「NOバトル」第5戦💣「千世」さん vs「しちゃうおじさん」を含む、誹謗中傷コメント消す派さん
こんにちは、しちゃうおじさん(以下「しちゃおじ」)です。
先日に{note版MCバトル💣noteでの陰口を『エヌ・オー・バトルで決めたらええがな』でエンタメ昇華したい}の記事で書きました「NOバトル」の第5戦💣です。
第5戦💣の対戦者は、以下の「千世(ちせ)」さんです。
上記「千世(ちせ)」さんの記事を読ませていただいたところ、{「NOバトル」開幕戦💣「山根あきら」さん vs「しちゃうおじさん」もとい、誹謗中傷徹底抗戦者さん}の記事にて「しちゃおじ」が記述した “とある点” に疑問を抱くと共に賛同ができないとのこと。
これはなんだか「NOバトル」っぽくなってきましたね!
「千世(ちせ)」さんは非常にわかりやすく記事を書いてくれましたので、一読しただけで論点がハッキリと見えたのですが、「千世(ちせ)」さんの主張としては以下です。
上記の「~誹謗中傷コメントを削除します~ という一文が何度も登場します。」というのは、開幕戦💣の記事中にある{もし仮に「しちゃおじ」が誹謗中傷コメントをもらったら、おそらく次のようにします。}の直下にて記述している、以下の部分ですね!
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「千世(ちせ)」さんは{私は絶対に削除しません。}の理由も含めた、以下3点を記事に書いてくれていますので、ここを読まれている皆さんは、まずは上記「千世(ちせ)」さんの記事をしっかりと熟読していただいてから、この記事に戻ってきてください。
「千世(ちせ)」さんは、至極真っ当なことを書かれておりますので「しちゃおじ」も概ね同意なのですが、ではなぜ「コメント消す派」と「コメント消さない派」に意見が真っ二つに分かれてしまうのでしょうか?
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「迷惑コメント」とは何ですか?
「千世(ちせ)」さんの記事、及びコメント欄を一読しただけで理解ができたのですが、どうやらnoteのコメントに対して、以下のように考えておられる方が一定数以上います。
「千世(ちせ)」さんの記事で言うところの「迷惑コメント」が、どのようなコメントを指しているのかは不明ですが、「しちゃおじ」が『コメントを削除する』と書いているのは「迷惑コメント」といった曖昧な概念ではなく、あくまで「誹謗中傷コメント」のことです。
ここで再度{「NOバトル」開幕戦💣「山根あきら」さん vs「しちゃうおじさん」もとい、誹謗中傷徹底抗戦者さん}の記事を読み返していただくと、「しちゃおじ」が以下のように記述していることをご確認いただけます。
上記の通りでして、「誹謗中傷コメント」と「批判・非難コメント」を明確に分けています。
「迷惑コメント」と一括りにしてしまうと、なんだかボンヤリとして訳が分からなくなってしまいますので、コメントを読んだときに抱く自分の感情とは切り離して、まずは以下のように分けて考えているわけですね。
上記の①と②を一緒くたにしてしまうと、「コメント消す・消さない論争」のそもそもの前提が異なってきてしまうので議論になりません。
ここまでは宜しいでしょうか?
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まずは、①の誹謗中傷コメント
「誹謗中傷コメント」とは、以下でした。
ここでは、わかりやすい例として『おまえは、ばーか、あーほ』のコメントが届いたとします。
このようなコメントに感情的に自動反応して、『お前のほうがバカでアホや!コメント乙~』なんて返信をしてしまったら、それこそ馬鹿で阿呆ですので、普通は無視しますよね?
無視は当然として、このコメントを削除しないといった選択肢があるのでしょうか?
こういった嫌がらせがしつこく繰り返される可能性も考慮して、一応は以下の①をするわけですが、この『おまえは、ばーか、あーほ』のコメントを残すことは考えられません。
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「千世(ちせ)」さんは{コメント欄もネット公開されている}の項にて、以下のように書かれているのですが、ここが最も「しちゃおじ」の考え方と相違が見られる点になります。
まず{自らの恥を晒す行為}なのではなく、むしろ「自らの存在や主義主張をアピールすることで相手の反応を楽しんでいる行為」と認識しますので、もちろん{覚悟があってのコメント}でもないですし、『釣れたらオモロイやろなぁ~』くらいでコメントをしています。
また、こういったコメントを削除する行為は、決して{相手にとって親切な行動に匹敵}なのではなく、シンプルに「コメントを残しておく理由」がまったくないからに過ぎません。
例として、とあるご夫婦が念願の赤ちゃんを授かったことを機会に、新居としての「庭付き一戸建て住宅」を探しているとします。
物件自体はオシャレで綺麗だし間取りや設備も気に入ったのだけど、お庭が放置ゴミと草ぼうぼうで荒れに荒れてしまっていたら、このご夫婦はどのような気持ちになるでしょうか?
noteに話を戻すと『とっても素敵な記事で共感!』とせっかくポジティブな感情を抱いていただいた読者さんを、削除せずに残しておいたコメント欄の『おまえは、ばーか、あーほ』で一気に興醒めをさせてしまいますし、さらに言ってしまえば『なんなのこれ?なんで消さないの?放置note?』とネガティブな感情にまで発展させてしまう可能性すらあります。
過去に全くお付き合いのないクリエイターさんから『こんな記事を書いたので見てね(URL)』とコメントが届いたら、『なんなんこの人...』とポチッとコメントを削除するかと思うのですが、誹謗中傷コメントもこういった宣伝コメント同様にポチッと削除したらいいのです。
自宅に人を招くとき、少しでも快適に過ごしていただくための、お片付けをしますよね?
ここではわかりやすく『おまえは、ばーか、あーほ』の例でご説明しましたが、一見すると複雑怪奇なコメントに見えたとしても、以下と認識したコメントであるならば証拠のスクリーンショットを撮影して、なるべく早く削除をすることが最善ではないのでしょうか?
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相手に選択権(主導権)がある
「千世(ちせ)」さんの{私は絶対に削除しません。}の立ち位置は尊重させていただきたいのですが、自分が絶対に削除しなくても、相手が削除したければ削除されてしまいます。
つまり{私は絶対に削除しません。}の実態としては、誹謗中傷コメントをしてきた相手側に「削除する・しない」の選択権(主導権)を与えてしまっている形となっています。
誹謗中傷コメントというのは、「自らの存在や主義主張をアピールすることで相手の反応を楽しんでいる行為」ですので、自分にとって不都合であればコメントをしれっと削除するでしょうし、自分にとって好都合か別にどうでもいいのであればコメントを削除しません。
それはつまり、コメントやコメントのやりとりが残っていようが、しれっと削除されてしまおうが、誹謗中傷コメントをしてきた「相手側にとっての望む結果」となっているわけですから、ここで改めて{私は絶対に削除しません。}と主張したところで意味がないわけです。
そもそも「誹謗中傷コメント」を見たい人なんているのでしょうか? もし、誹謗中傷コメントを見たいなんて人がいたら、ちょっと悪趣味が過ぎると思います。
ですので、誹謗中傷コメントにつきましては、以下の対処をオススメしているのです。
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次に、②の批判・非難コメント
「批判・非難コメント」とは、以下でした。
おそらくですが、「千世(ちせ)」さんが記事で書かれているところの{私は絶対に削除しません。}の主張は、主にこの「批判・非難コメント」のことかと思われます。
この「批判・非難コメント」に対しては、「しちゃおじ」もこれまでにコメントを削除したことがないのですが、その理由も{「NOバトル」開幕戦💣「山根あきら」さん vs「しちゃうおじさん」もとい、誹謗中傷徹底抗戦者さん}の記事にて記述している、以下の通りです。
しかしながら、例えこの「批判・非難コメント」であったとしても、{私は絶対に削除しません。}ということにはなりません。
なぜなら、コメントのやりとりが建設的な対話とはならずに、「泥試合」になってしまう可能性があるからです。
「泥試合」になってしまったコメント欄というのは、「お庭が放置ゴミと草ぼうぼうで荒れに荒れてしまった」状態なのですから『とっても素敵な記事で共感!』とせっかくポジティブな感情を抱いていただいた読者さんを、削除せずに残しておいたコメント欄の「泥試合」で一気に興醒めをさせてしまいますし、さらに言ってしまえば『なんなのこれ?なんで消さないの?放置note?』とネガティブな感情にまで発展させてしまう可能性すらあります。
こうなってしまうと『おまえは、ばーか、あーほ』よりも、さらにいただけません。
で、これはハッキリと書いておきますが、論理よりも感情が優先してしまうような方は、高確率で「泥試合」になりますので、コメント欄で一切の議論をしないことです。
特に、「反論・誤りや欠点の指摘・否定・マウント」などを平気でコメントしてくるような方というのは、自己顕示欲の塊であったり、人間性に難ありだったとしても、専門知識や経験においては記事を書いているクリエイターさんよりも上回っていることがほとんどです。
こういった状況でコメント欄で応戦してしまうと、専門知識や経験に基づいた論理で負けている部分をごまかそうと躍起になってしまいますので、まさに「泥仕合」となります。
また、サイコパス系を相手に下手に応戦をしてしまったら最悪は身の危険にまで及ぶ可能性もありますし、ディベートの達人を相手に応戦をしてしまったら再起不能レベルにボッコボコにされてしまいますので、コメント欄での議論を甘く考えない方が賢明です。
この「批判・非難コメント」を、コメント欄に残しておけるほどの価値に昇華できる方というのは、例え「反論・誤りや欠点の指摘・否定・マウント」であったとしても、『そこから何か学べることはないだろうか?』と余裕綽々で相手をしたたかに立てながら対話のできる方か、もしくは専門知識や経験に基づいた論理で相手を圧倒できる方のみです。
それはつまり、「反論・誤りや欠点の指摘・否定・マウント」などで、すぐに『ムキーーー!』と気分を害してしまう方は、コメント欄で応戦せずに、コメントを削除するべきなのです。
例えば、ここを読まれているだけで既に『ムキーーー!』となってしまった方は、その時点でもう無理ですので、「批判・非難コメント」が届きましたらコメントを削除してください。
そもそも「泥仕合」を見たい人なんているのでしょうか? もし、コメント欄での泥試合を見たいなんて人がいたら、やっぱりちょっと悪趣味が過ぎると思います。
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ここまでをまとめますと、結局のところ「誹謗中傷コメント」だろうが、「批判・非難コメント」だろうが、{「NOバトル」開幕戦💣「山根あきら」さん vs「しちゃうおじさん」もとい、誹謗中傷徹底抗戦者さん}の記事にも引用しております通り、以下が結論なのです。
『おまえは、ばーか、あーほ』や「泥試合」は、第三者の読者さんにとって有益どころかネガティブな感情まで抱かせてしまいますので、そのようなコメントは削除の一択です。
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「気分を害した」のは誰のせい?
ここからは、この記事を読まれている全ての方へのメッセージになります。
noteのクリエイターさんの中には、自分の意に沿わないコメントが届くと瞬間湯沸かし器さながらに気分を害してしまう方がいるようですが、例えばコメントを見たところで「白と黒の小さいドットが並んでいるだけ」と思えば、別に気分を害する必要はありませんよね?
ときどき異様なまでに気分を害している方を見かけてドン引きしてしまうことがあるのですが、それって趣味かなんかで自分で好き好んで気分を害して遊んでいるのですよね?
だって「誹謗中傷コメント」や「批判・非難コメント」が届いたところで、『なんやこれ?よくわからんコメントが届いたからポチッと削除や』で、創作活動に戻っても良いわけです。
たいした実力もないくせにプライドばっかり高いクリエイターの皆さんにお伝えしますけれど、「気分を害した」のは他の誰のせいでもなく、自分のせいだと言うことを忘れていませんか?
あなたの感情は、あなたのものであって、あなたが勝手に抱いた感情ではないのですか?
『自分が絶対に100%正しい!相手が絶対に100%間違っている!』などといった人類史上有り得ないことを本気で思っているような方までいて呆れてしまうのですが、こういった方というのは自分の感情を1mm足りともコントロールすることができません。
感情のコントロールを相手に投げつけて放棄してしまうのは、人として無責任な行為です。
一体どれだけ無責任で甘チャンな人生を、こんないい年齢の大人になるまで、今日の今日まで平気な顔して送ってきたのですか? 驚愕に値します。
『noteのコメントはこうあるべきだ!』などと決めつけて、さらにそれを他人にまで押し付けるのが当然のようになっているから、そんなにも勝手に気分を害してしまうのです。
あなたが気分を害しているのは、他の誰のせいでもなく、あなた自身のせいなのです。
記憶に新しい誹謗中傷事件(あれは事件と言ってもいい程に酷かったと思う)で、運悪くターゲットとされてしまった方は、最初から最後まで沈黙を貫き通しましたし、たまたまコラボレーションをされていた方は、脅迫まがいのDMまで届く始末でnoteを退会されました。
「しちゃおじ」の目には、お二人とも賢明な判断をされたように見えました。
ほうぼうに喚き散らすのも良し、クローズドで陰口も良し、沈黙も良し、退会も良しですが、例えどんな選択をしようとも、最低でも、自らが抱いた感情には責任を持ちましょう。
それだけで、noteが少し平和になるのです。
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元々「しちゃおじ」は、開幕戦💣をするまではコメントの取り扱いについて何か特別な意見を持っていたわけではなかったのですが、第5戦💣までを通じて、なぜ「コメント消す・消さない論争」が勃発しているのかも明確に理解ができましたし、今回の「NOバトル」をきっかけに「しちゃおじ」自身の意見もスッキリと言語化することができました。
「千世(ちせ)」さん、大変難しいテーマにも関わらず「NOバトル」への勇気あるご参加、どうもありがとう!
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以上 –「NOバトル」第5戦💣「千世」さん vs「しちゃうおじさん」を含む、誹謗中傷コメント消す派さん – でした。
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