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#23 【書評】 『日本企業はなぜ「強み」を捨てるのか』

私は日本という国が好きである。

小学生が一人で夜歩いていても平気、財布を落としても帰ってくる、スリに怯えなくていい、長い歴史を持っている、北は北海道から、南は沖縄まで美しい自然を持っている、そして極め付けは美味しい食事。

その魅力はあげたらキリがないくらいである。しかしながら、こと「働きやすさ」という観点から日本を見ると、それは決していい状態とは言えない。

これは別に他国と比較してとかそういうことではない。純粋に、もう少し日本全体として給料が高くなったり、日本企業の競争力が高まって今よりも暮らしやすい国になってほしいと思っているだけである。

そんなことを思っていた時に出会った本が今日紹介する本である。

この本には、日本の産業が再び元気を取り戻すために参考になる考えが詰まっていた。今回はそれを皆さんと共有したいと思う。

今の日本の状況を冷静に捉え直す

今日紹介する本は岩尾俊平氏の『日本企業はなぜ「強み」を捨てるのか』である。日本の状況を冷静に捉え直し、これから日本がどうしてばいいのかを提案する本になっている。

本書は決して日本の良さをただ褒めるだけの薄っぺらい本ではない。あくまで現状の日本のいいところ、悪いところをはっきりとさせ、いいところを伸ばし、悪いところを改善するためにはどうすればいいだろうか?という議論に徹する。

それは必要以上に悲観的でもなければ楽観的でもない極めて現実に即したものであり、そのような姿勢で物事を見ることは重要だ。

日本の経営の実践的強み

昨今、ビジネス、経営学界隈には次から次へと新しい横文字が生まれている。代表的なもので言えばアジャイルやリーン生産方式などがあるが、それらはほとんどが海外、主にアメリカから持ち込まれた概念である。

しかしながら、この数々の概念が実は日本企業が元になっていると知ったら皆さんはどう思うだろうか?疑問に思うかもしれないが、調べてみると確かにこれらのコンセプトは元を辿ると日本企業発である場合がある。

我々は必要以上に日本が経営的文脈で優れている部分があるということをなかなか認識できていない。「隣の芝生は青い」という言葉があるくらいなので、なかなか身近なものの凄さが認識できていないのかもしれない。

実際に例を挙げると、リーン生産方式などはトヨタのカンバン方式にその源流を持つし、両利きの経営などもトヨタのカイゼンにその萌芽があると認識できると筆者は論じている。

では、このような強みを持っていたはずなのにこういったコンセプトたちは日本で生まれることにならなかったのだろうか?

日本のニガテな『コンセプト化』

結論から言えば、日本は現場に根差した極めて実践的な方法論やその組織内で最適化するための経営知識を考えるのは得意だが、それをより普遍的なものにするのがニガテだったからである。

つまり、日本でだけ、自分の企業だけで役立つように作ったものを抽象化して他の企業や、他国でも役に立つようにすることを怠ってきたのだ。

これが、海外から先進的な経営コンセプトを輸入してくる状況になった要因の一つなのである。

言い換えれば、アメリカはこの『コンセプト化』をものすごくうまく行ったおかげで、GAFAMのような巨大テック企業や世界的企業を多数生み出すことができているのだ。

日本でも最近は『外資系企業』なるものが人気であるが、特にマッキンゼーやBCGといった戦略コンサルティングファームなどはまさにこういった『経営コンセプト』を企業に対して提案することで利益を得ている。

まとめると、日本が強みを活かせなくなってしまったのは、自分たちの強みを世界や自社以外の文脈で活かすためのコンセプト化を怠ってしまったために、日本の凄さに気づいた他国が先にそれをコンセプト化し、世界に広めたからなのだ。

『経営』が『経営学』を軽視してきたという仮説

本書としては、日本企業が強みを活かせなかったのは、コンセプトができなかったからという結論に至ったのち、『どうすれば再び日本企業の強みを活かすことができるか?』という議論に移っている。

しかし、私はここではもう一歩先に問いを進めていきたい。その問いは『どうして我々は自分たちの強みをコンセプト化する機会を逃してしまったのだろうか?』という問いである。

まず初めに断っておくと、私はこれから述べることについて何かしらのデータをとってみたり、実際に研究してみたわけではない。あくまで仮説の範囲を出ないということである。なのでもしこれから発表する仮説に反論がある場合はぜひTwitterなどから反論を送ってほしい。


私が思うこの疑問への一つの答えとなる仮説が、『日本企業の経営者たちや実際に働くビジネスマンたちが、学問としての「経営学」というものの重要性を軽視してきたからではないか?』というものである。

というのも、経営学を学んでいるとよく聞く言葉が「経営学ができても経営はできない」とか「経営学を学んでも経営には役に立たない」という言葉たちである。

経営学を学んでいる者としては反論していきたいところなのだが、実際経営学を学んでいても経営ができるわけではないというのは全くその通りだと思う。それに、経営という行為は生きている行為であり、経営学のような論理がそのまま当てはまる状況がすくないことももちろん理解している。

しかしながらこのような「経営は実践してなんぼ」という考え方が、日本の経営学の発達を妨げてきている側面は大いにあるのではないだろうか?

この背景には、これまでの日本の産業史の中で成功したと言われている人たちが全て「実践」に根ざしていたからという理由が考えられる。

本田宗一郎や松下幸之助、稲盛和夫、そして最近でいえば柳井正や藤田晋など彼らが書いた本などを読むと、基本的に全て経営の実践から得られた知識や経験が重視されている。

彼らが書く本がそういった傾向を持つのは当たり前のことであり、その内容というのは実際に数々の修羅場や実践を経験してきたからこそ書くことができるものだ。

しかしながら、それらの内容は決して理論的なものではなく彼らのいた環境文脈に依存することもまた確かなのである。我々がそこに書いてあることを真似したからといってそれが成功する確率というのはかなり低いと言わざるおえない。

一方で経営学の役割は、こうした実際に経営していて生まれてきた様々な知識や法則を抽象化し、普遍性を持たせることである。つまり本書で言われている「コンセプト化」をするのは経営学なのだ。

そしてそれを他の経営者たちに還元していくことが経営学の役割なのだと私は思っている。また経営学を学んでいるものも、実践と学問はイコールになるわけではないという謙虚さは常に忘れてはならない。

ただ、経営者側がそのコンセプト化した経営学についての重要性を認識していないと「どうして経営をしていない経営学者のいうことを聞かないといけないだ?」と門前払いを受けてしまう。これはお互いにとって不幸なことなのではないだろうか?

つまり、まずやることは経営者は経営学の重要性と有効性を再認識してもらうことだろう。実際に経営を実践して、様々な事例やデータを集める経営者側と、それをコンセプト化しさらに洗練されたものに紹介していく経営学側。この両者の相互扶助的な関係を築くことができれば、日本に眠っているたくさんの経営的知識を活かすことができるのではないかと思っている。


経営学は面白い

最後に経営学の重要性を皆さんに知っていただくにあたり、実際に現在大学で経営学を学んでいる私から経営学の面白さを紹介したいと思う。

経営学の面白さは、その複雑性にある。経営というのは一つのパラメータで簡単に動くものではない。そこにはたくさんの指標があって、一つの現象を説明するにもたくさんのことを考慮に入れなければならない。

さらに、経営学というのは様々な学問がたくさん応用されて成り立っている学問である。そのため社会学、経済学、心理学などはもちろん、生物的な考え方や歴史学の知識が入ることもある。

この分野横断的な複雑性こそ私の中での経営学の魅力の一つである。

そして、この魅力を詰め込んだ書籍が本書と同じ岩尾先生が書いた『世界は経営でできている』である。そちらの書評も書いているので気になったらぜひ読んでみてほしい。

ではまた。


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