厚木の山奥で働くサラリーマンがワークショップデザイナー(WSD)というものを学んでから4年近くがたち、いまさらWSDを学んでよかったことを振り返ってみる
厚木の山奥で働くサラリーマンがワークショップデザイナーというものを振り返ってみる。
WSD=青山学院大学社会情報学部ワークショップデザイナー育成プログラム
http://wsd.si.aoyama.ac.jp/
しかも、書きなれない「note」で。
なのでnoteなのにnoteの特徴を活かさずに書いています。。。
note(ごめんなさい)
はじめに
今回の記事を一言で要約します。
WSDで学ぶと会議に対する感度やKAIZENポイントがわかるので働く人みんな学んでおいたほうがいい
なぜ、そのように考えるのか?について今一度文章化することで、自分自身にとってWSDとは何か?について振返りたいと思います。
その前に・・・
<わたしはだれ?>
もちろん、わたしはわたしをわかっているのですが、私のことを知らない人へ(WSD修了生のみなさまへ!!(^O^))
WSD名:イワモー
まるで源氏名のようですが、WSDに行けばわかります。
「はじめまして、イワモーです!」と挨拶できるようになるまで幾ばくかの夜を過ごしました。こちらもWSDに行けばわかります。
※)真ん中の「ワ」が書き方によっては「ク」に見えるらしく、たまに、「イクモー」と呼ばれます。
最近、これは、書き方だけが原因ではなく、自身の頭髪の変化に合わせて、希望と応援を込めてみんなが呼んでくれていることに気づきました。
WSDヒストリー:2017年青山学院大学ワークショップデザイン講座受講(21Aです)
仕事:人事の中でも明るい方全般(採用、人財育成、組織開発領域)
ちなみに頭部も明るくなり始めています。ある意味「フラクタル」
<なぜ、サラリーマン=組織で働いている人はWSDを学んでおいた方がいいと言い切れるのか?>
会議の進行力が身に付くだよ!
みなさんの会社では会議進行に違和感を感じたことはありませんか?
ぐだぐだでどうしようもない会議はさておき、、、
きちんとagendaや目的も決まっおり、ファシリテーター役もいるのに、なぜか腑に落ちない。。。そんな経験ありません?
それって、会議進行ではなく、懐疑信仰になっている可能性が高いのです。
懐疑:疑いを抱くこと。
民主主義というものに対して、漠然たる懐疑めいたものが瀰漫している。(宮本百合子『誰のために ――インテリゲンツィアと民主主義の課題――』)
多くの青年は初め善とは何かと懐疑する。そしてその解決を倫理学に求めて失望する。(倉田百三『愛と認識との出発』)
信仰:この世のことわりを超える力を持つとされる神や仏などといったものなどを、物事の筋道を超えて受け入れて尊び、それを心の拠より所とする営み。
如何なる宗教でも、他の国民の間に伝播して行く際には、その国民の有して居った旧信仰と衝突するものである。(桑原隲蔵『老子化胡経』)
目的や自分が何のために、なぜこの場所で会議なるのものに参加しているのか?私は必要だったのかしら?・・・と懐疑的になり。
きっと、仕切っている人が何とかしてくれる(^ム^)
あぁ、偉い人がいるから偉い人が気の利いたこと言ってくれらぁ(*´ω`*)
と信仰し
結果として、会議に対する違和感が生まれるのではないでしょうか?
よし、関西人としてうまいこといえた!笑
あなたのまわりにこんなひといませんか?
会議中、内職しまくっていて、それでも要領よくポイントだけは押さえて回答できており、質問や最後のまとめ的な一言もきれいに回答できている
もしくは
会議中、内職しまくっていて、それでいて要領いまいちで、ポイントも外し気味でその場しのぎの回答はできており、質問や最後のまとめ的な一言の際にはだれかのテンプレ回答してやりすごしている
そんなひといません?
だとしたら、このひとたちが「会議違和感シンドローム」の根源かもしれません。
なぜか?
①参加と②学習という観点で持論(ぐち)をぶちまけてみたいと思います。
①参加しているけれど、参加していない。
上記の例はあくまで一例・・・ほかにもイカしたシーン枚挙にいとまない系かと思いますが、、、
この繰り返される最悪PX(MX)※が、チーム、および、チームメンバーにとって恐ろしく最凶なUXとなってしまうのです。
※)PX:Paticipant Experience もしくは、MXの方がいいかしら? MX:Member Experience(←イクモーの造語)
「あぁ、あの偉い人も適当に流してきいてらぁ」
「あぁ、ぼくの先輩も適当に流して聞いてらぁ」
「でも、しっかり的を得た言葉でしめくくっているし
なんか、仕事できる(風)だし これでいいのかも」
そして、いつの間にか「参加しているけど、参加していない会議」の増産体制が整ってきます。
MTGのレベル(適当に聞き流しても叱られない)によってはそれでいいんじゃないの?
分かります。。。ぼくもそう思っていました。
WSDで学ぶまでは・・・
会議という言葉の定義が人によって異なるので、何とも言いにくいのですが
そんな場は会議ではなく、カスケードの場です。
ぼくの考えるMTGの場ではないです。
もしくは、最初から「今日のMTGは内職大歓迎です!それっぽいリアクションをしてくれればそれでOKで~す」といえない場で、上述のようなことが起こっているならば・・・
何かが変です。そんな場を会議といえるのだろうか・・・
②そして、チーム、および、メンバーは学習します。~学習性無力感~
一概には言えませんが、チーム、チームメンバーは学習します。
「この会議は(このチームは)適当に流してもやっていけるぞ」と、、、
そして、「適当にこなす」もしくは、「腹落ちしないまま情報(仕事)を受け取り、腹落ちしないまま仕事をこなす」といった思考、行動につながり
最初はMTGにおける振る舞いレベルだった話が。。。。
組織の生産性にまで発展していくという。。。
やっぱりフラクタル
そして、主体性の無い場があちらこちらと量産されていき。。。
気付いた時には。。。
これより先はイマジネーションにお任せします。
で、なぜWSDを学んでいてよかったのか?
上述の熱っぽく書いたことって、いろいろな、いわゆる自己啓発、生産性向上、ハック系の本に書いてあることなのです。
でも、当たり前なのですが、読んだだけで身につく、気づくなら、同じようなジャンルの本が毎年販売され続けるわきゃないってことです・・・
青山学院大学ワークショップデザイナー講座で身銭を切ってまなび、理論を知り、そして学んだことを素敵な仲間と実践し、継続的に学び続ける素敵な仲間(WSD修了生)がいるからこそ、気づき、行動変容に移すことができたと思うのです。
そう、会議進行の重要性に気づき、「みんなが参加する会議」を実践するようになりました。
(まだまだできていないことが多いけど・・・)
「日本の会議を今一度せんたくいたし申候」
これからも、日本の・・・の前に、
半径5m以内の会議から実践していきたいと思います。情報交換、学びあい、べスプラシェアリング、大歓迎!
ちなみに、このnoteを描くきっかけをくれたのもWSD修了生仲間です。
最高なプレッシャーを用意してくれる仲間がいるって最高ですね。
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