ぼくは文庫本をありがたく思う
この前、筒井康隆の『おれの血は他人の血』という小説を読み終わった。1974年に出版された小説で、現在は絶版になっていて新品はどこにも売っていない(はず)。ぼくはこの小説の中古の文庫版をブックオフで購入した(正確にはブックオフオンラインの店舗受取サービス)。330円だった。ぼくは中学生の頃から筒井康隆の愛読者で、「絶版になっている筒井康隆の文庫本をブックオフで集める」というのが趣味なのである。
ぼくは『おれの血は他人の血』を5日間で読み終わった。速読派のみなさんには鼻で笑われるかもしれないけど、小説(特に長編小説)を読むのが遅いことでおなじみのぼくとしては、この「5日間」というのは驚異的な高速記録である。本編が242ページもある小説をぼくが5日以内で読み終えたというのは、ぼくの記憶の限り、ここ数年で初めてのことだったのではないかと思う。ガブリエル・ガルシア=マルケスの『予告された殺人の記録』(143ページ)だって読み終わるのに1週間以上かかったもんなあ。
ぼくが『おれの血は他人の血』をわずか5日間で読み終えることができたのは、「章が新聞の連載小説並みに細かく分けられていたから」とか「難しい言葉が使われていなかったから」とか、そういう技術的(?)な理由もあるんだろうが、やっぱりなんと言っても「面白かったから」。これに尽きると思う。『おれの血は他人の血』は面白い小説だった。少なくともぼくにとってはとんでもなく面白い小説だったのだ。
『おれの血は他人の血』を読み終わった瞬間、ぼくが思ったのは、「こんなにも面白い小説を330円で味わえる『文庫本』っていうシステムはすごいよなあ」ということだった。……いや、バカみたいな感想で申し訳ありませんけどね。でも、『おれの血は他人の血』を読み終わった瞬間、ぼくはたしかにそう思ったのだ。
「330円」というのはブックオフ料金にすぎないのでちょっと基準にならないが、要は「数百円程度」ということである。新品にせよ中古にせよ、世の中のだいたいの文庫本は1,000円以下で売っている。中には2,000円以上もする狂気の高額文庫本も存在するが(例えばロバート・ノージックの『生のなかの螺旋』)、まあ、小説の文庫本はだいたい数百円だ。特に古典的な小説(例えば夏目漱石作品や芥川龍之介作品)の文庫本は安価な傾向にあり、新品でも本屋さんで400円台で売っていたりする。
学食を一食我慢すれば買える値段である。いや、人間にとって食事は大切なのでできれば我慢しないほうがいいと思うが、それはともかく、せいぜい数百円を払うだけでぼくらは興奮と感動を手に入れることができる。現にぼくは330円を払うことによって、『おれの血は他人の血』という隠れた名作と出会い、映画や演劇とはまた違う文学ならではの興奮と感動に浸った。『おれの血は他人の血』を読んでいる時、ぼくは小説を読むことの喜びを心の底から感じていたのだ。
文庫本の素晴らしさは値段の安さに限らない。持ち運びに便利なところだとか、手に持って読んでも腕が疲れにくいところだとか、巻末に文庫版オリジナルの解説が収録されている(ことが多い)ところだとか色々あるんだけど、一つひとつ掘り下げていったら面倒なので割愛します。
ただまあ、文庫本のどこがいちばん素晴らしいかと言ったら、それはやっぱり値段の安さかな……貧乏学生の発想ですみません……とお詫びしたいところだが、いやいや、この値段の安さゆえに、ぼくは『おれの血は他人の血』を読み終わった瞬間に「文庫本というシステムは素晴らしい」と気付くことができたのだ。数百円程度で面白い世界に入り込むことができる、これってすごいことだと気付くことができたのだ。
先日、うちの大学の学祭があって、ぼくは空き時間に宮田(放送研究会の同期)と藤沢(放送研究会の後輩)と梶(放送研究会の後輩)と一緒に学祭を廻った。ふとした流れで文芸研究会の展示教室に寄ったら、部員が書いた小説が掲載された冊子が販売されていて、たったの200円だったので思わず買った。ミステリーとか恋愛小説とかSF小説だかがごちゃまぜで載っていて、ぶっちゃけ、文章の未熟さは否定しようがなかったが、それでもぼくはその冊子に感動した。それぞれの背景を持つそれぞれの人間が、自分が創造した物語を活字として表現している。その試み、そのエネルギーそのものにぼくは胸を打たれたのだ。
最近、ぼくは「人間が物語を書く」という事実に尊さを感じる。『おれの血は他人の血』を文庫本で読み、他人が創った世界に数百円で入り込めるという仕組みに気付いたことで、なおさら尊さを感じるようになった。映画とも違う、舞台とも違う、文字を使った表現、文学ならではの創造の世界がこの世には確かにある。そのことに一種の安らぎを感じる。
ぼくはこれからもっと色んな国や色んな地域の、色んな人間が著した物語を読みたい。できれば面白い物語がよいが、別に面白くなくてもいいから読みたい。「バズりそうだから」とか「褒められそうだから」とかでなく、「書きたいから書いた」「書かなきゃいられなかったから書いた」という思いで著された物語を読みたい。
そのためにも、やはり数百円程度で手に入る文庫本の存在は重要なわけでして(話が戻ってきました)、「文庫本」という文化が日本の出版業界に存続し続けることはぼくは願うばかりです。近未来においてぼくがお金持ちになって本の値段を気にしないでよくなったとしても、10~20代の学生はどうせ金欠なやつが多いに決まってますからね。いまのぼくみたいに。未来の学生諸君のためにもどうか「文庫本」をいつまでも……ってまあ、ぼくは未来の学生の心配なんてしている場合じゃないんですけど。学祭でだいぶ浪費しちゃった関係で、今月のぼくは普段以上に財政危機なのです。文芸研究会のあの冊子、やっぱり買わなきゃよかったかなあ?