吉野拾遺 下 03 康方水練ノ事

【康方水練ノ事】
 将軍の宮、若き殿上人あまたともなはせたまひて、よしの川にて、鵜をつかはせて御覧ありけるに左衛門尉康方がわかかりける時に、鵜の鮎を食ふを見て、「あたらことにこそ。鳥の食ふ鮎をとりて、まさな事にせさせ給へかし。あみこそよかるべけれ」といひけるに、みな人をかしがらせ給ひて、「汝あみさばきなんや」と、のたまはすに、「いとよくさばきなん」といひて、あみをもちていづるに、衣皆ぬぎすてて烏帽子はありしままにありけるを、緒をつよくしめ、船にのらんとするに、「ただおきたれ。いとあやしう」と制せさせ給へども、「何かは」とて、あみをうちいれけれども、魚ひとつもなかりければ、人々笑ふに、又あみを入れむとして、ふみはづずが如くにして、つぶつぶと水のそこに沈みけるを、「さればこそ」とて、人々さわぎて、水に馴れたるものどもを、川下にいれて求めさすれども、あへてみえず。暮れなばかがり火にて、鵜を使はせてむ、蛍のおもしろからしなど、おもひ給へる興もつきて、せめてはなきがらをだにと、岩根々々を隈なく見せさせ給へども、かひなし。したしきがもとへ、人をはしらせなどし給ひ、一時がほども過ぎにければ、人々はかへり給はむといひあひ給へるに、すこし川上のかたに、烏帽子ばかり水の上に見えけるを、「あれあれ」といふがうちに、かほばかりさし出してうち笑ふを、「いかにととはれて、まさなごとにせさせ給はむほどのものは、あみにてはとめえじと思ひ侍ひて、水そこをもとめ侍りしに、ここもとにはさぶらはで、宮の滝あたりまでゆきてこそ。おもふほどにはさぶらひ給はねど」といひて、うきあがるを見れば、三尺ばかりなるすずきといふ魚と、二尺余の鯉とを左右のわきにはさみて、ひる子のさまして岩の上につい居けるに、人々おどろきて、宮にもなきもとおもひなして、あわてさわぎつるさまなど、かたり給ひて興に入り給ひぬ。其の夜、鵜をつかはせ、蛍をとりなどさせ給ひて、つとめてうへの御前にありつるすずきを奉りて、康方がことを奏し給ひければ、「興あることにこそ。ちかきほどにみゆきありて御覧ぜさせ給はん」とのたまはせ給ひけりとかや。

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