哲学が無いと、判断できない。
科学の時代というか・・・いまは科学が王者の時代だと思う。
科学というのは技術だけではなく、論理的思考や、データに基づく思考など「科学的な」手法も含めて。科学的なものを絶対とする風潮。
科学は現代人にとっての宗教だと思う。
私もその一人で、科学的な解釈が好きだし、信じている。
だけど最近感じるのは、結局哲学が無いと何も判断できないし、科学を活用することもできないし、人を幸せにすることはできないんじゃないかということ。
例えばグーグルの使命は以下のようなものだ。
この使命・・・つまり哲学がなければ、なぜGoogleの検索エンジンを作るのか?なぜGoogleマップを作るのか?それは誰を幸せにするのか?みたいなことがあやふやで、天才エンジニアたちの技術は活かせなくなってしまったはずだ。
哲学があるから、手法や工夫が生まれるのではないか?
それは個人でも同じで、例えば、京都に美味しいご飯屋さんがあったとして。
そのご飯屋さんをGoogleで調べたり、新幹線や飛行機を使ってアクセスしたり、科学技術をフル活用することはできる。
だけど、何故そのご飯屋さんへ行くのか?という目的や要件が整理されていないとそのご飯屋さんへ行くというプロジェクトで満足することはできない。
・私は食事に命をかけている。食事こそが人生のすべてだ。
・親をそのご飯屋さんへ連れて行きたい。親孝行をすることが私の人生のすべてだ。
みたいな哲学が必要だ。
でないと、限られた予算や時間の中で、関わる人全員がハッピーになることはない。
ちょっと喩えがビミョウだったかもですが。。。
マーケティング戦略でも、経営戦略でも、商品開発でも、セールスでも、政治でも、哲学がないと判断できないし、共有できないし、説得できないし、設計できない。
何を言いたいかと言うと、哲学がないのは指針がないのと同じだと思う。
そして哲学というのは言葉でしか考えたり、表現したり、共有することはできないと思う。
だから言葉を突き詰めることは大事だと思う。
こちらの三島由紀夫と東大全共闘のドキュメントで平野啓一郎さんが言葉でしか世の中を変えることができないと仰っていた。
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B08X3YSXH6/ref=atv_dp_share_cu_r
なぜその仕事をするのか?
なぜそこに住むのか?
なぜそれをしたいのか?
そうした自身の哲学(言葉)を日々考え直していきたい。