吉野拾遺 下 06 異果ヲ食ヒテ死スルコト

【異果ヲ食ヒテ死スルコト】
 おなじ比、先帝の御廟のうしろのかたに、異木のおひ出でけるを、誰もしらで過ぎにしかば、その年三尺あまりにのびけるままに、人見つけにけるに、いかなる木ともしらず。木の皮はさくらにひとしくて、葉はかつらのやうにて、それよりはいと大きなり。またのとしの春、きさらぎのころに、花の咲けるをみれば、つばきのなりして開けたるが、五寸ばかりもあるらん。色はちしほの紅もおよびがたきほどにてなん有りける。しぼみちりて、秋の半に実のなりけるが、いと大きなる柿のなりして、初より花のいろのごとくにあかかりけり。ふるき山人あまためし出されて、尋ねさせけれども、しれるものなし。典薬頭も古きふみにも見え侍らずと奏し奉れば、「かくあやしきものは、さてありなむ」とて、まはりをきびしくかこはせて、人をつけてまもらせ給ひけるに、源康村が下づかへのわらはが、よるひそかに此の実をぬすみとりてくらひけるに、あぢはひのかうばしきことは、ものになぞらふべきもあらずといひけるが、かしらよりあしの先までただ赤くなりぬること、たとふべくもあらず。ここちそこない、二三日して死ににけり。その木もしはすばかりのゆきにあひてかれにけり。いとあやしき事にこそあれ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?