャッターを切っている。

「プラットホームに立って電車を待つ少年」(1954年)
「大仏のそばでしゃがむ大人と子ども」(1954年)
「東大寺で香炉を囲む人々」(1954年)

 最後の部屋では、キャパが生前最後に撮った写真が展示されている。1954年、日本に滞在していたキャパは、『LIFE』誌からインドシナ戦争の取材へいますぐ行くよう依頼されて、本当はあまり行く気にならなかったけど行ってしまって、ベトナムのナムディンを発ってタイビンへ向かう途中に地雷を踏んで死んでしまったのである。

 キャパが地雷を踏む直前に撮った最後の写真は、兵士たちの後ろ姿を撮ったものである。やはりこの写真でも被写体は「人間」だ。ちょっと大げさな感想かもしれないが、ぼくはこの写真から一人ひとりの兵士の「生活」を感じる。昨日は夕方に兵舎に帰ってきて、寝る前にシャワーを浴びて、起きたら朝ご飯を食べて、「今日は昨日より暑いなあ」などと思いながら軍務に臨む──そういったありふれた日々の匂いを感じる。もしかしたら兵士たちは「この辺は地雷がありそうだから気を付けようぜ」なんて会話を交わしていたかもしれない。そんなことを感じる。

「トラックを追走するバイクとその横をすれ違う女」(1954年)
「アヒルの群れを追いながら2人の兵士とバイクの側を通り過ぎる農夫と男の子」(1954年)
キャパが地雷を踏む直前に撮った最後の写真(1954年)

 会場では、キャパの最後の写真が掲載された『LIFE』誌や、キャパが最後に握っていたという愛用のカメラ(ニコンS)も展示されていた。カメラのレンズには泥が着いていたりしてめちゃくちゃ生々しい。

ロバート・キャパ愛用の最期のカメラ(ニコンS)

 企画展示室を出たら、奥のほうにミュージアムシアターというのがあったので行ってみる。そこは広い講堂みたいなところで、「マグナム・フォト」(ロバート・キャパと仲間たちが設立した写真グループ)元東京支社ディレクターの小川潤子さんというひとが今回の展示作品やキャパの人生を解説する映像が上映されていた。ここはかなり空いていて、ぼくらの他には6~7人ぐらいしかお客さんがいなかったな。

 もともと「ロバート・キャパ」というのはキャパとその恋人のゲルダ・タローの合同ペンネームだったとか、ノルマンディー上陸作戦の写真がブレているのは現像の時にボヤケてしまったから(すごい写真すぎたので技師が動揺して写真を乾燥させる時に熱を当てすぎたらしい)といった解説が続く。どれも学習漫画『世界の伝記 NEXT ロバート・キャパ』で紹介されていた話なのでぼくは知っていた。ただ、イングリッド・バーグマンからキャパとの恋愛について相談を受けたヒッチコックが、二人の関係にヒントを得て『裏窓』を作ったという話は初めて聞いた。たしかに『裏窓』の主人公は雑誌のカメラマンだ。あれはキャパがモデルだったのかあ。ジェームズ・スチュアートとキャパは似通ってないけど、まあ、そこは映画の嘘である。

 ミュージアムシアターの映像での小川潤子さんの話によると、キャパは「どうしてもっと被写体に近寄らないんだ」というのが口癖だったという。写真を撮るコツの話である。遠くから全体を撮るのではなく、特定の被写体にグッと近づいていってシャッターを切る。それがキャパ流の写真術だ。「事象」ではなく「人間」に関心を寄せ続け、常に「人間」を撮り続けたキャパだからこそのやり口と言えるだろう。

 ミュージアムシアターを出てミュージアムショップへ。今回の展覧会の図録は売っていないようだったが、キャパの写真集が並んでいたので眺める。ハードカバーのやつが5,000円ぐらい、紙の製本のやつも3,000円近くするのでもちろん買いません(買えません)。岩波文庫のロバート・キャパ写真集(1,540円)を今度買うことにします。

 ポストカードのコーナーへ。由梨はキャパ作品のポストカードを2枚手に取って(どっちも例の子どもが被写体のやつ)、「これを買おう」とぼくに宣言した。ぼくもポストカードなら1枚ぐらい買おうと思って、笑顔の青年兵士たちが写っているポストカードを手に取った。なにしろぼくは若い男性が好きなゲイなのでね!

 買うのはこの一枚だけでいいか……と思って、ふと隣の一角に視線を向けると、ぼくの見知った顔が写っているポストカードがあった。「……えっ? カミュじゃん!」。ぼくは思わず声を出して驚く。どういう風の吹き回しか知らないが、なんと、ぼくの敬愛するアルベール・カミュが煙草を咥えてこっちを見ている写真のポストカードが売られていたのだ。ぼくが由梨に「この前(『源氏物語』展)来た時にもこれ置いてあった?」と尋ねたら、由梨は「憶えてないなあ。でも、この3か月の間に新入荷したとは思えないから前からあったんじゃない?」と言う。まあ、たしかにカミュを知らないひとがこの写真を見ても「そこら辺の外国人男性を撮った写真かな」ぐらいにしか思わないでスルーしちゃうだろうな。もちろん、ぼくはこのカミュの写真ポストカードも購入しました。

 ミュージアムショップを出たあと、ぼくらは常設展示室へ行って、3か月ぶりにアンディ・ウォーホルやキース・ヘリングやサルバドール・ダリの絵画を見た。今回はハンガリーの「ヘレンド磁器」(大昔からあるハンガリーの有名な磁器のブランドらしい)の展示コーナーもあって、由梨は目をキラキラさせて磁器を鑑賞していた(ロバート・キャパ展よりこっちのほうに興奮していた気がする)。「見て! 模様が鮮やか!」とか言っていたが、あいにくぼくは磁器・陶器には何の興味もないので、「うんうんあざやか」と棒読みの言葉を返すことに終始した。ぼくは冷たい彼氏である。

ヘレンド磁器のコーナー(去り際にサッと撮った一枚)

 ぼくと彼女はロバート・キャパ展へ行く。今回、初恋のひと(?)ロバート・キャパの展覧会へ行って、ぼくは改めてキャパを好きになったし、キャパは「人間」を愛していたんだなということもよく分かった。

 ぼくはキャパが撮った写真はぜんぶ好きだ。どれも親しみが持てる。それはきっと、キャパが「人間」を目的として写真を撮っていたからだと思う。「良い写真を撮ってやろう」とか「それで名声を得よう」とかではなく、目の前の「人間」を撮りたいと思ったから撮った、撮らなければいけないと思ったから撮った。勝手な感想だが、ぼくはキャパの写真からそんな意気込みと温かみを感じる。

 ……まあ、本当のところは分かりませんけどね。本当はキャパは自分の名声しか考えていなかったのかもしれない。打算的なカメラマンだったのかもしれない。「崩れ落ちる兵士」のヤラセ疑惑だってあることだし。でも、ぼくはキャパの写真からは「人間」への愛情を感じた。ぼくがそう感じたのだから、ぼくとしてはもうそれでいい。やっぱりぼくはロバート・キャパが好きだなあ。ずっとずっと好きだ。これがぼくが「初恋のひと」の展覧会へ彼女と一緒に行っての感想である。

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