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「パロマピカソの赤」

「口紅はね、ずっとこれ、パロマピカソよ」
高校生のワタシにチエミは金色のケースの口紅を見せてくれた。
その口紅の色は情熱的な赤。
まるで、チエミそのもののようにワタシは思った。
(いつか、ワタシもチエミみたいな大人になりたい……)
出逢ってすぐにチエミに惹かれた。
市が運営する英会話教室でワタシ達は出逢った。
高校生はワタシの他に2人くらいで、ほとんどが社会人。
チエミはお金を貯めて海外で暮らすのだと教えてくれた。
その頃のワタシの夢はファッションデザイナー。
学校の授業そっちのけで、デザイン画を幾つも、幾つも、描き散らかす毎日。
英語の授業以外は全く頭に入らないおかげで、成績はビリから2番目。
あんな授業態度で、ワタシがビリぢゃない事には正直、驚いた。ワタシの家の近くでは、1番偏差値の低い学校だったから、落第する事もなく、卒業する事ができた。

ワタシは学校が嫌いだった。
同じ年頃の女の子特有の空気。
ねっとりと絡みつくような、言葉では到底表現出来ないあの世界が苦しかった。
だから、3年生に上がる頃にはほとんどを家ですごし、気まぐれに学校に行くような日々だった。

チエミと過ごせる英会話教室だけが楽しかった。
チエミはワタシの世界を広げてくれた。
おすすめの音楽。
面白かった本。
感動した映画。
チエミがワタシにたくさんの学校では得ることができないトキメキをくれた。

英会話教室絡みで市のパーティが開催される事になった。
ワタシ達は英会話教室の生徒として案内人に駆り出された。
「英語ちゃんと通じるかな?」
「いざって時はジェスチャーよ!」
黒いチュールの膝丈のワンピースに身を包んだワタシは、何度もトイレの鏡の前で変なところはないかとチェックをしていた。
「似合ってるよ?そのワンピース」
チエミはニッコリと笑ってみせた。
そして、ワタシの顔を見ると、手元のポーチを開いた。
チエミの手にはパロマピカソの口紅。
「じっとしてて」
チエミは慣れた手つきでワタシの唇にチエミの赤をのせた。
「うん。バッチリ!OK。Will you come?」
「Positively!」
チエミとワタシはクスクスと笑いながら会場の扉を開いた。


あれから、どれくらいの月日が経ったのだろう。
風の頼りに聞いた。
チエミが、オーストラリアで、背の高いハンサムなパートナーと結婚したと……

あの頃の憧れだったチエミの年齢をとうの昔に超えていたけれど、ワタシはまだ一人。

チエミには言えなかった。
あの頃、もうワタシは穢れていた事を……

今もオーストラリアのメルボルンで暮らしているのだろうか?

携帯電話なんかない時代。
チエミのメルボルンの住所は忘れてしまった。

バネッサ・パラディのCDを聴きながら、チエミの唇の色を思い出す。

パロマピカソの口紅はもう廃盤になってしまっていた。

思い出の中のチエミの唇は今も色褪せないまま、パロマピカソの赤い色をしていた。

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