#8 【書評】映画を早送りで見る人たち
タイムパフォーマンスは正義か?
『10分で痩せるトレーニング!!』
『1ヶ月で英語がペラペラに!!』
『1日5分で教養がつく!』
きっと誰もが一度はこれに近い(もしくは全く同じ?)ものを見たことがあると思う。最近はこれらのような「手軽」で「時間がかからない」ものが主流になってきている。
堀江貴文氏による「すしに何年も修行するのはバカだ」という発言や「生産性」という単語が会話に出てくるというところからしても、時間をかけたり、無駄なこと(正確には「無駄に見えること」と言えるかもしれない)を忌避する傾向は若者を中心に広がっていると言える。
その延長線上に出てくる話題が、「タイムパフォーマンス」いわゆる「タイパ」主義である。とにかくなるべく時間をかけずに高い効果を得ようとするこの考え方は、一見すごく理想的でいいものと思える。
しかし、このタイパが今少しおかしな方向に進んでしまっていることを指摘するのがこの本の主題である。
どうしてここまで待てないのか?
タイパという言葉に隠れている気持ちとして、とにかく無駄を省いて短い間に結果を出したいというのがある。
今の時代、Youtuberやインフルエンサーのように若くして成功(この場合はわかりやすいように成功と書いているが、果たしてそれが本当に成功なのかはわからない)している人が多く、またそれがSNSを通して見えやすくなっていることで「自分も早いうちに何かしら個性を見つけて結果を出さなければ」という一種の強迫観念に駆られてしまう。
そして、その個性を獲得するまでの時間は短ければ短いほどいいと思っている。昔のように何年も修行してようやく一人前という綺麗事は通じないのだ。
一言言っておきたいが、私は手っ取り早く個性を獲得するのが悪で、苦労してようやく獲得することが善と言いたいわけでは全くない。
ここで考えてみたいのは、果たしてこのようにしてなるべく手っ取り早く、効率的に獲得した個性というのは、本当に個性と言えるのだろうか?ということである。
本当の意味での個性とは?
では本当の意味での個性というのは一体なんなのか?そして、どうすればそれは獲得できるのだろうか?
ここで私が思う仮説を一つ提案したい。それは、「個性的な人たちというのは、個性的になろうとしてその個性を獲得したわけでは決してない」ということである。
一見矛盾しているように思うかもしれない。しかし、それがあなたの個性であると人に言われる部分は案外自分ではそう思っていない場合もある。それが自分の中では当たり前だからだ。
この「当たり前」のレベルにまで落とし込めて初めて個性と言えるのではないか?それは決して、効率性やタイパを求めて達成できることではなくて、むしろある程度の無駄と時間をかけることで初めて自分の当たり前になってくるのではないだろうか。
そして、個性を獲得するまでに経験するさまざまな無駄や時間ですら楽しいと思えたり面白いと思える分野こそ、それがその人にとって個性になり得るものなのではないかと私は思う。
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