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人はなぜLo-Fiな写真に惹かれるのか?

私はノンコーティングのオールドレンズが好きで、今もっとも気に入っているのは1936年製のLeica Elmar 5cm F3.5です。特にモノクロフィルムとの相性が良いと思います。
それと比較すると50年代や60年代のライツレンズでも物足りなさを感じてしまうくらいです。まして最新のテクノロジーをこれでもかと詰め込んだ光学レンズならぬ高額レンズの描写にはまったく魅力を感じません。
はっきり写っていないからこそ想像力を掻き立てられるのであって、髪の毛一本まで写しこむことに何の意味があるのか甚だ疑問です。昨今の解像度至上主義には神経症的なものすら感じます。
技術の進歩自体を否定はしませんが、その過程において欠点とみなされて切り捨てられてきた中にこそ大切なものが残されている可能性もあるのではないでしょうか。
フランスの思想家ピエール・ブルデューのハビトゥス理論に従えば、私がそのように感じるのは若い頃から古い時代の写真や映画に数多く触れてきた経験が原点になっていると考えられます。
しかし、ここで新たな疑問がわきます。それなら生まれたときからデジカメやスマホの画像に浸ってきたはずのZ世代が、なぜフィルム写真やオールドレンズに魅力を感じるのでしょうか。この現象はハビトゥス理論では説明できません。
つまり、人が必ずしもHi-Fiな画像ばかりではなくLo-Fiな画像に惹かれる理由は、単に個人的な経験によるものというより、人間に普遍的な感覚なのではないかという仮説も立てられるわけです。
これは感情や記憶といった部分に深くかかわる要素であり、それらを喚起する触媒としての写真がもつ本質的な価値が隠されていると考えています。
昨今の光学技術やデジタル技術の進化は、それを棄捨する方向に進んでいるのではないか。この話はいずれまた別の機会にまとめようと思います。

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