No.136 #推し短歌 --イニシエノウタ--
「NieR:Replicant/Gestalt」「イニシエノウタ/デボル」から一首:
一. 悲しみを 募る言葉も 失った イニシエノウタ 聴くぞ哀しき
同じく「NieR:Replicant/Gestalt」「イニシエノウタ/運命」から二首:
二. かなしくも 美しくもあれ ヒトの様 彼方へ響く イニシエノウタ
三. 運命を 背負いて立ちし 営みを 紡いで謳う イニシエノウタ
計三首.
今日(10月1日)は「国際音楽の日」ということで, 「NieR」の「イニシエノウタ」で上述のような #推し短歌 とやらを詠んでみた. 「イニシエノウタ」に関しては「運命」の方
で既に
評を書いたことがあるのだが, 今回の #推し短歌 の為に詠んだのは上述の「運命」ではなく, 「デボル」の方
である.
link としては, 公式版があって転載が多分問題無さそうな(無いよな…)「滅ビノシロ 再生ノクロ」版(これももう7年前という恐ろしさ)を張っておいた. これは original よりも一層かなしい仕上がりになっており, 夜に雰囲気のいい Bar で聴いている分にはいいが, 普段一人で聴いていると死にたくなっちゃうような, 非常にものがなしい曲である.
「かなしさ」と「名曲」の関係については上述の note で述べた. そこから今回の #推し短歌 に関連する形で適当に抜粋すると, やや長いが, 以下のようになる:
『
名曲を「名曲」たらしめる条件は何であろうか? それは「かなしみ」だと思う. そも音楽とは, 論理やレトリックでは捉えられないもの, すなわち「言葉にできないもの」(たとえば「人のおもい」こそがその最たるものであるが) を捉える形式, あるいは表現するための1 つの技法 (art) であったのだ.
では「言葉にできない」ような「人のおもい」とはどんなものであろうか. それは圧倒的に「いきどおり」, そしてその奥にある「かなしみ」である. なぜならばこの世は往々にして
「言葉にできないよろこび」
よりも
「言葉にできないかなしみ」
に満ちているからである.
事実, 人はあまりに矮小であり, 理不尽な現実, 逃れようのない宿命を前に人はしばし人の象徴たる言葉さえも失ってしまう. そして
『そんな言葉を失う「かなしみ」の中で人がそれでも何を成しえるか, 如何に在れるか』
という問いに対する「なにかのこたえ」を与えるような音楽こそが「名曲」の必要条件である. ゆえに「名曲」とは, 須らく「かなしみ」を秘めていなければならない.
実際, 世にある多くの名曲がこの条件に該当すると思うが, その中でも一風変わった, 同時にある意味まさしくその典型例ともいえる「名曲」が今回取り上げる NieR:Replicant/Gestalt のテーマ曲ともいうべき名曲「イニシエノウタ/運命」である(推し短歌版注:ここは当然「運命」ではなく「デボル」版).
この曲の最大の特徴は, そのdrastic な旋律も然りながら(推し短歌版注:ここは「運命」の方の説明), 正にそのウタにこそある. このウタは歌い手のEmi Evansが「イニシエノウタ」のために複数の言語を混ぜて作り上げた人造言語で歌い上げられており, 何語でもない(実際に語学が堪能な知り合いに聴いてもらった時に「日本語にも, フランス語にも, ロシア語にも, 英語にも聴こえてかつどれでもない不思議なウタ」という評をもらったことがある).
遠い未来になり, 失われ忘れ去られてしまった言葉, もはや何語でもなくなってしまった言葉. そんな正に「言葉を失う」ような悲劇的, 終末的世界を「何語でもない失われた言葉」で謳い上げたウタがこの「イニシエノウタ」なのである. ゆえにこのウタは必然的に「かなしみ」を秘め, 根源的に「名曲」にならざるを得ない.
』
上述の note では「運命」の方を取り上げたので, この後その「かなしみ」との相克, 切り返しがテーマ(主題)となり, それ(つまり文字通り『「歴史の運命」を引き受ける曲』であること)を論じている. 他方, 今回 #推し短歌 で取り挙げた「デボル」特にこの「滅ビノシロ 再生ノクロ」版は, 「イニシエノウタ」の「かなしみ」に重きを置き, それに殉じるが如き名曲である. 尤も, 私の持論に則るならば,
『
「名曲」とは「かなしみ」を秘めるのみではなく,
『言葉を失うかなしみの中で人がそれでも何を成しえるか, 如何に在れるか』
という問いへの「なにかのこたえ」もまた与えなければならない』
のであり(つまり「かなしみ」に殉じるだけでは不十分であり), そこはやはり「運命」で補わなければならないということになる.
なので本来であれば, 「運命」に対しての #推し短歌 を詠まねばならないのだろうが, やはり『その「なにかのこたえ」が何であるかはもはや言葉にはできない』のであり, そしてそうであるがゆえにこの「名曲」は在るのだ. それでも「運命」まで含めて,「イニシエノウタ」を強いて詠むならば,
あるいは
といったところだろうか.
しかし何をどう詠んだところで, かの名曲を前には霞む. 私に言えるのはやはり
『ただ聴け』
ということのみなのである.
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?