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あっこ先生の自分と仲良くなるWSか~ら~の~?その3

(この文章は、ブログ用に書いたものを一部リライトして転載したものです。ブログはこちらから→あっこ先生の自分と仲良くなるWSか~ら~の~?その3

あっこ先生の自分と仲良くなるWSか~ら~の~?その1
あっこ先生の自分と仲良くなるWSか~ら~の~?その2


 直近の過去世は、第二次世界大戦、沖縄の地上戦で散った名もなき小さな女の子だった私。しかし、あまりに自覚症状がなさすぎて、映画を見た後のような気分でした。今までいくつも過去世思い出してきましたが、思い出した後一番すっきりしなかったかも。

 正直なところ、今世の私にとって、沖縄は非常に縁の遠い土地。親戚・友人等もいません。恥ずかしながら、「沖縄慰霊の日」は存在は知っていたものの、日付は把握していませんでした。なので、余計に沖縄のこと思い出した翌日にヤ〇ーニュース見て、そこにずらっと並ぶ「沖縄」の文字にびっくりして「呼ばれた」と感じたわけですが。

 一度親戚の結婚式のために沖縄を訪れたことはありますが、観光ばかりで特に「懐かしい」とか感じることもなく、その後も、「海でのんびりしたい」的な感じで「沖縄の離島とか行ってみた~い」と口で軽く言う事はあっても、「ぜひとも、沖縄に行くぞ!」と思ったこともなく。

 とにかく、直近の割には全く心当たりがない。あえて言うなら、小学生の頃に初めて「島唄」を聞いて、号泣したくらい(小学生にして号泣は、十分な心当たりかもしれん・・・)

 私は「今世の自分の幼少期に影響を一番与えた過去世」とその理由を知りたかったのに、なんでこれを思い出してしまったんだろう。

 「救いようのない話だ」と、誤解を恐れずに言うならば、私はそう思いました。


 沖縄のあるところに、小さな女の子の姉妹がおりました。姉妹はとても仲が良くて、いつも一緒に遊んでいました。ところが、ある日戦争がやってきて、逃げようとしたところ、お母さんともおばあちゃんともはぐれてしまい、2人だけになってしまいました。お姉ちゃんは必死に妹の手を引っ張って逃げようとしましたが、妹は転んでしまい、その転んだ妹に躓いた兵隊さんが怒って妹を殺してしまいました。お姉ちゃんは泣きながら妹を置いて逃げましたが、爆弾で結局死んでしまいました。多分、お母さんたちも死んだでしょう。一家は天国で再会しました・・・


 戦争の悲劇を伝える話としてはありそうだけれど、「私が今求めていたのは、そういうのじゃない」という想いが強くありました。戦争に対する個人的な想いはありますが、今はそこが問題なわけではないと。妹を殺してしまった兵隊さんだって、別に責める気にはなりません。生きるか死ぬか、極限の状態だったのだから、仕方なかった。

 戦争が悪かった。時代が悪かった。そうとしか言いようがない。そこから、「戦争はもうこりごり」以上に、私は何が学べる?7歳くらいの少女だった私個人には、何の落ち度もないではないか(ここで「落ち度」とか気にするあたり、私も重症な気がする)。あえて言うなら、「もう妹(=現長女)の手を放さない」くらいではないか?


 そんなもやもやを抱えながら、私は今世の日常生活を2~3日送りました。何の変哲もない、とても平和な日常でした。


 そして、2~3日経った後、私は夜布団に潜り込み、ふと隣でぐーすか寝ていた長女の背中に手を置きました(大抵うつぶせで寝ている長女)。

 「あの時は手を放しちゃって、ごめんねぇ」と心の中でつぶやいたら、ふっと、頭の中に、一面の青い海と、白い砂浜の情景が思い浮かびました。

 砂浜には、2人の女の子がいました。私たちでした。2人は楽しそうに叫びながら砂浜を駆けまわっていました。何もない砂浜でしたが、とにかく、走っているだけで楽しかったのです。

 ふと、後ろから声がしました。母のようでした。私たち2人は「はーい!」と返事をすると、その声のする方に走っていきました。笑い転げ、とにかく「楽しかった」という感覚しかありませんでした。

 すると、今世の長女(の魂)から声がしました。

「楽しかったから、いいんだよ」

 私は一瞬、言われた意味が分かりませんでした。私はその後の悲劇ばかりが気になっていたからです。

「『生まれてきた。楽しい瞬間があった』それでいいんだよ。
終わりが悪くても、それでいい」

 もう一度、長女(の魂)に言われました。

 そして、やや説教モードに入る長女の魂(笑)。

「『終わり良ければ全て良し』と思ってるでしょ?つまり、『終わりが良くなければ、悪い』と思ってない?そんなことないよ。『楽しい瞬間があった』のなら、それでいいじゃない。私は、あの転生、一緒に過ごして損したとか、意味なかったとか、そんなこと全然思ってないよ。楽しかった。一緒にいられて嬉しかった。それでいいじゃない。大体、あの時、私の手を放してなくて、2人で逃げ続けてたとしても、結果は同じだったじゃん?どっちにしろ死んでたんだよ。手を放したことを後悔するとか、そんな意味のない事しないでよ。第一、あなたはいつまで経っても過去のこと気にし過ぎてて、今を見てなくて・・・(以下省略)」

へぶしっ。

 またしても、長女(の魂)にやられました(;´▽`)

 そうか・・・。私は、「悲劇でしかなかった。しかも、そこから学ぶことも何もなく、意味のない過去世だった」と否定してしまっていたんだ。でも、楽しい瞬間は確かにあった。「生まれてきて良かった」と思った瞬間があった。それで、良かったんだ・・・

 ついつい、「人生の意味」とか難しいことをこねくり回して考えてしまう私ですが、「幸せな瞬間」という「今」があれば、それでいい。人生は「今」の連続なのだから。終わり方がどうなるかなんて分からない。終わり方を気にするのではなく、「今」を積み重ねていけばいい。「人生はシンプル」なのだということを深く胸に刻み付けられました。

 私はいつまで経っても過去にとらわれてばかりだなぁ。長女の「今を生きる」姿勢は、本当に、すがすがしい。


 そして、無事、この沖縄時代の過去世を受け入れられたら、ふと、今世の幼少期にこの過去世が与えた影響というものが分かりました。

あー、私、怒鳴られることがめっちゃ恐怖だったんだ・・・と。

 私、幼少期の記憶があやふやながらも、とにかく「怒られることが全力で大嫌いだった」ことだけは覚えてます。いや、「嫌い」とかそういうレベルじゃない。「恐怖」だったのです。

 おかげで、普通だったら幼稚園児なんてどんなに注意してもごそごそ動いちゃうはずなのに、私は「お山座りして動いちゃだめだよ」という先生の一言だけで、本当に息をしないぐらい微動だにしなくなったらしく、先生に「もっと力抜いて・・・少しくらい動いてもいいんだよ」と逆注意(?)を受けたこともある(笑)。まあ、それだけ、先生とかに怒られたり、大声を出されたりすることが、怖かった。

だって、この直近の過去世を思えば、
私にとっては「大声で怒鳴られる」=「殺される」なわけですよ。

「怒られるのメンドクセー」とかそんなレベルぢゃない。

 沖縄時代、妹が殺された場面は今回初めて顕在意識で思い出しましたが、私の魂は、近くで誰かが大声を上げる度に、あの時の情景を思い出していたんでしょうねぇ。

 先生や親にとっては、「大声」とか「怒鳴り声」のつもりではなかったかもしれないけれど、神経過敏だった私にとっては、ほとんど全てが「恐怖」だったんでしょうね。でも、それではまともに生きていけない。だから、「蓋」をしたのでしょう。だから、覚えていないのでしょう、そのほとんどを。

 そして、小学生くらいから記憶がぼちぼち残り始めたのも、「沖縄時代に死んだ7歳を過ぎ、大声から自分で自分を守る術」をちょっとずつ身に着けていったからなのでしょうね。

 なんだか、すっきり腑に落ちました(´▽`)笑。あんなにもやもやしてたのに。

 すっきりしたら、急に家族で沖縄でも行きたくなってきましたねー。


 そして、私は今世、今後何回、長女の魂に説教を食らうのでしょうか・・・(笑)。まあ、そのために一緒に生きてるのですが(´▽`)お互い好きねぇ。

 えー、そんなわけで、あんなに「重い過去世が・・・」とか言ってたのに、最後は明るく「沖縄行きたーい」で終わりますが、現場からは以上です!

 あっこ先生のWSは今後も続くので、またレポします☆

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紫枝(しえ)
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