自分の意思決定に後悔しないために
自分で決めなければいけないことが多い世の中だな、と感じる。
高校、大学、就職先、転職先、結婚相手、などを自分で決めなければならない。
仮にそれらの選択肢を選ばないとしても「選択肢を選ばない」という意思決定をしなければならない。
もし自分の過去の意思決定を後悔した時、その決定の責任を自分で引き取らなければならない。
例えば、「学ぶ専攻を間違えた」と思うのであれば、専攻選びに失敗した自分が悪いのだし、「結婚する相手を間違えた」と感じるのであれば、その人を運命の人だと感じた自分が悪いことになる。
一見、自分でなんでも選択肢を決められることは人間を束縛から解放し、より自由にしているように見える。
しかし、自分で全ての責任を引き受けなければならない世の中は辛い。
常に比較に晒され、自分がその比較の中で勝ち上がるための意思決定を迫られる。
全部あなたが選んできた道だし、あなたがやりたいことをやってきた結果である。
だから失敗した時、後悔した時はあなたがその責任を引き受けなければならない。
でも最近は「全ての結果は最初から決まっている」のだろうな、と思う。
人間が並行には生きられない以上、そして一方向一世界の時間軸を辿ることしかできない以上、「自分の行動の選択」によって「結果」が一意に定まってしまうように感じる。
自分の意思決定によって未来の結果は常に変化しうるものだと感じてしまう。
しかし、一方向一世界の時間軸しか得られない制約条件を我々が持っているからそう感じるだけなのではないか。
実際には「結果」は「自分の行動の選択」にかかわらず、決定論的に最初から存在していて、それを一つの方向から追体験しているだけのではないか。「結果」は最初から決まっているのに、「意思決定した」と感じているだけなのではないか。
だから自分の意思決定で大きく未来を変化させるように感じられてしまうけれども、それも含めて最初から決定されているのだと思う。
この考え方は残酷なようだけど、自分の肩の荷を軽くしてくれる。
全部最初から決まっている。
あなたの意思決定にあなたが責任を負わなくても良い。
自分は結果に対して、そこへの「いき方」を変えているだけなのだから。