【ハーブ天然ものがたり】桔梗
星と風船と釣鐘と
ふうせんのような蕾をつける桔梗は、梅雨のころに開花をはじめて秋まで星形の花をたのしむことができる秋の七草のひとつです。
アジア原産で日本の国土にもふるくから自生する野の花。
桔梗のどくとくな紫がかった青は桔梗色と名づけられ、平安時代から代表的な青紫の伝統色として愛されてきました。
英名では balloon flower。
キキョウ属を学名表記にすると Platycodon となり、ギリシャ語の platys(平べったい)と codon(鐘)を語源として「広い釣鐘」を意味します。
花のカタチから釣鐘にみたてられたとのことですが、釣鐘は正式には梵鐘といって、インド神話のブラフマンをあらわす梵の字があてられています。
林に風がそよぐ「梵」の字から、ほんらいまるかったものの裾がひらき、うつほの状態で凝集されたエネルギーが下方にあまねくひろがってゆくようすを想像しています。
紫がかった青は、ことばをこえたエネルギーにつながる一点突破力を想起させ、まだ地上世界には登場していない名もつけられない概念を、開花とともにいっきに解き放っているかのような神秘的なハーブだと感じます。
うつほのなかにたまや霊がやどるおはなしは、過去記事にもいくつか綴りました。
植物のうつほ、空洞部分には たま(精霊)が宿るという説は、日本民俗学の基礎を築かれた二大巨頭、折口信夫、柳田国男がのこしてくれた、たくさんの著書のなかに、通奏低音のように横たわっている思想だと感じています。
桔梗はその花のカタチをよしとして、あるいは「更に吉(さらによし)」という語呂に縁起をかついで、家紋になったというおはなしものこされています。
秋の七草に詠まれ、家紋となるほどに親しまれていた桔梗ですが、近年は花野に自生する種はすくなくなり、絶滅危惧種にリスト入りしてしまいました。
逆に園芸種はふえつづけ、たくさんの品種が市場にでまわっています。
紫やピンク、白い花から一重咲き、八重咲き、大輪になるもの、さいごまで花をひらかない袋咲きなるものもあるそうで園芸市場はにぎやかです。
日本薬局方に桔梗根の名で収載されている桔梗の根は、せきを鎮め、痰をきり、膿を排出する作用があるとされ、代表的な漢方に桔梗湯(桔梗と甘草を配合したもの)があります。
秋になると根をほり、こまかくきざんで天日乾燥したものが家庭薬として使用されてきた歴史があります。
春の若芽は山菜として、おひたしや和えものにしていたといいます。
人里ちかく、陽あたりのよい野っぱらが里山として管理されていたころは、ヒトの生活圏内に自生する桔梗もおおかったので、地方ごとの呼び名もあり「ちゃわんばな」や「よめとりばな」と呼ばれていたそうです。
竜宮の鐘、秘する花
5弁の花びらをもつ植物はおおいですが、桔梗の花にはヒトのこころにふかく印象を刻印するとくべつなナニモノカ(秘密)がかくされているように感じています。
陰陽師である安倍晴明の住居跡に建立された清明神社には、いたるところに晴明桔梗とよばれる五芒星の紋が刻まれています。
境内には桔梗の園もあり、花期には360度、どこからみても美しい桔梗の立姿をたのしむことができます。
平安時代からつづく伝承にはさまざまな善悪説がありますが、安倍晴明しかり、神仙とともに生きくらすことが日常だった時代と現代とでは、ことばでつたえきらないアビスを共有することはできず、現代的につたわりやすい解釈である「昼メロチックな陰謀論、勧善懲悪、悪者はだれだ」的な成分が満載になってゆくのではなかろうか、と。
桔梗の名をもつ、平将門ゆかりの女人、桔梗御前にもさまざまな伝説がまとわりついていますが、現代脳を占有しやすいソープオペラ成分「恨み」「裏切り」「禁忌」「愛人」「謀略」なんかをこそげ落としてぜんたいをふわっとながめると、桔梗御前は竜宮に縁ある仙女で、平将門が地上世界と天界を往来するためのきざはしを担っていたのではないかと想像しています。
「悲劇的な最期」と解釈されてはいるものの、桔梗御前は竜に化身した説や大蛇、鰐に化身してこの世をさった説もあり、竜宮城からやってきたヒトならざるもの気配むんむんなので、その最期は竜に翼を得たるごとし、運命の輪をまわして地上世界をぐるり回転させたのち、天にかえってゆきました、という解釈もできるわけです。
日本三大怨霊として語りつがれる平将門ほどの人物を討ったという俵藤太秀郷は、桔梗御前の養父であり、桔梗御前をそそのかして将門の愛人になるようしむけ、桔梗御前から将門の秘密を聞きだし7人の影武者にまどわされることなく本人を討ったなど、謀と武勇伝の混在するナゾ人物です。
南方熊楠先生の「十二支考(上)」『田原藤太竜宮入りの話』に、秀郷の伝承はたくさん収載されています。
なかでも有名なのは浦島太郎の元型とも思えるような、竜宮城で巨大百足蛇を退治したおはなしです。
いまは近江八景にかぞえられ、天下の三銘鐘にも名をつらね、「声の三井寺」と称されるほどその音色がすばらしいと称えられる園城寺(三井寺)につたわる鐘が、その冒頭に登場します。
(現存しているのは後年つくられたもので「弁慶の引きずり跡がある梵鐘」は霊鐘堂に安置されています)
十二支考で辰の物語にあてられた「竜宮入りの話」のなかで、百足蛇退治を俵藤太秀郷に懇願したのは、太陽みたいにかがやく目と、冬枯れた巨木のような角と、くろがね色の牙と、紅の炎のような舌をもつ竜宮城の大蛇でした。
依頼を引きうけた秀郷は竜宮城へ招かれ、善尽くし美尽くしの歓待を受けます。
その夜、松明2、3千ほどにつらなり燃え上がるように竜宮城に向かってくる百足蛇を1の矢、2の矢、3の矢でようやくたおして、その褒美に竜神さまから太刀、絹布、鎧、俵、鐘をもらいうけます。
絹布は切って使うにさらに尽きることなし、俵のなかの納物も取れども取れども尽きることなし、財宝倉に満ち、衣装身にあまり、ゆえにその名を俵藤太といいけるなり、とつづきます。
「鐘は梵砌のものなればとて、三井寺へこれを奉る、文保2年三井寺炎上の時、この鐘を山門(比叡山のこと)へ取り寄せて、朝夕これを撞きけるに、あへて少しも鳴らざりける」
三井寺から比叡山にもちこまれた竜宮の鐘は、いくら撞いてもうんともすんともいわず、憎らしく思った僧たちは大勢で、梵鐘が割れるほどの力技をもって撞いたところ、竜宮の鐘は海鯨の吠ゆる声をだして「三井寺へかえろう」と鳴いたといいます。
これをうけて憎さ倍増した山門衆(僧たち)は、鐘を崖から落として木っ端みじんにしますが、そのカケラはかきあつめられて三井寺へおくりかえされます。
ある夜、三井寺にちいさい蛇がやってきて、尾でカケラをたたいたところ、あくる朝にはもとの鐘の姿にもどっていたといいます。
南方先生は「竜宮から出た物ゆえ、竜が直しに来た意味か、または鐘の竜頭が神意を現じた意味だろう」と解説されています。
鐘をうばったり、崖から落として割ったり、引きずって運んだりしたのが比叡山の僧ではなく弁慶によるものという伝承もあり、霊鐘堂に安置されている竜宮の鐘には生々しい傷跡がのこっています。
竜神VS百足蛇のフェイズでは、炎と風と水を司る竜神と、土精霊の象徴のような山に棲む百足蛇との決別があり、竜神さまの一部(カケラ)だった百足蛇は一段ひくいフェイズに降下(分化)して固形成分をつよめ、土元素界を確たるものにしたのではないかな、と。
上位存在が分化し、あたらしいフェイズを創造するために梵鐘のような砦で地上世界をかこって平定してゆく型は、三井寺VS比叡山の構図にも共鳴しており、いくら撞いても鳴らなかったり、だれもいないところでかってに鳴りひびいたり、植物が排出する溢泌液みたいな汗をかいて吉凶をしらせたりするフシギ鐘は、土元素優位な地上世界では役にたたない遺物となって、山の衆によって木っ端みじんにされたのち、竜宮城フェイズと地上世界フェイズに分岐したのだろうと想像しています。
竜宮の鐘を現世にもちこんだ俵藤太は、のちに藤原秀郷として平将門を討つ、と伝えられていますが、この二人のあいだでどちらの味方なのかわからないように伝承されてきたのが桔梗御前です。
桔梗をきざはしとして、地上世界創造にかかわった平将門と藤原秀郷の系譜は、元はひとつだったのものがある時代をさかいに決別したことを示し、将門は「竜宮城フェイズ」へ、秀郷は「地上世界フェイズ」へと分岐して、地球惑星が鉱物比率をつよめてきたことをつたえているのではなかろうか、と。
源平藤橘も元はひとつであることを知る桔梗は、その系譜をつなぐエーテル成分をたっぷりと身のうちに宿しながら、地上世界に花となって顕現し、地球に閉じこめられたヒトの聴覚では感受できない、海鯨の咆哮のような鐘の音を、いつでも鳴りひびかせているのかもしれません。
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