ぼくは狐忠信に泣く

 ぼくは狐忠信に泣く。今月中旬、ぼくは彼女と一緒に国立劇場歌舞伎鑑賞教室へ行ってきた。といっても、国立劇場の建物は昨年10月をもって建て替え工事のため閉館中なので、外部の劇場を借りての公演である。今月の国立劇場歌舞伎鑑賞教室は、前半は江東区のティアラこうとう大ホール、後半は調布市のグリーンホール大ホールで行われた。ぼくらが行ってきたのはティアラこうとうのほうである。

 国立劇場歌舞伎鑑賞教室の素晴らしいところは、チケットの値段がお手頃なところだ。まあその代わり、上演されるのは「歌舞伎のみかた」という20分ぐらいのガイダンスと、70~80分ぐらいの演目一つだけなんですけどね。でも、ぼく的にはこの構成に不満はない。むしろ、現代人が歌舞伎を観るならこれぐらいのボリュームがちょうどいいんじゃないかと思う。

 ただ、今年の歌舞伎鑑賞教室は昨年までの歌舞伎鑑賞教室とは違った。外部の劇場を借りているせいなのか、チケット料金が値上がりしたのだ。去年までは学生1,200円だったけど、今年は1,800円である。まあ、それでも一般料金よりはだいぶ安いから助かるのだが、「1,200円」と「1,800円」では金額の次元が違う。ちなみに一般料金は「4,000円」から「6,000円」に値上がりしたようで、やはりこちらも料金設定の次元が変わっている。

 ……お金の話はともかくとして、本題に移ることにします。今回の歌舞伎鑑賞教室の演目は『義経千本桜』の四段目「河連法眼館の段」というやつで、Aプロ(午前の部)では中村橋之助さん、Bプロ(午後の部)では中村芝翫さんが主役(佐藤忠信 / 源九郎狐 役)を演じるというダブルキャスト制だった。ちなみに芝翫さんと橋之助さんは親子である。

 ぼくはAプロに行きたかった。なぜなら、このポスターの写真を見て「橋之助狐」の可愛さにやられてしまったからだ。

左から中村橋之助、中村芝翫、坂東新悟

 どうです? この橋之助さんの表情と首の傾げ具合! あまりの可愛さにぼくのゲイメーターは0.01秒で振り切れた。いや、芝翫さんの貫禄がある感じも気にはなったんですけどね。でも、ぼくは「橋之助狐」を観たい。この目で生で拝んでうっとりしたい。

 由梨に「できればAプロが観たいんだけど……橋之助さんの狐忠信役は昔やった時も評判がよかったらしいから……」とかなんとか適当に説明して、由梨からも「うん、それにしよう」と難なくお許しが出たので、ぼくらはAプロを観に行くことが決まった。やったあ! 由梨に歌舞伎のこだわりがなくてよかった。そもそも由梨は「歌舞伎が好き」といってもぼくのようなコア層じゃないからな。由梨の「歌舞伎が好き」は「ハーゲンダッツのアイスが好き」や「包装のプチプチを潰すのが好き」程度の「好き」にすぎない。たぶん三田寛子さんの名前も知らないだろう。逆にぼくは由梨が好きなものを全然好きじゃなかったりするので(例:ちいかわ)、なんていうか、好みの対象が棲み分けられているのはむしろ安心することだったりする。

 問題は、由梨のスケジュールの関係で今回は土曜日にも日曜日にも観に行けないということだった。つまり、ぼくらは今回の歌舞伎鑑賞教室には平日に行くしかない。これは、4年生でありながら平日に毎日授業が入っているぼくとしては厄介な状況である。かといって後半の調布市グリーンホール公演のほうはテスト期間が直撃しているから余計に行くの難しいし。これは自主休講を決め込むしかないなあ……

 ……と思っていたら、この世には神様が存在するものだ。ぼくが一コマだけ入れている曜日の授業の休講が発表され、しかもその日は由梨も特に用事がない日だったので、ぼくらは平日のAプロ(午前の部)に堂々と行くことができるようになったのである! ぼくの日頃の行いが良いからきっとこんな奇跡が起きたのだろう(あるいは由梨の行いが良いからかも)。まあ、夜はぼくはコンビニの夜勤が入ってるけどな。いずれにせよ、休講の女神はぼくらに微笑んだわけである。

 ネットで学生2人分のチケットを予約し(国立劇場主催公演は今年から学割もネット予約できるようになりました)、由梨に座席の位置を報告して(1階の前のほうを取れました)、7月の某平日。JR蒲田駅のホームで待ち合わせ。こういう時のぼくは遅刻しない。でも、由梨のほうが先に到着していたので結局数分待たせてしまった。とはいえぼくに落ち度はない。

 JR京浜東北線に乗って東京駅で下車。構内の通路を歩いて東京メトロ大手町駅へ。半蔵門線に乗って住吉駅で下車。事前にGoogleマップで調べておいたのでルート把握は完璧だ。A4出口から屋外へ出てティアラこうとうへ向かう途中、ぼくらの目の前を、松葉杖をつく子どもとそのおばあさんらしき女性が歩いていた。設置されたままの都知事選の候補者ポスター掲示板を横目に「(候補者が)いっぱい出たんだねえ」と言いながら微笑み合い、前へと進んでいる。なんだか和む光景だなあ。結局、その二人もぼくらと並んでティアラこうとう大ホールへ入っていきました。

 学生証を提示してホールへ入場し、プログラムと『歌舞伎 その美と歴史』という小冊子をもらう。それからぼくは「台本買わなきゃ」と言って、物販スペースらしきところを探した。昔から国立劇場の歌舞伎公演では本日の演目の台本が販売されているのだ。これはぼくのような学生劇作家にとっては非常にありがたい話である。

 ……と思ったら、物販スペースらしきところがない……? イヤホンガイドの貸出コーナーはあるし、チラシが置いてあるコーナーもあるのだが、台本を売っているようなコーナーがどこにもないのだ。

 ぼくが「台本売ってないのかな……」と戸惑っていると、由梨が「聞いてみよう」と言って、近くに立っていたスタッフに「あの、台本って販売してないんですか?」と尋ねに行った。こういう時に躊躇せずスタッフに声をかけに行けるから由梨はすごい。ぼくだったらかなり勇気を出さないと声をかけるなんてできない。……でまあ、結論から言うと、台本は販売していないということだった。ただし、7月5日に1回だけ公演された「社会人のための鑑賞教室」(夜の部)では特典として「配布」したということだった。

 なんだそれ。意味不明すぎる。なんで通常公演では販売すらされていないのに「社会人のための鑑賞教室」では無料で配るんだ? チケット料金は一緒なのに。区別の基準が分からない。ぼくみたいに台本を欲している学生も多いと思うのだが。通常公演にも社会人らしきお客さんは来ているのだが。第一、ホームページには「社会人のための鑑賞教室では無料で配ります」なんてこと書いてなかったぞ。そんな重要な事実を告知せずチケットを販売するなんてほとんど詐欺じゃねえか。もし「社会人のための歌舞伎鑑賞教室」でのみ台本を入手できると事前に告知されていたら、ぼくはバイトを休んででもその公演に行ったかもしれないなのに。はあ。国立劇場=独立行政法人日本芸術文化振興会への信頼が一気に消え失せた。建て替え延期に同情していた自分が馬鹿みたいだ。もうこんなことなら国立劇場なんて永遠に再建されないでいい。インバウンド向け施設とやらの陰でひっそりと灯を消すがいい。とりあえず責任を取って長谷川眞理子理事長は辞任すべきだ。「この度は大変ご迷惑をおかけしました」と言ってぼくの自宅に今回の歌舞伎鑑賞教室の台本を持参すべきだ。

 ……などと怒りに震えていたら開演5分前のブザーが鳴ったので、「台本購入代が浮いたことだし」ということでぼくらはイヤホンガイド(1台500円)を借りた。別に借りなくてもいいかなと最初は思っていたのだが、イヤホンガイドのコーナーがあまりにも寂しげな雰囲気だったので、なんだか借りてあげないと気の毒な感じがしたのである。イヤホンガイドが有能だってことはぼくも由梨も知ってるしね。

 客席に入って着席。周りのお客さんは私服姿の中高生が多いなあ。距離が近いから舞台はよく見えると思うけど、念のため、ぼくが持ってきた双眼鏡(オペラグラス代わり)を由梨に渡しておく。開演。緞帳が上がり、まずは「歌舞伎のみかた」だ。中村玉太郎さん(24歳)が、キツネの魔法にかかって失神する的な茶番劇……もとい小芝居を挟みながら、花道やら御簾やら、本日の演目『義経千本桜』のあらすじやらを解説していく。去年の鑑賞教室の中村虎之介さんみたいに達者な進行ではなく、ぎこちなさがあったが、そこがかえって玉太郎さんの生真面目な人柄を伝えていてよかった。

 20分間の休憩。二人ともトイレへ立つ。ロビーに中村芝翫さん(Bプロ・佐藤忠信 / 源九郎狐 役)、中村橋之助さん(Aプロ・佐藤忠信 / 源九郎狐 役)、坂東新悟さん(静御前役)の写真パネルが飾られていたので、トイレを出たあとに撮影する。

中村芝翫(Bプロ・佐藤忠信 / 源九郎狐 役)
中村橋之助&坂東新悟パネルは2枚セット
中村橋之助(Aプロ・佐藤忠信 / 源九郎狐 役)
坂東新悟(静御前 役)

 ぼくが周りに目立たないように写真を撮っていたら、トイレから出てきた由梨がぼくに近付いてきて、「(ぼくの下の名前)くんも一緒に写りなよ? 撮ってあげるよ!」と言って、ぼくと中村橋之助パネルのツーショット写真を撮ろうとしてきた。ぼくははっきりと「いいよ、いい」と拒絶したはずなのだが、由梨にスマホを奪われてそのまま流れで写真を撮られてしまった。いま、ぼくのスマホのギャラリーには中村橋之助パネルの隣で恥ずかしそうに苦笑いしているぼくの写真が保存されているが、もちろんこのnoteには掲載しません(できません)。

 さて、いよいよ『義経千本桜』の開演だ。今回上演される「河連法眼館の段」は、敵から逃げてきた源義経が奈良のお寺にやってきて、恋人の静御前と家臣の佐藤忠信に再会するというお話である。しかしこの佐藤忠信、実は佐藤忠信のふりをしたキツネ(通称:源九郎狐)なのだ。静御前が持っている鼓が源九郎狐の両親(親ギツネ)の皮で作られた鼓だったから、源九郎狐は親が恋しくて静御前についてきたってわけなのですね。

 橋之助さんは「源九郎狐」と「本物の佐藤忠信」の一人二役を演じているのだが、その演じ分けがとても巧かった。顔の造作は同じでも雰囲気が違うのだ。本物の佐藤忠信の時は威厳があってキリっとした感じだけど、源九郎狐の時はちょっとおどけた感じ。正座した時に服の白い裾を伸ばして、キツネのしっぽのように見せているのも面白かった。

 舞台にはいっぱい仕掛けがしてあった。源九郎狐の登場シーンでは階段がひっくり返るような形で橋之助さんが出てくる。「ケレンみ」というか、アクロバティックみが強い。正体が狐だとバレてからは、180°以上ふんぞり返った姿勢になったり、欄干をまたいで廊下に飛び乗ったり、欄干の上を歩いたり(サーカスの綱渡りっぽい)、そこから床へジャンプしたり。ぼくはBプロは観ていないから間違っていたらごめんなさいですが、これは橋之助さん主演のAプロならではの演出なのではないか。どんなに運動神経が優れていたとしても、若くなければこの動きは難しいと思う。

 めちゃくちゃびっくりしたのは、下手の廊下の真下へスポンッ!と落ちたあと、すぐに上手のセットから飛び出てきて、また下手へピョンピョーンと走っていくというアクションだ。早替り的な演出で、隣の由梨は「えっ」と「あっ」の中間ぐらいの音を発して驚いていた(周りの中高生も同じように声を出して驚いていた)。ぼくはさすがに声は出さなかったが、心の中で「橋之助さんヤバくね?」とは思った。しかもその動きがキツネっぽい軽やかな感じなのがまた良いんだよなあ。そのあとも、階段の下からヒョイと出てきたり、御簾の中に飛び込んでいったりする軽やかなアクションシーンがあって、ぼくは中村橋之助という俳優にすっかり魅せられた。

 もうこれだけでも見応えあったねというところだが、ぼくはこのあと、橋之助さんの素晴らしさをより強く感じることになる。橋之助さんの演技を見てぼくは泣いてしまったのだ。

 ぼくが涙を流したのは、義経が源九郎狐に鼓を渡したあとの場面である。義経は源九郎狐への褒美として鼓を授けることにする。さっきも書いたが、この鼓は源九郎狐の両親(親ギツネ)の皮でできた鼓である。義経が鼓を渡す時、狐は鼓を受け取ろうとして階段の途中まで進むが、またすぐ後ろへ下がる。イヤホンガイドによると、これは「家来が主人から物を直接受け取るのは畏れ多いから」ということらしい(勉強になります)。義経は静御前に鼓を渡して、源九郎狐は静御前経由で鼓を受け取る。

 鼓を受け取った源九郎狐は、笑顔で鼓と戯れる。その姿はまるで親ギツネとじゃれて遊ぶ子ギツネのようだ。源九郎狐がこれまで叶わなかった「親と遊ぶ」という経験を無邪気に楽しんでいる光景を見ていたら、ぼくは自然と涙が出た。「涙ぐんだ」とかではなく、実際に目から涙がこぼれた。ぼくが歌舞伎を観て泣いたのはこれが初めてだ。ぼくは親子の物語や家族のドラマには特に関心がなく、自分自身も親孝行なタイプじゃないはずなのに、中村橋之助さんの源九郎狐に泣かされた。

 ただ、ぼくはこの時、感動の涙を流しながらも、橋之助さんのカツラの髪の毛の部分が乱れていたことを見逃さなかった。ぼくは劇作家にして演出家なもんでね。たぶん汗のせいだと思うが、カツラの髪の毛の部分が一、二本、橋之助さんの額にまとわりついていた。「中村橋之助の熱演」と「源九郎狐の無我夢中」が重なって感じられて、ぼくはその様子を好ましく思った。お芝居は端正であればよいというものではない。

 さて、芝居は大詰めである。源九郎狐が義経に敵が近付いてきていることを告げると、実際に花道から敵たちがやってくる。源九郎狐は受けて立ち、手さばきだけで敵たちをやっつける。「タン・タン・タタタン!」のリズムで柔らかに敵たちをはねのける、歌舞伎版きつねダンスである。

 源九郎狐はいつの間にか敵たちを全員倒している。そして、上手に置かれてある木の陰へ向かうと、垂直に上方向へ上がっていく。おそらく橋之助さんはエレベーター式のコンベアか何かに乗っているのだろう。「垂直方向に木を登っている」みたいな感じだ。……ちょっと何を言っているか分からないと思いますけど、まあとにかく、機械仕掛けのケレンみある演出ってことです。そうして源九郎狐が上昇していく中、緞帳が下がる。はい、これで『義経千本桜』の「河連法眼館の段」はおしまい。

 「このあとの公演の準備があるのでさっさと出てってください」という場内アナウンスを浴びながら、ぼくらは私服姿の中高生たちに混じって会場をあとにする。ぼくが「橋之助狐」を見て泣いていたことは由梨にはバレていなかったようだが、ぼくは駅へ向かう途中に自分から打ち明けた。それを聞いて由梨は少しびっくりしていた。

 東京メトロ半蔵門線に乗って、東京駅のパスタ屋さんで少し遅いお昼ご飯を食べて、由梨が「行きたい」と言うので日本橋三越本店で家具を見たりガラスの器を見たりして(もちろん何も買いませんよ!)、また東京駅に戻って「東京駅一番街」を散策して、京浜東北線の車内で由梨と別れて帰宅したあと、ぼくは近所の大田区立図書館から借りている辻和子著『最新版 歌舞伎の解剖図鑑』を開き、『義経千本桜』に関するページを読んでみた。

 その本によると、『義経千本桜』の「河連法眼館の段」はケレンみある演出で有名な演目だという。やっぱりな。でも、「源九郎狐が廊下の下へ落ちる型もあれば、御簾へ飛び込む型もあります」といった記述があって、逆に言うと、本日の国立劇場歌舞伎鑑賞教室バージョンのように「廊下の下に落ちたあと、御簾へも飛び込む」というアロクバティック盛りだくさんな演出は珍しい型なのだということが判明した。っていうか、今回のこれは橋之助さんオリジナルの型なんじゃないか? だって、あんなに飛んだり跳ねたり転がったりするのは(しかもそれを一連の流れで見せるのは)誰でもできるってわけじゃないと思うもの。

 後日、由梨と会った時にそのことを話したら、「絶対そうだよ! 新しい演出だったんだよ! じゃなきゃ説明つかないもん(?)」と根拠なく賛同された。そして、「台本が売ってたらよかったよね」と言われた。

 それな……。上演台本を確かめることができれば、「台本上はどういう段取りだったのか」とか「今回の演出はAプロ・Bプロ共通の演出だったのか」を確かめることができたのに……。国立劇場さんさあ……。これが最初から台本が門外不出だったならぼくもあきらめがつくけど、「社会人のための鑑賞教室では無料で配りますが、通常公演の客には買わせませんし見せません」みたいな謎の差別はやめてくれよ……。こういうこと書いたら国立劇場の性格が悪い職員が「国立劇場図書閲覧室に来れば台本閲覧できますよ」とか言ってくるんだろうけど、そういうことじゃないんだよな……

 そんなわけで、ぼくは今月の国立劇場歌舞伎鑑賞教室の『義経千本桜』Aプロに大いに感動しつつ、台本の件を思い出すと少し苦い気持ちになるのでした。でもまあ、「橋之助狐」が素晴らしかったことには違いない。なにしろ、ぼくを興奮させ、ぼくを泣かせたわけだからな。これからぼくは中村虎之介さんに加えて中村橋之助さんのことも推していくことにしよう。

 それに台本の件にしても、ぼくは劇作家なのだから、手元に台本がないなら自分で新たに台本を作ってしまえばいいんだよな。いや、『義経千本桜』の翻案をやろうってわけじゃないですけどね。でも、そうなのだ。他人の台本に頼らず、自分で台本を書いてしまえばいいのだ。ぼくは国立劇場に振り回されるのはもうやめた。自分が求める芝居の台本は自分で書くし、自分の人生の台本も自分で書く。ぼくの人生の新章はいま幕を開けたばかりだ……!(少年漫画風な締め方)

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