カメラを通して笑顔を見たい~日本を元気にできるか カメラマンぶーちゃんの挑戦~
ぶーちゃんのプロフィール
全国を飛び回るプロのカメラマン。撮影現場では、いつもお客さんを笑顔にすることを心掛ける。そのためには自分自身が仕事を全力で楽しむことをモットーとしている。しかし、小さい頃からカメラマンを志していたわけではなかった。大学卒業後、塾講師、フリーターを経てカメラマンを目指したきっかけと、ぶーちゃんの仕事にかける想いをインタビューした。人生を振り返るといくつかのターニングポイントがあったという。様々な葛藤の中で、好きなことを仕事にするという生活を実現したぶーちゃんのストーリーをお届けしたい。
(1)将来の夢は特になかった、学生時代
ぶーちゃんは福島県の田舎町で育った。海と山に囲まれたその町は、言葉使いがきつい人とヤンキーが多かった印象だった。早くここから出て、一人暮らしをしたいと思って過ごしていた。
「小学校のときから、人を笑わせるのが好きでした。中学生のときも、体育祭で応援団長をやったりして前に出て行くのは好きなタイプ。高校に入ってからは剣道部で部活漬けの生活。上下関係が結構厳しかったことを覚えていますね」
学校では、とにかく勉強をしなかったというぶーちゃん。高校3年生で進路を考える時期になっても、やりたいことが見つからなかった。なんとなく「人の役に立てるかも」という理由で社会福祉を学べる大学へ進学。田舎を飛び出して、仙台市内で念願の一人暮らしが始まった。
「大学ではお酒を学びました。バイトしたら飲む、飲んでバイトする、の繰り返し。あとは最低限の単位を取るだけ。ただ、せっかくの学生時代、今しかできない思い出を作りたいと思って旅に出ました」
大学の友達を旅に誘ったがお金がないからと断られた。それならば、と一人旅に出た。行き先は冬の函館。そして何気なく決めたこの最初の旅で、ぶーちゃんは面白い体験をする。
「その旅では、仙台で買ったじゃがりこ(ずんだ味)を持って行って、出会った人に配っていたんです。たまたま函館市内のバーで飲んでいたとき、お店のマスターやお客さんに配っていたら、仲良くなれて。その中の一人がドライブに連れて行ってくれて、健康ランドまで送ってくれた。それがすごく楽しかった」
見知らぬ土地で、本来出会うはずのなかった人と出会い、思いがけず繋がりが生まれた不思議な体験。その喜びは、ぶーちゃんが旅に目覚めるきっかけの1つになった。それ以来、ぶーちゃんは旅先での現地の人々との出会いを楽しみに、日本全国を旅して回った。
(2)就職活動を経て塾講師に
大学4年生になり、まわりが将来を見据えて行動している中においてもなお、とにかく何も考えずに過ごしてきたというぶーちゃん。そんな時、ふらっと参加した企業合同説明会で、運命の出会いをすることになる。
「たまたま、ある塾の企業のブースに入ったんです。普通なら、事業内容やその仕事の魅力みたいな説明をしてくれるじゃないですか。ところがその担当者は、いきなり私の前で模擬授業を始めたんです。そして、その授業がとにかく面白かった」
いきいきと授業をして、聴衆を惹きつける先輩の姿に、未来の自分の姿を重ね合わせた。これだ、と思った。これまでの人生の中で、はじめてやりたいことが見つかったような気がした。
その企業に入社し、最初の勤務先は静岡県に決まった。
塾長に「ところでどの教科を教えたい?」と聞かれたとき、ぶーちゃんは戸惑った。
「英語は無理。数学はチンプンカンプン。理科は意味不明。国語はつまらなそう。となると社会しかなかった。消去法です。でも社会は地理、歴史、公民がある。専門知識があったわけではないので、1~2年目は、自分でも経験したことがないくらいめちゃめちゃ勉強しましたね」
授業の準備は多忙を極めた。テキストを解くこと、知識を吸収することに必死だった。
教壇に立ちはじめて3年が過ぎるころ、授業らしい授業が少しずつできるようになっていった。
こうして目の前の生徒に向き合う気持ちの余裕が生まれたとき、社会科の中でも、特に地理を苦手としている生徒が多いことに気がついた。どうしたら地理を好きになってもらえるかなと考えた末に、ひらめいた。
「教科書に出てくるところへ片っ端から旅をして、自分の体験を伝えればいいんだ。」
大学生で一人旅を繰り返したことと、いまの仕事が、1本の線でつながった気がした。
そしてその日のうちに、職場の近くにあった登呂遺跡へ出かけた。
「観光地に行くと、その土地の説明書きの看板があるじゃないですか。あれを読みこんで、観光するんですよ。すると、教科書に書いていないことが知れて、素直に面白い!と思える。その感動を教室で話したら、生徒の反応が良かったんです」
好きな旅を通して、自分自身も楽しく学べる。さらに生徒も喜んでくれる。
ある生徒から、「先生のおかげで地理が好きになったよ」と言ってもらえた。これが嬉しくて休みを見つけては様々な場所へ出かけていった。旅をしながら、自分の目で見て、地元の人と話し、その土地のものを食べる。そしてその体験を教室でシェアする。すべてが本物の勉強だった。世界がどんどんと広がっていった。
そうして気がついたら、ぶーちゃんは生徒からの投票で、人気ナンバー1講師になっていた。
実績が認められ、責任のあるポストを任せてもらえるようになっていた。
(3)カメラとの出会い
それでも30歳になるころ、ぶーちゃんはこれからの自身の働き方をあらためて考えはじめた。
「1つの仕事を積み重ねていくことはもちろん素晴らしいとは思います。でも果たして自分はこのままでいいんだろうかって考えて、ここにいてはいけないような気がしたんです。とりあえず辞めよう。あとはなんとかなるだろうって。昔から、よく言えば行動力があるんです。悪く言えば、計画性がない」
でも、今も昔も変わらないその特性を武器に変えるのは、ぶーちゃん自身だともいえる。次に何をしたいのかはわからなかったが、勢いに任せて退職をし、地元・福島に戻った。
そこからは、いろいろなアルバイトを経験した。ラジオのアシスタント、居酒屋の皿洗い、ホテルのベットメーキング、結婚式の配膳。なんでもやった。そんな生活が始まって1年が経とうとしたとき、ぶーちゃんに再び転機が訪れる。
何気なく見たインターネットの広告。カメラで仕事をしてみませんか?という募集だった。
「それまでカメラについて、特別に興味があったわけでもなかったんです。旅に出てスマホで写真を撮るくらい。だから説明会に行ったときにも、私はカメラを持っていなかった。その場では、プロの人が持っている高そうなカメラを借りて、写真を撮らせてもらいました」
使い方を教わりながら、シャッターを切っていく。目に見える世界が、写真に切り取られていく。
「シャッターを夢中で切りました。楽しかったです。こんな世界があるのか。仕事として考えていきたいなと、思いました」
カメラの基本的な仕組みから、撮影方法まで一通りの勉強を重ねた末、仕事としてはじめての依頼を受けたのは、お母さんと小さな娘さんの撮影。
春、桜の木を背景にしてメモリアルフォトの撮影をした。これまで練習してきたことを出し切った。
報酬は自分で設定した500円。それが、すごく嬉しかった。
仕事を辞めて実家に戻り、アルバイトだけで過ごしている時代は、どうしても自己肯定感が下がった。自分はいった何をしているのか。目の前で頼ってくれる生徒たちに別れを告げてまで、何のために塾を辞めたんだろう、と不安になる夜もあった。そんなぶーちゃんにとってこの500円は、自信と希望を、取り戻すきっかけとなった。
「写真の仕事は、基本的にお客さんの笑顔を撮影します。良い写真が撮れると、その写真を見てもらってさらに笑顔が生まれる。そして感謝されて、お金までもらえる。こんないいことはないなと思いました」
(4)これからの夢と目標
振り返ってみると、旅がぶーちゃんを形作ってきた。
何も考えずに過ごしていた学生時代、人との出会いの魅力を発見した。
塾講師時代、楽しく授業を行うきっかけとなった。
そして今は旅先をアピールできるような写真を撮りたいと思って日々過ごしている。
これからは写真を撮りながら、動画も編集し、記事を書きたいと考えている。そのために、文章を勉強し、SNSで発信していくスキルを学ぼうと、今年の4月からPOOLOJOBのコミュニティに参加した。
「私が仕事をさせてもらっている人は経営者さんが多いんです。そういう方たちは、夢や目標を持って輝いている人が多い。話を聞いているだけでも面白いし、その人のいちばんいい笑顔を撮影して、さらに記事を書いて、もっと喜んでほしいと思ったんです」
ぶーちゃんはカメラを通して、人の役に立てることに喜びを感じている。
「いま漠然と思い描いていることは、こどもが早く大人になりたいと思える社会を作りたいということです。子どもはいつか大人になる。そして大人になってからの時間のほうが長いわけです。そのときに、僕も早くあんなふうにキラキラした大人になりたい、と思って育って欲しい。そういう大人が日本中に溢れていたら、日本全体ももっと良くなるはず。そのために、まず僕が出会った人を楽しませて笑顔にしてあげたいと思っています。」
そのような話を聞かせてもらいながら、気がついたら自然と私も笑顔にさせられた。
小学校のころから人を笑わせることが好きだったぶーちゃんは、カメラを通して日本中を笑顔にしようと、今日も全国を飛び回っている。
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