人間関係リセット症候群
いつものように、これといった目的があるわけでもなく何となくツイッターを眺めていた。
指の運動がてら画面を縦横にスクロールしていると、トレンドワードとして「人間関係リセット症候群」という単語が挙がっているのが目に留まった。
「どういうことだろう?(どうしてトレンドに?)」
と思って、話題の発端を辿ると、どうやら朝のニュース番組でこのことが取り上げられたらしい。
中学、高校、大学と自らを取り巻くコミュニティが変化するたびに人間関係を切ってしまう(リセットしてしまう)ような人のことを表す言葉だと思うが、なかにはこの言葉を初めて聞く人もいたようだ。
ツイッターの反応を見ると、このこと、およびこの単語が当たり前というより「単語自体は聞いたことがないが、リセット癖がある人には共感できる」という見方が多く見られた。
そもそも「人間関係は簡単にリセットするようなものではない」という否定的な見方も当然あった。
だが、大学生の私のような、デジタルネイティブと呼ばれる世代の人々にとってはこの言葉は馴染みがあり、なおかつ無意識のうちに「リセット」してしまう人が多いのではないだろうか。
特に、SNSが身近である人ほどこの傾向は強いと感じる。
また、コロナ禍によって「リアル」での人間関係の構築が困難となった人々にとってはなおさら自分のことのように感じるのではないだろうか。
私自身、2019年、コロナが世の中を襲う前にできた人間関係の多くは、コロナ禍によって深めることができず形骸化しつつある。
いや、形骸化どころか2019年に知り合った人の多くが「LINEやインスタで繋がっているだけの人」に過ぎないことを考えたら、いつ消滅してもおかしくない人間関係しか残されていない。
きっと2019年に大学一年生だった人の大学での交遊関係は、こんなところが多くを占めると考える。
部活動やサークルで「ちゃんとした」人間関係を築いていれば、話はまた変わってくる。
だが、多くの大学でオンライン授業が当たり前となったことを踏まえれば、「授業内や休み時間で仲良くなった友だち」というものは皆無に等しいのではないだろうか。
このようなことを言うのだから、当然私にしても例外ではなく、一年時の授業で出会った知り合いと今さら仲を深めようという気にもならない。
それに加え、私の場合は「人間関係リセット症候群」を患っているものだから、高校までの人間関係が終わりきっているのは自明の事実である。
大学時代に入ったサークルもあるときから面倒になり、耐えきれず辞めてしまった。
前述したように部活やサークルに入っていれば、人間関係に少しは変化があったとは思う。
しかし、私が入っていたサークルの場合、2020年はほぼ活動が停止に近い状態だったため、いつか起こるはずの「変化」が物凄く遠い未来のことのように思えて、変わり映えのない人間関係に飽き飽きしてしまった。
もう少し耐えていたら、今頃後輩との交流も深まり人間関係も幅が出たと思うが、時すでに遅し。
(文化部の場合)サークルは基本的に三年の学園祭で引退であるため、活動が再開できるようになった頃にはあと数ヶ月で引退というタイミングだった。
数ヶ月という短い期間。
それに加え、授業が依然オンラインということもあり休日のイベントでしか基本的に会う機会がないサークル仲間と急速に仲良くなることは自分にとってかなりのハードルであった。
人が好きなら人と仲良くなるのに時間やタイミングはさほど関係ないのかもしれないが、人が嫌いなうえに「人間関係リセット症候群」ときた。
そんな人間がこのコロナ禍で積極的に交遊を深めたいかというとそんな訳がない。
かえって、一年の頃に築いた、自身の妥協のうえに成り立っていた人間関係については消滅してくれてかえって気が楽になった。
また、コロナ以前よりも、SNSのつながりが関係性維持に重要となった半面、「リセット」も容易になってしまった。
そうした環境下で迷いなく人間関係を切ってしまうのが私のような「人間関係リセット症候群」持ちの人物であろう。
結果的に今の私に残された人間関係は、バイト先と数少ない意気投合した大学の知り合い。
あるいは、唯一対面で授業が行われているゼミで顔を合わせる知り合い。
あとは家族のみ。
このまま行けば、(リセット癖がある私にとって)当然ながらバイトを辞めればバイト先の人間関係は終了するし、卒論を書き上げてゼミでの活動が無くなれば自ずとゼミでのつながりもなくなる。
かろうじて意気投合した知り合いとのつながりが残るかどうかといったところ。
どこかのタイミングで会って会話する機会を設けなければ、大学を卒業する頃にはなくなっていても何らおかしくはない。
インスタでつながっている同級生、後輩なんかもいるにはいるが、多くが私にとっては切ってもいいような人たちであるためふと魔が差してブロックしてしまう日が来るかもしれない。
そもそも自分にとってどうでもよい人間にプライベートを監視されるのはあまり気持ちがよいものではなく、「気持ち悪い」という感覚が「嫌」になったタイミングが相手のアカウントをブロックするタイミングかもしれない。
私にとって、こうした人間関係における一連の断捨離行為は当たり前に近いものであるが、人によっては薄情と捉える人もいるかもしれない。
私自身も薄情という感情がないわけではない。
しかし、どこかのタイミングで急に無理になり耐えられなくなってしまう。
きっとそんな人が「人間関係リセット症候群」を抱えた人だと、当事者である私は思うのだ。