【極論】アフターコロナから、未来の大人へ
教育は国家百年の計 の言葉にある通り、人、人材を育てることは社会にとって大変重要な課題である。長期にわたる持続可能な社会を考えた場合はより重要度が増すと思われる。
そして今、コロナ禍の中、その教育に格差が広がっているという。これは世界的な傾向のようだ。
世界の状況
コロナ禍で世界の格差は広がっているようだ。
コロナで「不平等露呈」 教育格差是正へ投資を―アズレ・ユネスコ事務局長:時事ドットコム
日本と格差
米・仏・シンガポール・スウェーデンの「教育の今」 第二波に備えて日本は?
私の感覚だと、自治体、学校、先生の取り組みに関しもともとあった差が、コロナ禍でより大きく広がっているように感じる。
これは、国の計画の全体像がきちんと提示できていない、もしくは周知できていないように思う。
その為、意欲のある学校、社会では、創意工夫をスピードを持てって、創意工夫を働かせて教育を停滞させずに舞絵に進めている。
それに対し、何も策を講じない社会、学校は、完全に停滞し、下のレベルがどんどん下がり、格差はどんどん広がりつつあるように思う。
今必要なのは最低限のレベルを確保する施策と、上のレベルをどんどん伸ばして世界レベルに対抗する施策だと思う。
長期で成果があるものこそ借金で賄うべきでは
教育には予算と人材が必要だが、今の施策が何十年か先に大きな影響を与える。こういう予算の財源こそ赤字国債の発行が適していると思われる。
財源が確保できて、かつ適切なお金の使い方ができれば、人も物もついてきて、物事が好転していくのではないだろうか。
以前の記事に、借金は時間の先買いと記載した。
未来の大人たちの為に必要なお金を借金し、そのお金を役立てた人たちが、数十年後に多くの社会的価値を生み出し、借金を返していく。
実に理にかなっていると思うのだがどうだろうか。
どうも社会が、赤字国債を十把一絡げにしているように感じる。
このような風潮はいかがなものか。
後世に背負わせていい国の借金もあると思うのだが。
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