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革命的ミニマリスト宣言・太宰治のドストエフスキー・詩振郁終の人間失格

ルネ・ジラ−ルの地下室の批評家を15ページほど読む。
モデル(欲望の対象)が障害物に変化すればするほど障害物を崇拝するようになる、挫折の条件が整う度欲望は燃え上がるが、精神医学者はそれをマゾヒズムで隠蔽する、だが欲望が志向するのは挫折ではない。
ドストエフスキーの登場人物のライバル関係は同時にモデルとなりえる。
それに対する憎悪と崇拝は怪物的な偶像を倒したい衝動と、融合したいという衝動の相互転換を容易に理解させるらしい。
(15pまでの大体の内容)
図書館で適当に借りて来たのだけど、模倣(ミメーシス)理論の提唱者だと全く知らなかった。他人の欲望を欲望する、というものらしい。調べる以前に無意識的模倣という文字が本の上に踊り出てきた時には頭が痛くなったが、面白そうではあるので頑張ってみる。


革命的ミニマリスト宣言

本を処分するために、要らないと思った本を読む。私はミニマリストに大分影響を受けている。彼れら彼女らの部屋は、本当に美しいと思う。僕はこう思う。もし全世界の人間がミニマリスト(それは求道者の姿のようだ)になれば、世界は真の合理で動くことは間違いがない。全世界の部屋から積読は除かれるだろう。家族関係の問題ですら、全て解消される。(無論家族という共同体でさえ)人間の労働環境は劇的に変化するだろう。無論、余暇が有り余る方に。
本など回し読みや電子書籍に頼ればいいし、あらゆる主義思想の孕む、権力の蓄積の欲望は全て消え去るに相違ない。
その点で私は詩的空間において革命的ミニマリストを宣言する。

革命的ミニマリスト宣言 終


しかし現実的空間において、私はそこまでラディカルにはなれない実存を抱えているのは自明なので、少しづつ物事にあたっていこうと思う。
さて、その一段階として、少年期に読んだ思い出深い、太宰治の本を読むことにしよう。

……

当時は全く理解できなかったのだが、太宰治の目にシェストフやベリンスキーが偉大なヨーロッパの思想家だと憧憬の目で見ているのが伝わってくる。『ドストエフスキーの生活』でもある程度ロシアの文学批評家のへの言及があったりしたし、ほかの評伝などを読んだりするうえで少しばかりは理解が積もることもある。それらを踏まえると太宰もやはり知識人であるというのが見て取れる。そして彼はドストエフスキーを愛読していた。 

『二十世紀旗手』の『虚構の春』に詳しくある。
ここでも面白いことがあるのだが、当時はドストエフスキーブームだったようだが、今単純に小説としてドストエフスキーを読む人ですぐシェストフなどを読む人がいるだろうか?

ドストエフスキイの生活の中で記載されている限り、ベリンスキーは後期の反動化したドストエフスキーと袂を分かったようである。シェストフは解説者の米川正夫(ロシヤ文学研究者)にアンドレ・ジッドが巻き起こしたドストエフスキー礼賛に乗っかり、第一次世界大戦が形成した「不安の時代」に乗っかったに過ぎない、ドストエフスキーの文学を否定の哲学に貶めたに過ぎない、と大分低い評価を下している。ロシア人であるシェストフをフランスの文学研究者に先に発見されたことで、当時の思想界からロシア文学者が莫迦にされたと同じ解説に書いてある。
私はシェストフを読んだことがないので裁定は出来ない。

現代のように精神疾患がいくらでも快楽に結び付くような時代に、先駆者として太宰はいたのだろうう。地元の名士の元に産まれた10番目の子供。かれはマルクスの思想、革命の思想を齧り、オブローモフ(余計者の意。あえてインテリゲンチャではない)として生きざる負えなかった1930年代。
ドストエフスキーが死去した年は1880年であり、当たり前だが約50年の隔たりがある。
ただし、ドストエフスキーが外国で評価されたのは死後20年後ほどだったと何かで見た記憶がある。

ドストエフスキーは、ロシアの民衆こそが真のロシアのキリストを産むと叫んでいた。
正教を擁護するドストエフスキーは神秘思想に走り、ロシア帝国の権力の源泉の一つである正教を擁護するドストエフスキーは、もちろん自由主義者には受け入れられなかった。
ドストエフスキーのほうでも自由主義がなにを生み出すかは理解していたので嘲笑した。
小林秀雄はナロードとはロシアから古くある言葉で、英語ではpeopleと訳すことを指摘している。つまりナロードニキの運動はポピュリズムだということだ。恥ずかしながら、無学な私は読むまで知らなかった。

ナロード(民衆)という言葉、例えるならば私たちが『群衆』と呼ぶ時に、顔の見えない大量の訳の分からない人間たちがいる。
満員電車や渋谷のスクランブル交差点などもいい例かもしれない。
小林はその曖昧な言葉を使わざるおえないロシアの知識人のその言葉の遊離、そのインテリゲンチャと民衆との間の断絶の中に身を横たえ絶叫した作家だと評した。そしてドストエフスキーはその曖昧な民衆というものの貌を、正教とキリストで説明しようとしたと。


太宰治の個人史など、ほぼ知識がないので適当な事を言おうと思う。
無論、日本帝国がそのような太宰治が生くる環境を提示出来たはずがない。帝国を僭称してから日が浅い日本にとってこのような精神の病んだ知識人など、余計者でしかないのは明らかだ。だが、帝国を責める訳では全く無い。責めるには彼は人間としての快楽を知り過ぎていたと思う。
今、太宰治の人間失格を少し捲った。
主人公の写真には明確に、死を追い求める美青年スタヴローギンが写し出されている。破滅の政治家ピョートルは終ぞこの作家の心を捕えなかったのだろうか。なんにせよ処分する為に読み直そうと思う。

詩振郁終の人間失格

私は中学三年生の頃、太宰治の人間失格を読んでから二年ほどの間、酷い憂鬱症になったのを覚えている。これの面白いのは、この本を読んで、その瞬間にハッキリ憂鬱症になった、という明晰な記憶があるのだ。
つまり、この本には15歳の私を鬱状態に陥らせるほどの力を持っていたことになる。
15歳の私はニキビが大量に出来ており、アニメオタクであった。そして、学校の成績は非常に悪かった。
まず中学校の授業時間は5、6時間だと記憶しているが、私は1時間しか起きていなかった。つまり他の時間は全て机に突っ伏して睡眠をしているのである。そしてこれは決して、人間失格の主人公のように意図して道化などやっていないのである。因みに私は高校受験の際はじめてユーラシア大陸の名前を覚えた。
それを面白がる人間というのは一定数存在する。幸い友達は少なくは無かった。つまり人間失格を読む前から道化だった自分がここに発見出来る。
(私の友人なぞは私のことをお笑われ芸人と呼んだ。)

しかし、人間失格では、お笑われ芸人になれない主人公は、道化を発明するのである。

そこで考え出したのは、道化でした。

人間失格:新潮文庫 p14

この道化がどうなるかは太宰の小説が語りすぎるほど語っている。私は慄いた。その慄きは二年に亘って私を支配した。
私はその二年間は、道化ではなくなっていた。生来の道化が、自分を道化だと認識した時にどうなるだろうか? 
因みに、最も優れた詐欺師とは自分をも騙すそうだ。
因みに現在の私は、仕事をやめたばかりで、エロゲームを偶にプレイし、今でもアコースティックギターでスクリーモを成立させる夢を見ている。(昔作った曲がコチラ)自涜は週に二回ほどである。そしてメンタルクリニックの予約を今日した。さらに一つ付け加えさせていただくなら、実家住みだ。


サルトルが言うには、自己を意識するとは自己を対象にすることで、その自己から後退することだとある。自己であるとは、自己であることを演技する、すなわち自己欺瞞者がここに生まれると。
ここに十五歳の全く勉学を納めていない猿同然の男が、はじめて観念に向き合った場合どうなるかは、同じ十五の野蛮人の魂を持った人間にしか理解の出来ぬことだろう。少なくとも私は自殺を何度も試みたし、友達なども恐ろしいほど減った。 では二年経ってからはどうだ?
私は高校を問題行動で辞め、自らの人生など全くもって想像が出来なかった。
今でさえ問題は解決していない。だがその問題とは、食うに困るだとか、実際的なことが全く出来ないだとか、そういうものである。仕事などは全く持って続かない。しかし、働かずにいることは本当に快楽だと。
十五の猿の魂は二十七のテクネーに癒される(詩振)

すなわち、ここに快楽を見付けてここに居るということは、最早これは積極的な失格なのだ。そしてここで太宰が消極的な失格をしたとでも言えるのか?小説家を生業とするのならば人間の精神の内奥を見付けることは活動の第一義だと思う。 つまり何が言いたいかというと、太宰を十年以上読んでいなかった自分の中で、彼は惰弱な存在だと決めていたが、今ここでその観念を疑おうというのである。

何でもいいから、笑わせておればいいのだ、そうすると人間たちは、自分が彼等の所謂「生活」の外にいても、あまりそれを気にしないのではないかしら、とにかく、彼等人間たちの目障りになってはいけない

人間失格:新潮文庫 p16

疲れて仕舞ったので、今回はこのへんでお暇させてもらう。
なにか面白いものが見つかればそれを書こうと思う。
此れを書き始めるのに夢中になって16pしか読んでいない。






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