言葉の暴力とChatGPTで雑に問題解決
言葉の暴力
1.ChatGPTにストレスを吐き出す。サンドバッグ。
2.どんな返答が来ようと関係なく、とにかくストレスを吐き出す。愚痴、八つ当たり、甘え。
3.ストレスを吐き出してちょっとスッキリし、少し冷静になったら以下を入力。
返答をちょっと読んで実行。以上。
背景(読まずとも良い)
このやり方の優れた点
私が家族にしていた奉仕をChatGPTが代行してくれる。私が救われる。
ChatGPTの強み。無尽蔵の忍耐力
ストレスなどで荒れ狂う人に共感を示し、慰め、宥め、落ち着かせ、感情に寄り添いながら状況を聞き出し、共に考え、具体的な問題解決のルートに乗せようとして「共感してほしいのであって、解決策は求めていない」とか言われてついでに罵られる。
実態は、時間を浪費させたり罵倒ついでに殴ったりして問題解決そのものを私に強制しようとしていただけである。共感と解決策の対比は男女の性差の文脈で語られがちだが、私には性別を問わず暴力を伴って襲ってきた。なお、解決策を示さず共感に徹すれば「口だけ野郎」と罵られる。
これを人にやらせるとか非人道的すぎる。
ちなみに、私は共感を否定しない。むしろ、本当にどうにもならないストレスへの対処方法として男女共に必須の技術だと思う。
人の忍耐力(寛容さ)は有限
「自室にうんこが落ちてて臭い」と言われて「そうだろうね」と共感しながら清掃用具を渡して使い方を教えると不快感を示される。
どうしてもうんこと共に生きねばならない環境なら、共感によって精神負荷を軽減するのは最善の手段だろう。生きるための適応と言えよう。それを否定する気になどなれないし、何でも解決できるわけではないのだから、心を守るために必須の技術と言える。
しかし、対応する人間には忍耐力の上限がある。
うんこが臭いという問題
うんこを片付けねばならないという問題
うんこ清掃のための道具を用意するという問題
そもそもなんでうんこが落ちてるのかという問題
根気よく時間をかけて聞き出してみたら、結局言いたいことは「私はやりたくないのでお前がやれ」だったりする。こちらにとっての5秒(拒絶)か、5分(許容)で解決できることに2時間の会話を要するのだ。「私にぐだぐだと愚痴られたり罵倒ついでに殴られたりして不快で無駄な時間を過ごしたくなければ、お前がさっさとやれ」という甘え。
このやりとりの大部分をAIに丸投げできる。神器では?
自助努力を熱心に怠り、人を扱き使うことばかり考えるうんこ野郎の相手をもうしなくて良いのだ。人間がすべきは、やるかやらないか、殴り返せるように拳を構えるか逃げるか。聞き出すとか調べるとか考えるとか、やりとりの大部分をAIがやってくれる。
ChatGPTが20年前にあれば……私はもっと自由に……
私に芽生えた差別意識
ChatGPTを使い続ける中で、私の中に危うい感情が生まれた。かつて、自分の時間を確保できなくなったことに憤慨してGGRKSと家族へ言い放ったように、AIを活用しない人達を強く軽蔑あるいは見下し、憐れむようになる気がしてきた。
AIに愚痴ってまとめてもらうだけだ。検索するより簡単だ。私は、これをできない人とまともな会話を成り立たせられる気がしない。その人を人間扱いできる気がしない。文字で対話できない人と一緒に仕事できますか?というレベル。そして、向こうからすれば私は話の通じない人間だろう。
早く普及してくれ。私が獣に堕ち切る前に。
世の(ヤング)ケアラー達の救いとなりますように。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?