ぼくと彼女は安部公房展へ行く

 ぼくと彼女は『安部公房展』へ行く。『安部公房展』というのは、正確には『安部公房展──21世紀文学の基軸』という名前の展覧会のことだ。安部公房生誕100年を記念して県立神奈川近代文学館というところでこの展覧会がやっていたので、少し前にぼくと彼女は行ってきたってわけである。

 さらに正確に言えば、ぼくと由梨がこの展覧会に行ったのは、今度のデート(一応)は元町エリアへ行きたいと由梨が言ったので、そのついでに寄ったみたいな感じである。ただ、ぼくは放送サークルで音声ドラマの脚本を書いてきた人間で、そもそも安部公房のことも高校時代から結構好きなので、ぼくにとっては今回の『安部公房展』訪問は「ついで」どころか「本命」だった。なんなら、デートで寄る予定がなくても、自分一人でもこの『安部公房展』には行っていた可能性がある。

 「安部公房展へ行く」というタイトルの記事をわざわざ開いてこの文章を読んでくれているひとに解説は不要だろうが、安部公房は、昭和から平成にかけて活躍した小説家・劇作家である。三島由紀夫ほど有名人ではない気がするけど、現代文の教科書に小説が掲載されているし、図書館にも本屋さんにもだいたい何冊か著書が並んでいるから、文学に関心があるひとなら名前ぐらいは知っているんじゃないだろうか。

 11月某日。元町公園とやらを散策させられ、元町ショッピングストリートでの買い物に付き合わされたあと、ぼくは由梨と一緒に神奈川近代文学館へ行った。「港の見える丘公園」という公園の中にある建物だ。受付で学生証を提示して『安部公房展』観覧料1人400円を払い、100円払わなきゃいけないけどあとで100円返ってくるロッカーに荷物を預ける。なお、この時に由梨が100円玉を持っていなかったので、ぼくが100円玉を貸してあげた。ぼくはこういう細かいことを憶えている性質である。

 まずは第1展示室へ。ワークシートが置かれてあるので手に取る。日本近代文学館や神奈川近代文学館の展覧会へ行くと、だいたいいつもこういうワークシートが置かれてある。ワークシートというのはこういったものだ。

「安部公房展――21世紀文学の基軸」ワークシート

第1章 故郷を持たない人間

1.公房の母・ヨリミが考案した小説のタイトルは?
2.公房が学生時代に、とくに影響を受けた海外の詩人は?

第2章 作家・安部公房の誕生
3.夜の会の発起人のひとりである画家・岡本太郎が公房につけたあだ名は?
4.「壁―S・カルマ氏の犯罪―」が芥川賞を受賞したのは何年?

(以下略)

 要は、観覧者の理解度をチェックする「小テスト」である。展示物や解説パネルに目を通していれば、どれもすぐに分かる問題ばかりではある。ぼくも由梨もこういうワークシートにはまじめに取り組むタイプなので、もちろん今回もこの問題に答えを記しながら展覧会を進んでいった。ちなみに、このワークシートの問題に全問正解したら景品がもらえるとかはありません。

 第1展示室ではまず最初に「序章 世界文学としての安部公房」と題して、安部公房の著書の外国語版が展示されていた。展覧会の最初にこういうコーナーを設けているのは、「この展覧会でこれからお前らがたどる安部公房ってひとは海外でも評価されているすごいひとなんだぞ!」と観覧者を脅す狙いがあってのことかもしれない(?)。それにしても、安部公房の作品が海外でも評価されている(らしい)のはどうしてなんだろうなあ。ちなみにこれは仮説……というか妄想ですが、一昔前に公開された『パラサイト 半地下の家族』という韓国映画は、安部公房の戯曲『友達』が元ネタなんじゃないかとぼくは疑っています。

 続いて、「第1章 故郷を持たない人間」。安部公房の少年時代だとか、学生時代だとか、詩や小説を書き始めた頃だとか、安部公房の生い立ちを紹介するコーナーである。ぼくは安部公房の生い立ちについてはまったく知らなかったので、このコーナーで紹介されていたことはとにかく新鮮だった。安部公房は東京で生まれたが、満州で育ち、高校進学を前にまた日本へ戻ってきた。そういう事情もあって、自分のことを「故郷がない人間」だと感じていたという。そのことが安部公房の作風にも影響を与えたのだろう、といった論考がここでは紹介されていた(もしかしたら本人がそう語っていたという話だったかもしれない)。

 興味深かったのは、安部公房は学生の頃から小説を書いてはいたが、別に「文学少年」とかいうわけではなかったということだ。恩師である植谷雄高の言葉を借りれば「ニーチェとハイデガーとヤスパースの他は本を読んでいなかった」という話だし、本人も「自分は思想表白のつもりで小説を書いている」「文学者になってから文学を知った」と語っていたらしい。学生時代にカフカの『審判』も読んではいたそうだが、あまり印象には残らなかったらしい。もっとも、本を持っていなかったわけではないようで、ゴーゴリの『死せる魂』やエスペラント語の教科書が学生時代の蔵書として展示されていた。いつか暇で暇でしょうがなくなったらエスペラント語を学んでみるのも悪くないと思っているぼくとしては気になる蔵書である。由梨にその話をしたら、「いまから(エスペラント語の)勉強を始めればいいじゃん」と言い返された。無責任なこと言いますね……

 続いて、第2展示室へ。まずは「第2章 作家・安部公房の誕生」のコーナーである。ここでは安部公房の作品が時系列に沿って紹介されている。ぼくは「高校時代から安部公房が結構好き」と言っても実は数作程度しか読んでいないので、このコーナーもなかなか新鮮だった。というか、各作品の紹介・解説パネルを読んで、「この小説面白そう!」「あの小説も面白そう!」「このラジオドラマの脚本読んでみたい!」と興奮した。具体的には『手』とか『マスクの発見』とか『月に飛んだノミの話』とか『快速船』とか『可愛い女』とか……

 安部公房は若い頃、東京都大田区下丸子で「下丸子文化集団」という創作グループを立ち上げていたらしい。展示室ではそのグループの同人誌(?)『詩集下丸子』の現物も展示されていた。安部公房がまさか下丸子で活動していたなんて。大田区蒲田地域出身・在住のぼくにとって下丸子は地元中の地元なので、この展示室で「下丸子」という単語が目に入ってきた時には本当にびっくりしましたよ。思わず、由梨の肩を揺すりながら「下丸子だって!」と叫んでしまったほどです(由梨は全然ピンと来てなかったけど)。ぼくと安部公房を繋ぐ点と点。これすなわち線。不思議な縁ってあるもんだなあ。いや、この程度で縁を感じてしまっていいのか微妙なところではあるんですけど。……感じてしまっていいよね?

 そのびっくりには劣るものの、日本初のSF長編小説を書いたのが安部公房だという事実にもびっくりした。もちろん日本初といっても、それは「確かめられる範囲では」という話であって、もっともっと前に書いていたひともいるんだとは思うんですけどね。あとは、『今日をさぐる執念』というタイトルのエッセイだったか、その文章の中で安部公房が書いている生と死をめぐる論考にも刺激を受けた。「死の恐怖と、死の拒絶との、奇妙な不協和音」こそが人生なのだ、みたいな話である。こういった感じの話は西洋の哲学者・思想家が言いがちなことであり、ぼく自身も納得しがちなことであるので、ぼくは安部公房の言いたいことがすんなり理解できた。

 続いて、「第3章 表現の拡がり」のコーナーへ。ここでは映像化・舞台化・ラジオドラマ化された安部公房作品が詳しく紹介されていた。ラジオドラマの脚本だとか、勅使河原宏監督の映画『砂の女』のポスターだとか、1970年の大阪万博用に作った短編映画『1日240時間』のポスターだとか。安部公房の場合、もともとは小説だったのを改変して映像化・舞台化・ラジオドラマ化した作品というのも多かったらしい。例えば、『他人の死』という小説が『無関係な死』という小説に改題されたのち『お前にも罪がある』として舞台化された、といった具合である。有名な戯曲『棒になった男』ももともとは小説だったそうな。安部公房がすごいのは、自分の小説の映像化・舞台化・ラジオドラマ化を自分自身でやっていることだ。ぼくは脚本や戯曲は書くけど小説は書けない人間なので、「小説家脳」と「劇作家脳」は別の脳味噌だと思っている。おまけに、自分自身の小説を戯曲化するとなると自分の作品に対する客観的な視点も必要になってくるわけで、やはり安部公房はすごい才能の持ち主だと言わざるを得ない。

 このコーナーでは、安部公房の小説の挿絵を描いたり、安部公房の舞台の美術を担当したりしていた安部真知についても紹介があった。名字から察しがつくように、安部公房の妻である。展示物(安部真知が描いた絵とか写真パネルとか)を見ても正直ぼくはそんなに興味が湧かなかったが、由梨は心惹かれたようで、だいぶ熱心に展示物を鑑賞していた。やはり美術家(?)の血が騒ぐということだろうか。この時、ぼくは、ぼくだけじゃなく由梨も『安部公房展』を楽しめているんだなと分かって安心した。

 さて、第3展示室の「第4章 安部公房スタジオ」のコーナーでは、安部公房と演劇の関わりがさらに突っ込んで特集されていた。安部公房は「小説ではできない、演劇にしかできない表現がある」と思っていたそうで、1970年代に「安部公房スタジオ」という劇団(演劇ユニット?)を結成したそうだ。自分の戯曲を上演するための劇団とはいえ、劇団名に自分のフルネームを付けるなんて大した度胸だよなあ。発想的には「マツモトキヨシ」や「たかの友梨ビューティクリニック」と変わらない。

 「安部公房スタジオ」には、過去に安部公房作の舞台に出たことがある俳優が参加したらしい。井川比佐志、田中邦衛、山口果林は劇団俳優座を退団して「安部公房スタジオ」に参加したそうだ。ちなみに仲代達矢は俳優座に在籍したまま「安部公房スタジオ」に参加したそうだ。大学で放送研究会に所属しながらインカレの放送サークルを立ち上げたぼくとしては仲代達矢の気持ちがよく分かる(?)。第1回公演では『愛の眼鏡は色ガラス』という作品を上演したそうで、ぼくは由梨から「この作品知ってる?」と尋ねられたが、これって別に有名な作品ではないよな。記念すべき第1回公演の作品が意外と歴史に名を残さない、というのは「劇団あるある」「演劇あるある」って感じで、ぼくはなんだか微笑ましい気持ちになった。「天才安部公房も例外ではなかったんだね」っていうか。

 最後の「終章 晩年の創作」のコーナーでは、晩年の安部公房がワープロを使って作品を執筆していたことなどが紹介されていた。何度も原稿の推敲を繰り返していた(らしい)安部公房にとってワープロの登場は願ってもないことだったそうで、『帰って来た橋本治展』で知った橋本治とは真逆の価値観だなと思った。ワープロを使うのを喜んだり、使うのを嫌がったり、人間の価値観は色々である。

 この『安部公房展』は写真撮影禁止だったが(というか神奈川近代文学館はいつも写真撮影禁止だが)、最後の「安部公房の書斎」だけは写真撮影OKだった。もちろん、由梨もぼくもスマホのカメラで撮りましたよ。人間の骨格模型が置いてあるのは安部公房が東大医学部出身だからだろうか。ぼくが「ガイコツ不気味だね」と言ったら、由梨に「そう? わたしはひょうきんな印象を受ける」と返された。うーん。ガイコツを不気味に思ったり、ひょうきんに思ったり、人間の価値観は色々である。

安部公房の書斎を再現

 出口のところでワークシートの正解が書かれた紙をもらって、100円ロッカーから荷物を回収する。ミュージアムショップ……というか小さな売店に図録の見本が置いてあったのでページをパラパラしてみたけど、そもそも3,300円もするので買いません(買えません)。大手出版社から出てる図録だから、本当に欲しかったら後日本屋さんでも買えるでしょうしね。逆に、こういう美術館・博物館でしか売られない図録は、本当に欲しいなら多少無理してでもその場で買ったほうがいい。タイミングを逃したら二度と入手できなくなっちゃうから。

 ……ということで、ぼくはこの日、今年の春にここ神奈川近代文学館で開催された『帰って来た橋本治展』の図録を買いました。今年の春に由梨と一緒に行った時には手持ちのお金がなくて購入を見送ったんですよね。でも、そのあとぼくは橋本治に結構ハマっちゃって、行った時に買っておかなかったことをずっと後悔していたのです。そこで今回、幸いにも図録がまだ売れ残っていたので、ぼくは『橋本治展』の図録を買ったってわけ。1,100円だから3,300円よりは安いし。もちろん、由梨には購入について事前に相談して承諾を得ています。自分のお金で買うのに他人から承諾を得なくちゃいけないってのは変な話ですが……

 神奈川近代文学館を退館。外に出たらもうだいぶ暗くなっていた。まだ16時台なのになあ。最近、日が落ちるのが早くなったよなあ。冬の訪れを実感しつつ(注:ぼくらが行ったのは11月です)、せっかくなので、神奈川近代文学館の前に掲げられている『安部公房展』の看板の写真を撮る。なぜかスマホのカメラのフラッシュが自動で点灯したため、写真が白飛びっていうか「オレンジ飛び」してしまった。

『安部公房展』の看板(フラッシュ撮影)

 由梨から「フラッシュ消して撮りなよ」と言われ、今度はフラッシュなしで撮り直すことに。今度は上手く撮れた(と思う)。

『安部公房展』の看板(ノンフラッシュ撮影)

 このあとぼくらは晩ご飯へと向かったのだが、港の見える丘公園の園内がいつもと違ってめちゃくちゃ暗くなっていたため、ぼくとしてはガチで恐怖を覚えた。何が怖いって、ただ単に「暗い」だけじゃなく、ライトアップされたレインボーブリッジやマリンタワーが視界に入ってくるのが怖い。高所恐怖症のひとなら共感してくれると思うけど、暗闇の中でライトアップされた巨大建築物(ビル・橋・塔)は日中以上に巨大に見えるものであり、まるでこちらに襲いかかってくるかのように感じられるものである。恥をしのんで正直に明かせば、この時のぼくは恐怖に震えて泣き出しそうだった。

 最初は安部公房の話(「『パラサイト』は『友達』のパクリだと思う」とか「いつか舞台で『友達』を自分なりに演出してみたい」とか)を話すことで気を紛らわそうとしたが、そんなことで気を紛らすことができるぐらいならそもそもぼくは高所恐怖症ではない。恐怖に耐えられなくなったぼくは、彼氏特権を利用して由梨の手を強く握り、目をつぶりながら歩いた(由梨からは「危ないから目を開けて歩け」とガチで叱られた)。ぼくは由梨が高所恐怖症じゃなくて本当によかったと思っている。もしぼくも由梨も二人とも高所恐怖症だったら、ぼくらはいまだに港の見える丘公園の園内でうずくまっていたに違いない。

 ぼくと彼女は『安部公房展』へ行く。なんか最終的には「夜の港の見える丘公園が怖かった」って話になっちゃったけど、ぼくが『安部公房展』を思い出す時、その記憶がセットで掘り起こされるのだから仕方ありません……

 『安部公房展』自体の感想としては、まあ、やっぱり安部公房の作品を読みたい/読み直したいと思いましたよね。安部公房の作品はどれも怪奇的・変態的な不気味さが漂っていて、そういうところは実はぼくはそんなに好みじゃないのだが、「謎の女によって砂の家に閉じ込められる」とか「見ず知らずの死体を拾ってしまって処理に困る」とかいったアイディアの奇抜性はやはりものすごいと思う。そういう奇抜なストーリーが現実社会の問題とリンクしているところもとんでもないと思う。安部公房はやっぱりすごい作家だし、ぼくはまだ読んでいない安部公房の作品をこれから積極的に読んでいきたいし、夜の港が見える丘公園は体が震えるほど怖い。それが今回『安部公房展』へ行ってきてのぼくの感想である。

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